第49話 大統領の演説

 演説会場のステージ上には投石などから大統領を守るために、

透明な盾を持った保安部隊隊員がずらっと並んでステージ周囲を固め、

登ろうとする市民がいないかを上から監視している。


 大統領一行は、チャン長官に導かれてステージに向かって右側の

階段を登る。


 保安部隊隊員の掲げる透明な盾ごしに、大群衆が手に手に手製の

プラカードを持って大声を上げているのが見えるが、広場はかなり広く

どれぐらいの人がいるのかは数えきれない。


 ウィルソン大統領の支持者だというわずかな一団は、周囲からの

圧力に押されるように、ステージ前の中央に固まっていたが、

大統領の姿が見えると拍手で出迎えた。


 大統領がSP四名に囲まれながら中央の演台に進もうとすると、

遠くから飲み物の缶や小石がいくつか飛んできて、

高く掲げた保安隊員の透明な盾に当たり跳ね返った。

大統領はそんな様子は全く気にしないで歩きつづけた。


 デイビス補佐官は首を縮めておそるおそる最後尾のSPの影に

隠れながら進んでいる。

サルダーリ大佐とアレクセイは、そのSPの囲いの後ろを

追い抜かすようにステージ奥のほうに向かい、ケンイチとフェルは

登って来た階段の近く、つまりステージに向かって右側を固めた。


 大統領が演台に到着する寸前、ステージ両サイドに立っていた

保安部隊隊員が市民に足を掴まれて、ステージから引きずり落とされた。


そのガードの開いた所から、市民がステージによじ登って来ようとする。

保安部隊隊員達が慌てて止めようとしたが、ケンイチとフェルのいる

ステージ右側からは、すでに一人がステージに上がり、もう一人が

それに続こうとしていた。


 ステージ中央に進もうとした男の前に立ちふさがったフェルに

向かって、その男は木の棍棒のようなものを振り下ろす。


フェルは硬質ギブスを付けた右手で棍棒の一撃を受け止めた。

』という鈍い音がした直後には、フェルが左手で

目も止まらぬ速さで、暴漢の棍棒を持つ腕を掴んで捩じり上げ、

暴漢はたちまち後ろ手になって拘束された。


 もう一人のステージによじ登ろうとしていた男は、下に落とされた

保安部隊員が必至に足を掴んでいたためにステージに登れず、

手に持っていた飲み物の缶を大統領の方向に高く投げあげた。


 ステージ上のケンイチが慌ててジャンプして右手でブロックし、

落ちて来た缶がステージにはずんで、その暴漢の顔にもろに当たった

ことで、動きが止まった所を、周囲の保安部隊員に取り押さえられた。


 ケンイチが、ステージの左側を見ると、アレクセイが片手で暴漢の

腕をつかみ、軽々と自分の顔ぐらいまで持ち上げている。

空中に浮いた暴漢が何もできなくなって足をジタバタさせたが、

アレクセイは下におろすと素早くヘッドロックをかけて動けなくした。


 市民のステージ襲撃はあっという間に鎮圧され、保安部隊隊員が

ステージ周囲の囲いを固めなおし、すぐに他の隊員が取り押さえた

市民をステージから降ろした。


 少し遠くにいた市民は、市民が襲ったことなど分からなかったはずだ。

サルダーリ大佐がステージの左端からケンイチとフェルに向かって軽く

敬礼し、暴漢を押さえた礼を示した。


 ステージ両サイドの騒動を全く気にせずに演台に立った大統領は、

マイクの向きを調整し、前を向いた。

保安部隊隊員の掲げる透明な盾が、目の前に掲げられているのを見て、

保安部隊隊員に声をかけ、盾を低い位置に下げさせた。


 ちょうどその時、遠くから玉子が飛来し、大統領の左側頭部やや上に

当たって派手に割れ、大統領の少し薄くなり始めている髪と左耳に、

白身と黄身が入り混じったものがかかった。


 保安部隊隊員が慌てて盾を高く掲げようとしたが、

それを大統領は手で制して下げさせた。


 トロヤ・イーストの全コロニーで、民間TV局によるホログラムの

ライブ放送が流れていた。大統領が演台に付く直前までは、

大観衆を映しながらステージの全景を映し出していたので、

ステージ上の保安部隊の盾の向こうでの両サイドの騒ぎはほとんど

写っていなかった。


 しかし大統領が演台のマイクを調整し始めたときに、カメラが

演台をズームアップしていたため、大統領の頭に玉子が当たって

派手に割れるシーンが、全コロニーにライブ配信されることになった。


 大統領は頭に付いた玉子を手でゆっくりと払うと、静かに語り始めた。

「トロヤ・イーストの皆さん。初めまして、ジャック・ウィルソンです。

 私は世界政府の代表として皆さんに謝る必要が有ります」


 民衆の怒声や帰れコールの中に、スピーカーから流れる大統領の声は

かき消され、聴いているのは演台近くの中央に陣取ったごく少数の

大統領支持者だけのようだった。


 ウィルソン大統領の顔の横を玉子の黄色い細いすじが流れ落ちていく、

横からリサ・デイビス補佐官がハンカチを手渡したが、大統領は

ハンカチを受け取っただけで、顔を拭きもせず、そのまま話し続けた。


「宇宙紛争の後、世界政府が樹立されて三百五十年が経ちました。

 その世界政府が出来てから、事故や病気、遭難、そして隕石嵐を

 除けば、人と人が争ったことで、この宇宙そらでは

 死者は一人も出てませんでした。


 三百五十年で

 かつての悲惨な宇宙紛争の後の、

 人類共通の平和の願いがその奇跡を生みました。


 しかし、先日、このトロヤ・イースト宙域で起きた事件で、

 私たちはこの宇宙そらで、トロヤ・イーストで生まれ育った

 若い二人の青年を失ってしまいました。


 大変心が痛み、とても残念に思います。この責任の一端は、

 これまでの世界政府の政治方針にも有ると私は思っております。


 ここトロヤ・イーストと地球圏との経済格差などのゆがみが、

 憎しみを生んでしまい、このような事態を発生させたと思うからです。

 世界政府の代表として、この場を借りて全人類に謝罪したいと思います。

 大変申し訳ありません」


大統領は深々と頭を下げ、しばらく頭を上げなかった。


 テロ組織を鎮圧した世界政府の代表が、声高らかに演説をするの

だろうと思っていた民衆も、大統領のこの態度を見て、自分たちが

想像していたのとは何か少し違うと感じ取った。

そのためか、少し罵声が小さくなっていた。


大統領はゆっくりと頭を上げ、再び静かに話し始めた。

「様々な犯罪を、特に人が他人の命を奪うという行為を、

 決して許すわけにはいきません。


 しかし、ある地域にすむ多くの人々の多くが、生活の困窮、不平等、

 そして不当な差別などで、大きく声を上げざるを得ないという背景が

 有るとすれば、政治に携わる者は全て、それを解消する努力をする

 義務が有ります。


 私はを果たすために、

 全力を尽くすと皆さんに約束し、大統領になりました。


 その矢先、その義務を果たす前に、人類共通の平和の願いによって

 三百五十年間守られてきた、『宇宙そらで人と人は争わない』

 というこの誓いを、私は、大統領として守り通すことが

 できませんでした。慙愧の念に堪えません」


 ケンイチは、依然として罵声は飛んでいるが、大統領が何を言っている

のかを聴こうとしている民衆が増えてきているのに気が付いた。

少なくとも、演台に近い場所の大統領支持者の多くは、すでに熱心に

演説に耳を傾けている。


「月や周辺コロニーを含む地球圏と、それ以外の地方に、

 大きな経済格差が有るのは、明らかにこれまでの政治の問題点だと

 私は感じております。


 特に、ここトロヤ・イーストと、トロヤ・ウェストは、

 地球圏から遠く離れています。また十分な水資源も有りません。

 そのため燃料水、工業製品、医薬品などを輸入するのに多大な費用と

 時間が必要で、皆さんの生活が苦しいのは分かっているつもりでした。


 しかし一昨日、私は、このトロヤ・イーストで生まれ育った兄妹と

 長い時間をかけ話をする機会が有り、私のその理解は不十分だったと

 分かりました。


 その二人の若者は、懸命に働いているにも関わらず、入院している

 母親の治療費を払うと、ほとんど生活費が残らないという状況を、

 私に詳しく話してくれました。


 話を聞いているうちに涙が出ました。


 二人のことを憐れんで涙が出たのではなく、長い間、政治の世界で働いて

 いた自分が、この地で生活をする人々の状況を、分かったつもりでいたと

 いうことに対し、自分自身に腹が立ち、本当に申し訳ない気持ちになり、

 涙が出たのです。


 このような状況を、長年放置して来た世界政府の政治方針を、

 私は問題だと訴えて、大統領選挙を戦いました。


 しかし、この地に来て、実際にここで生活をする兄妹と話をするうちに、

 真の実態を何も見ていない自分が、表面的な知識で理解したつもりに

 なっていたことに気づかされたのです。本当にお恥ずかしい」


 大統領がゆっくりと静かに話す中で、野次は少なくなり、

罵声を上げようとした市民に対し、静かに聴けと注意する市民も増えた。


大統領の周囲で盾を高く掲げていた保安部隊メンバーも、物が飛んで来る

状況ではなくなったため、腕を下げて盾を低い位置に構えている。

 最初は資料とタブレットを頭の上に掲げて顔を守っていたリサ・デイビス

補佐官も、下ろした片手に資料とタブレットを持ち直していた。


「ここトロヤ・イーストの小惑星エルドラドで採掘される

 豊富な鉱物資源は、人類の宝物です。

 この地で働く皆さんの、先祖代々からの努力の結晶が、人類の宇宙進出

 を支え、その発展を支えてきたことを、私は良く理解しています。


 地球圏のコロニー群、宇宙ステーション、そして月や火星の居住施設

 などの建築材料の多くに、ここで生まれたものが使われています。

 それだけでは有りません。宇宙機やハイテク機器を作るのに必要な

 レアアースなども、この地の資源開発に頼っています。


 これだけ、人類に貢献しているこのトロヤ・イーストの皆さんの働きが、

 正当に評価されず、地球圏との大きな経済格差を生んでいるのは

 間違っていると、私は思います。


 確かに、数百年前に行われた、小惑星エルドラドを捕らえて、

 この地に設置するという、人類初の大プロジェクトは、

 現在を生きている人類が、想像できないほど多大な費用をかけて

 成し遂げたものです。


 よって、地球圏に住む人々からすれば、自分たちが支払った費用で

 得ることのできた資源を、自分たちが使うのは正当な権利である

 という理屈になります。


 しかし、地球圏の人々には、この地で働く皆さんの努力が、

 ここで働く苦労が、全く見えていないので、そんなことが言えるのです。


 地球圏から遠く離れているがゆえに、とても不便な生活を

 強いられながらも、小惑星鉱山での過酷な重労働を行って来た、

 この地の人々の努力が有ってこそ、その資源を手にすることが

 できているということを、全人類がもっと理解しなければいけません。


 初期投資をしたからと言って、ここの鉱物資源から生まれる富を、

 地球圏の人々が独占して良いということは決してありません。

 ここ、トロヤ・イーストに住む人々の、何世代にもわたる努力無くして、

 その富を生むことはできなかったからです。


 このトロヤ・イーストの皆さんは、水資源が無いために、遠く木星から

 運ばれる燃料水を高い金額で購入しなければなりません。

 また、地球圏から運ばれる工業製品や医薬品を、高い輸送費を

 支払って輸入せざるを得ません。


 この輸送コストと時間が、地球圏に暮らす人々との格差が生まれる

 原因になっています。


 しかし、良く考えれば、ここで鉱山開発をするために暮らす人々が

 必要とする、燃料水、工業製品、医薬品などの輸送コストは、

 人類全体が鉱物資源を活用するための必要コストだとも言えます。


 その必要コストを、

 ここトロヤ・イーストの人だけが払っているのが現状です。

 私はこのような不公平な状況を改善したいと強く思っております」


 ケンイチは自分自身も大統領の演説に聴き言っていたが、気が付くと、

野次も罵声も完全に消え、全ての民衆が大統領の声に耳を傾けていた。

世界政府への怒りや要求を殴り書きしたプラカードは下ろされ、

いつの間にか見えなくなっている。


 少なくともウィルソン大統領が、世界政府からの圧力で民衆の反発を

ねじ伏せようとしているのではなく、対話によって事態を収拾しよう

という姿勢であることは皆が理解し始めていた。


 ウィルソン大統領は、その後も地球圏と地方都市で格差の無い社会を

実現したいという自分自身の政治理念を、集まった市民に分かり易く語り、

大統領を務める任期中、自分はでき得る限りの努力をしたいと宣言した。


またトロヤ・イーストのために、大統領の独断で決められる事項として

 ・燃料水と医薬品の輸送費に対して、世界政府からの補助金を出すこと。

 ・各コロニーに世界政府の運営する高度な医療機関を設置すること。

 ・定期的にトロヤ・イーストやトロヤ・ウェストの市民と世界政府が

  対話の場を持つこと。

の三点を約束した。


さらに、民主主義なので、自分の独断で決定は出来ないが、との前置きの

あとで、自分が地球圏に帰り次第、自分が次の三つの法案の提出を

行うことを約束した。

 ・トロヤ・イースト/ウェストの市民に対する特別減税

 ・世界政府が鉱物資源を買い取る標準取引価格の改訂

 ・世界政府議会でのトロヤ・イースト/ウェストの議員定数の拡大


また民間企業には、世界政府として次のようなことを推進するための

働きかけを行い、必要とあれば補助金を出すための法案整備も検討すると

約束した。

 ・トロヤ・イースト地方政府が進めようとしている観光業を後押しする

  ための大型旅客船の定期航路の新設

 ・小惑星エルドラドの見学ツアーを軸にした大型リゾート施設建設


 大統領は演説の最後に、地球圏もトロヤ・イーストも共に手を取り合い、

平和共存をしない限り、人類の発展の未来は描けないことを、

何度も何度も強調した。


「私のこの思いが、トロヤ・イーストの全コロニーに暮らす

 市民に届くことを願っています」


 そう締めくくり、ウィルソン大統領は深々と頭を下げた。

周囲の空気は、拍手の音で満たされ、ブラボーと叫ぶ民衆の声が、

演台を降りる大統領一行を見送っていた。


 トロヤ・イーストの全コロニーにライブ配信された演説の番組は、

何度も何度も再放送され、大統領の願い通り、トロヤ・イースト

全市民の目に触れることとなった。


また、それだけでなく、後日にはトロヤ・ウェストや火星、

そして地球圏においても録画が放送され、大きな話題となった。




次回エピソード> 「第50話 解散式」へ続く

 

























 

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