トロヤ・イーストの戦い

大統領機<シカゴ>

第29話 出発

 SG4メンバーが集まったゲスト用座席は、まるで遠足に向かう学生

が乗っているように騒がしかった。その中<シカゴ>は静かに発進した。


 大統領機はSGのように訓練されたパイロットが乗るわけではないので

急激な加速は行わない。徐々に加速して1Gにまで達するとその加速度を

保ちながら速度を上げていく『1G加速方式』を取った。

毎秒九・八一m/sの加速を長く続けて巡航速度まで上げていく方式で、

その間は機体内にいる人々は地球上と同じような疑似重力を感じる。


 この加速方式は一般人にも体への負担が少ない。

1G加速の間は機体前方が上、機体後方が下という感覚になるので、

座席は搭乗時よりも傾きを前に九十度近く回転する。


 モニターが付いた座席の前の壁と一緒に、座席が回転するので、

搭乗者にはわかり難いが、もともと機体床面だった所に向いてることになる。

この状態ではゲスト座席区画の最前列は一番上、後列は垂直下方向になる。


 ***


 座席区画の最前席ではジョン、ソジュン、オットーの三人が、片手に

軽食のサンドウィッチや飲み物を持ったままで、アース・フェニックスの

開発談義が繰り広げていた。


「オットーさん。アース・フェニックスの開発で問題が起きて、

 竣工が遅れたって聞きましたけど、何が有ったんですか?」

ジョンが質問すると、オットーは痛いところを突かれたという感じで、

頭に手をやりながらにこやかに答えた。


「いやぁそれかぁ。開発の最終段階の時には、すでに大統領の火星訪問の

 処女航海の予定が決まってたんだけど、そこから十日も遅れちゃってね。

 主任研究員として面目丸つぶれだったよ」

オットーは肩をすくめながら、話を続ける。


「最後の七日間の遅れに関しては、最終試運転の記録を取っていた機器類が

 整備不良で記録が取れてなかったから、最終試運転がやり直しになった

 だけなんだ。この機体自体の開発不具合ってわけじゃないけど、

 記録装置の整備を他部門に任せた僕のミスなんで、大目玉だったよ」


「じゃぁ大統領機の不具合での遅れってのは、実際は三日間だけなんだぁ。

 これだけ最新鋭の機体開発で遅れが三日間だけっていうのは凄いじゃん。

 俺ならそれを褒めまくるけどなぁ」と横でソジュンが感心している。


「ああ。その三日間の遅れのほうも軽微な問題でね。がっかりしたよ。

 最終試運転の直前に、機体内の無重力トイレの調子が悪いとか、

 サロンのLED照明が接触不良で点灯しないとか、機体内通信に雑音が

 混ざるとか、信じられないような、ポカミスに近い不具合が有ってね。

 まぁ航行に大きく問題が有るような不具合じゃ無かったから、

 それぞれ直ぐに治せたんだけど」


「最後の一週間の遅れが無くて、大統領機が早く火星圏に到着していたら、

 この前の隕石嵐に遭遇して大変でしたね」とジョン。

オットー・ブラウアーは両側の二人を見て笑いながら言った。

「じゃぁ。最終試運転をやり直した僕のミスが大統領を助けたってこと?」


 その後、ジョン、オットー、ソジュンの三人の話題は大規模な隕石嵐の

話題に変わった。オットーは宇宙機開発者として、実際の隕石嵐への対応に

強い関心を持ち、第一中隊の奮闘の話に聞き入っていた。


 特に、マリーがターゲティングシステムを変更した件や、

ヴィルヘルム・ガーラーンドがマルチモニター画面を使って指揮を取った

ということなど、マーズ・ファルコンの運用面での実際の使い方の話は、

とても参考になると喜んでいた。


 またソジュンが作成したTNSを宇宙空間でコントロールして

使用する装置については、オットーは特に興味を示した。

その仕組みやプログラミングを詳しく教えて欲しいとソジュンに申し入れ、

ソジュンは自分のマーズ・ファルコンの機体に、TNSコントローラーを

載せたままだから、現地についてから見せると約束をしていた。


 ケンイチも通路を挟んで反対側の席で盛り上がっているソジュン達の

隕石嵐の話をなんとなく聞いていたが、ある疑問を思い出して

通路越しにオットー・ブラウアーに質問を投げた。


「オットーさん。あの隕石嵐のとき、広域警戒探査機からの事前警報が

 全く出なかった理由は何か解明できたんですか?」


「ああカネムラ中隊長。その件は探査機開発チームの方でまだ調査中です。

 聞いている話では、火星圏を隕石嵐が襲う二日前までは広域警戒探査機

 から『異常なし』の通信コードが届いていたらしいんだけど、

 その後に通信不良になったということしか分かっていません」 


 ブラウアーはシートベルトを締めたままだったので、首だけを前に出して

通路を挟んで離れているケンイチの方を向きながら答えた。


「そんなの何かおかしいわ」突然聞こえたのはマリーの声だった。

1G加速中なので座席二列目に座っているマリーの声は真下から聞こえた。

ケンイチが通路越しにブラウアーに質問するのが聞こえていたのだろう。


「あの小天体群の速度を考えると、三日前には広域警戒探査機の配備され

 てたエリアを通過したはずよ。二日前まで『異常なし』のコードを

 発信していたなんて信じられないわ」


 姿の見えない真下からのマリーの疑問にブラウアーは答えた。

「隣の探査機開発チームが二日前までは通信が来ていたと言っていたのは

 確かなんです。


 でも、天体運動学に詳しいクローデル博士が計算して、日数がおかしいと

 いうことなら、確かに何かがへんですね。壊れた探査機の回収が計画され

 ているから、回収されたら、何らかの情報があると思いますが」


「えっ? 回収できるの? 核融合エンジンが破壊されてバラバラに

 吹き飛んでいるんじゃないの?」


「破壊された探査機三機で、核融合エンジンを直撃された物は有りません。

 センサーなどの周辺機器はバラバラでも、エンジンを含む心臓部分や

 記録装置については時間を掛ければ回収できる見込みと聞いていますよ」


「え? 探査機の核融合エンジンは破壊されていないの? 

 飛来した隕石を調べた地質学研究所小天体組成研究室のイルマ博士は、

 隕石のいくつかに確実に放射能汚染が有るって言ってたわ。


 私もそのデータを見たし。イルマ博士の報告書では探査機のエンジンを

 破壊した時に汚染されたのだろうとの推論だった。でも探査機の核融合

 エンジンが破壊されていないのが事実なら、他の輸送機か何かかしら?」


 その後も、オットー・ブラウアーとマリー・クローデルの話は続いたが、

隕石嵐の二日前まで探査機から通信が有った件も、隕石の放射能汚染が

何処からもたらされたのかの疑問も何も解決されなかった。


  ***


 出発から数時間後、パイロットのカレルヴォ・コッコネンから、

予定の巡航速度に達したので加速を止めて定速航行に移るという

一斉通信が入った。


 推進器の噴射が止まって加速による疑似重力が無くなると、

機体内はすぐに無重力状態になり、ゲスト用座席区画の座席は回転して

機体前方を向く元の姿勢に戻った。


 続けてコッコネンからの通信が入り、十数分後に燃料水の補給タンクと

ランデブー予定なので、安全を考慮して、念のためそのまま座席区画で

過ごすようにとの指示が入った。


 ***


 宇宙移住が始まってからも数百年が経ち、核融合エンジンによって

ほぼ無限大のエネルギーが得られ、宇宙機の中で消費される空気、飲料水、

食料等は百パーセントリサイクルされるようになったが、唯一推進剤として

利用され、宇宙空間に放出してしまう燃料水だけは補充が必要だった。


 全行程で必要になる大量の燃料水を最初から積み込むと、その燃料水の

質量そのものを加速させるために、さらに燃料水が必要になるという

矛盾を生じる。このため航行中に燃料水を補充するシステムが、

宇宙移住計画の初期に構築された。


 太陽系の各所に燃料水を大量に蓄積した燃料水の補給ステーションが

設けられた。

その補給ステーション近傍の宙域には、リング状の超電導電磁誘導装置が、

一定間隔で数キロにわたって沢山配備されており、その中をロケット形状の

燃料水タンクが加速されながら飛び、高速で発射される仕組みである。


 無限に近い核融合エネルギーによって、凄まじい速度で打ち出された

燃料水タンクは、高速航行中の宇宙機とのランデブーエリアまで飛ぶと、

進行方向と速度を自動調整しながら宇宙機とランデブーするコースに入る。


 補給を受ける宇宙機は速度を維持したまま燃料水タンクを受け取ると、

空に近くなった燃料水タンクを放出する。燃料水タンクは残った燃料水を

吹いて近くの燃料水補給ステーションへと自動航行で戻る仕組みだ。


 太陽系各所にこの燃料水補給ステーションが配備されたことによって、

有人宇宙機の長距離航行がし易くなり、人類が宇宙移住可能な地域を

広げることができている。


 ***


 <シカゴ>が高速航行を維持しながら燃料水タンクとのランデブーを

成功させると、カレルヴォ・コッコネンからは続けて、居住区画の

回転モードに入るとの一斉通信が入った。


 ケンイチ達は、<シカゴ>はリング状の疑似重力発生装置を持っていない

ので、居住区部分を分離して回転させて疑似重力を発生させるという説明を

聞いてはいたが、今一つよく理解できていなかった。


 機体の胴体中央にある居住区画が機体フレームから分離され、

機体フレームの下面からは、カウンターウェイト部分が分離された。


 分離した居住区画とカウンターウェイトは、機体フレームと

高強度ワイヤーで結合されており、そのワイヤーを伸ばしながら所定の

距離だけ離れていく。


 居住区画内では、モニターでその様子が見えるようになっているため

ゲスト達は居住区画側と機体フレーム側の映像を切り替えながら、

その様子を見ていた。


 その後、居住区画及びカウンターウェイトの側面から推進剤が噴射されて、

機体本体の周りを、ぐるぐる回転する動きになると、居住区内には徐々に

疑似重力が発生して来る。


「これは、自航回転式っていうんだろぅ? 居住区が自分で回転運動して

 疑似重力を発生させるっていうのは大胆なアイデアだね」とソジュン。


 横のオットー・ブラウアーが答えた。

「そうですね。機体本体と居住区区画がかなり離れるから、

 高速航行時警戒システムで守る範囲を広げないと航行時には使えない

 方式だったので、最後の最後まで採用するか悩みましたよ」


 その後、居住区内に約1Gの重力が働いて安定すると、メンバーは

各自のコンパートメントに戻ることができた。




次回エピソード> 「第30話 自航回転式居住区」へ続く



 

 




 










 






















 














 








 



 

 



















 





 



 









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