第22話 各自の決断
クリスティーン・ライムバッハーは自宅に向かっていた。
夫のカールはSG4の隊員で航空管制員をしている。彼なら自分の気持ちは
理解してくれるはずだと確信をしていたが、問題なのは同居している
実の母親で、反対するかもしれないと思っていた。
そもそも今日はカール・ライムバッハーが非番の日で、カールと娘と母の
三人でゆっくりと過ごしている所に、突然帰宅すること自体に驚くだろう。
クリスが帰宅すると娘のエリーザは昼寝をしていた。
母親が驚きすぎて腰を抜かさないように、ミーティング内容を
夫のカールと、母親のクラウディア二人にゆっくりと告げて反応を見た。
カールが驚くほど無表情なままで言った。
「君は責任感が強いから、どんなに危険でも行きたいと思っているんだろ」
クリスが深くうなずくと、カールは溜息をつきながら、クラウディアを
見た。彼女はしばらく下を向いたまま黙っていたが、
突然すっくと立ち上がると、何も言わないまま自分の寝室に歩いて行った。
「お母さん!」
カールは母親を呼び止めようとするクリスを制止して静かに言った。
「娘が死ぬかもしれない任務に行くことなど、普通はOKできないよ」
確かにクリス自身も今回の危険な任務に不安は有るが、
それ以上に尊敬する大統領の護衛をしたいとの思いも強かった。
母親の寝室で何かガサゴソと音がしていたが、ドアが再び開くと、
母親が出てきて手に持っていた何かをクリスに差し出しながら言った。
「これ。お父さんの写真よ。お守りに持っていきなさい」
クリスが驚いてクラウディアを見ると、母親は少し微笑みながら続けた。
「あなたが行くと言うのを止めたら、亡くなったお父さんに怒られるわ。
私はあなたがSGに入隊して危険な任務に就くのは反対だったけど、
お父さんはあなたのことをとても誇りに思って、親戚中に自慢して
回っていたのよ。あの人ならきっと、ウィルソン大統領をしっかり
守れって言って送り出したと思うからね」
クリスティーンは母親から写真を受け取ると、涙ぐみながら母親を
強くハグをした。それを見たカールも頷いて言った
「エリーザには、しばらく君が出張で帰れないけど、お土産を沢山買って
来てくれるはずだと言っておくよ」
***
ヴィルヘルム・ガーランドとシンイー・ワンは<ベースリング>の
生活区域の自室に戻るために、ステップ・ムーバーで移動していたが、
後ろからシンイーが話しかけた。
「ガー君は行くつもりなんでしょ?」
ヴィルはムーバーの速度を落としながら振り向いて答えた。
「ああ。先週の隕石嵐は自分で操縦できなくて悔しかったから、
今回は絶対に参加するつもりさ。一応、月の両親には話をするけど、
両親はどうせ隕石嵐への対応と、今回の任務の危険度の違いなど
分からないよ。ワンちゃんはどうするつもり?」
「私は……この前の隕石嵐で逃げ回ってばかりだったの。
あの時のデータを入れたVRシミュレーターを見て、皆にずいぶん
フォローしてもらい、迷惑をかけてたことが良くわかったの。
だから、今度は逃げたくない……」
「今度は隕石より危険だよ。
それに断ってもいいという話だったじゃないか」
シンイー・ワンは喉まで出た言葉を出せないでいた。
—— ガー君と一緒に行きたいの ——
その言葉の代わりに、強い口調で答えた。
「先週から必死にVRシミュレーターで特訓していたの知ってるでしょ?
私も皆に置いて行かれたくないのよ」
***
フェルディナン・ンボマは妻コニーの待つ家に向かっていたが、
あと約十日で出産予定の妻に、ミーティングの話をするつもりはなかった。
自分としては大統領の護衛に行きたい気持ちも有ったし、テロ組織との
交戦が怖いわけでもない。
ただ、もうすぐ子供が生まれるというときに、妻を一人を火星に残して
遠く離れたトロヤ・イーストに行くことは考えられなかった。
今は産休中だが、妻のコニー・ンボマも同じ第一中隊のメンバーなので、
中隊長達も妻のことを良く知っている。
自分が参加できない状況も理解してくれるだろう。
フェルが家に入ると、ソファーで横なっていた妻が起き上がって質問した。
「フェル。今日の当直任務がキャンセルになったのはなんでなの?」
フェルはできるだけ落ち着いた声を出そうと気を付けながら言った。
「ああ単に大統領の行動予定が変更になったらしい。その関係で、
いろいろ予定が玉突きで変更になったんだ。
コニーは心配しないで寝てたらいいよ。何か温かいものでも飲むかい?」
ソファーから立ち上がろうとするコニーを制止して、フェルディナンが
歩み寄って、妻の頬に優しく手を当てる。
コニーのほうも両手をフェルの顔に近づけた。
その途端、コニーはフェルの両頬を力強くつねりながら引っ張った。
「フェルディナン。何を隠してるの?
嘘ついても顔でわかるのよ。本当は何が有ったの?」
***
ハリシャ・ネールとレオナルド・カベッロは、基地から自分たちの住む
居住施設に向かう途中のカフェに座って、熱々のカプチーノを飲みながら
相談をしていた。
「ねぇレオ。どう説得したら、私の両親が許してくれると思う?」
「さぁな。君んとこのお母さんは絶対反対するよな。だいたい子供の頃に、
俺達がフェンシング教室に入りたいって言った時でさえ、俺は
『うちのハリシャを格闘技の訓練なんかに誘わないで』って
怒られたんだぜ。俺は君のお母さんがちょっと苦手だよ」
「そうなのよ。レオの家はいいわよね。何でも自由な感じだし」
「いやぁ、自由って言うよりも、見放されてるっていう感じだけどな。
だいたい六人も息子がいたら、いちいち干渉なんかしてられないよ」
レオはカプチーノを冷ましながら少し口にいれてから続けた。
「そもそも兄貴たち二人だって、親の知らないうちに月の企業に転職して
突然家を出て行ったりと、ずいぶん好き勝手にしてるしな。
大統領の護衛で数週間留守にしますって言っても『あらそう気を付けて』
ぐらいだと思うぜ」
そう言い終わると、レオは何かに気が付いて少し首を傾けたと思うと、
突然、指を鳴らして、ハリシャのほうに顔を近づけてひそひそ声て言った。
「そう言えば、お前のお母さんは大統領の大ファンだったんじゃないか?」
ハリシャはカップを下ろして、口に着いた泡をペロっと舐めながら
聞き返した。
「そうだけど、それがどうしたの?」
***
ジョン・スタンリーは<ベースリング>の自室で、月の両親への
通信動画を取るのに苦戦して、何度も録画をやり直していた。
火星と地球圏は最接近時でも数分間のタイムラグが有るので、直接会話を
することは難しく、お互いに通信動画を送り合って連絡を取ることになる。
両親と意見の相違が有っても、すぐに言い返せるわけでは無いので、
話がこじれると収拾がつかなくなるのは良くわかっていた。。
—— ああ面倒だ。直に話ができたほうがよっぽど楽なのに ——
このまま通信動画など送らずに、勝手に調査隊に行こうかとも何度も
思ったが、万が一、自分の身に何かあった時は、両親がSG4にかなり
文句を言うだろう。暫く録画を取り直した後、ジョンはもうどうでも
いいという気持ちになって送信ボタンを押した。
三十分ほどで返信の動画が返って来た。
—— 早すぎる? ——
往復のタイムラグ時間を考えると、自分の通信動画を見てから、
すぐに返信の録画をしただけの時間しか経っていない。
恐る恐る動画をスタートさせると父親の映像だった。
父親は冒頭で調査隊に入るのは自分は賛成だが、おそらく母親は
受け入れられないだろうから、まだ母親にはジョンの通信を見せて
いないと言った。
SGに入隊したからには少なからず危険は有るし、その危険度は
自分たちには判断できない。もう成人なのだから、ジョン本人が判断して
調査隊に参加すると決めたことに反対するつもりはないとのことだった。
父親の通信は、最後に護衛任務を無事に終えて帰ることを、
強く祈っているという言葉で締めくくられていた。
***
アニタ・ハーレンは、突然早い時間に帰って来た息子のダミアンの顔に
並々ならぬ決意が現れていることに気が付いた。
「今日は何でこんなに早くあがったの?」
「長期出張になる」
「まぁ、それは大変ね。何処へ出張に行くの?」
「トロヤ・イースト」
それだけを言うと、ダミアン・ファン・ハーレンは自室に入って行った。
アニタは息子の言葉数が少ないのには慣れていたが、
今日のダミアンの様子には、ただ事ではない雰囲気を感じた。
トロヤ・イーストはかなり遠い所だし、そこにSG4メンバーが
行くという理由も全くわからない。
ダミアンの部屋に追いかけて行きノックして入ると、
息子は物入から大きなボストンバッグを出そうとしていた。
「トロヤ・イーストって、随分と遠いわよね。何の任務で行くの?」
ダミアンは振り向きもせずに、物入の中に首を突っ込んだまま答えた。
「大統領の護衛」
「まぁ、すごいじゃない。
大統領は、あのアース何とかっていう最新の宇宙船で火星に来たばかり
よね。どうしてそんなにすぐトロヤ・イーストに行くことになったの?」
ボストンバッグと一緒にバラバラと物入の中身が崩れ出たのを
拾いながら、ダミアンはさらっと答えた。
「テロがあった」
アニタはテロと聞いて少し背筋が冷たくなって絶句した。
ダミアンが続けた。
「これ秘密事項だからね」
アニタは息子の様子から、その護衛任務に同行する強い決意を感じていた。
息子が小さいころ、アニタは元夫と離婚している。
それ以来、息子は言葉数が極端に少なくなったが、決して嘘をついたり
親を無視する子供でもない。単に気持ちを表現するのが苦手なだけで、
正義感も責任感も人一倍強い子だ。
ただ、もう少し詳しい話は聞きたいと思った。
「その危険な護衛任務にどうしても行きたいというのね?」
ダミアン・ファン・ハーレンは母親の顔を見ずに答えた。
「ああ」
「SG4から沢山のメンバーが行くの?」
ダミアンは無言のまま、早々と大きなボストンバッグに長期任務に
行くための着替えなどを詰める作業を続けていたが、ボソッと言った。
「少しだけ」
「ジャック・ウィルソン大統領って、選挙演説の映像しか見たこと
無いけど、小部隊で大きなテロに立ち向かうような
好戦的な人だったの?」
「そうじゃない」
「じゃぁ、何で月の部隊に任せないの?」
「ここが近いから」
アニタは調査隊の必要性は、今一つ理解できなかった。
しかし、これでも息子はいつもより良く返事をしているほうだ。
辛抱強く質問を続けた。
「そのトロヤ・イーストは、大統領がすぐに行かないと大変な状況なの?」
「それを調べに行く」
アニタは大きく溜息をついて、話題を少し変えた。
「あなたの所属している中隊の人たちは皆参加するの?」
「だと思う」
「じゃぁ、あの凄腕だっていう中隊長も一緒なのね?」
ダミアンは無言でうなずいた。
アニタは息子がSG4のエースパイロットだという中隊長の
操縦技術やチームのリーダーとしての資質を認めて尊敬していることを
知っていた。そんな優秀な中隊長が一緒ならば少しは安心だろう。
「あのとっても美人の副隊長さんも行くの?」
「あぁ」
「あなた。あの副隊長さんが好きなんでしょ?」
「……」
「それで一緒に行きたいのね?」
「違う」
「じゃぁどうして、そんな無謀な大統領に同行するって決めてるの?」
ボストンバッグに着替えを詰めようと格闘していたダミアンは、
手を止めて姿勢を正すと、真っ直ぐに母親の方を向いた。
「大統領は無謀だから行くんじゃなくて、責任感が強いから行くと
言っているらしい。僕はまだ直接話をしたことが無いけど。
一昨日に大統領が火星に到着早々に<ペルガモンシティー>への
慰問に行って、火星の被害を自分のことのように悲しんでたって聞いた。
それに護衛してた第四中隊の先輩たち一人一人にも挨拶してくれたって。
全ての人類に対して自分には責任が有ると思っているみたい。
だからこそ就任してすぐに火星にも来たっていう話だよ。
今まで火星に来た大統領はいなかっただろ?
たぶん、今度の大統領はとてもいい人なんだ。そんな大統領を守る
という名誉ある任務に、指名されたから僕は行きたいんだ」
アニタは目をパチクリと丸くして息子の顔を見ていた。
これほど長いセンテンスを話す息子の声を聴いたのは何年ぶりだろうか。
いや、これが生まれて初めてなのかもしれない。
それに、アニタの方を真っ直ぐに向いた目は真剣そのものだった。
「あなたの気持ちは良くわかったわ。ダミアン」
次回エピソード> 「第23話 VIPルーム」へ続く
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