第17話 満地球  

 ケンイチは<センターシティー>の上空を飛びながら、

旋回して各種施設の説明をしようとしていた。


「ウィルソン大統領。 聞こえていますか? お気分でも悪いですか?」

—— 大統領の反応が無い? —— 

早くも気絶したかと思って驚いてモニターを見る。


後部座席で大統領が手を挙げたのが見え、落ち着いた声が返って来た。

「大丈夫だ。カネムラ君。今とてもいい気分に浸っていたんだ」

 ケンイチは安心して市内上空での視察飛行を続けた。


「ツィオルコフスキー大が優勝したあの試合の後で、君のプロリーグ入りが

 決まって発表されるのを楽しみにしていたんだよ。私は」


 視察と全く関係ない話題に少し驚いたが、ケンイチは落ち着いて答えた。

「そうですか。十年前にも多くの方からそういうことを言われました」


「君がスペースガード(SG)に志願する理由として、

 『隕石嵐で殉職した元SG3隊員の親父さんの遺志を継ぎたい』と

 言っていたのは良く知っている」

「ええ。取材を受けた時にはそう言っていました」


「しかしSG入隊の年齢制限は二十五歳だ。卒業後三年の限定でも、

 プロリーグに入って、それからSGに入隊する案は考え無かったのかね? 

 君ほどの選手ならその条件でもOKするチームが有ったはずだ。

 それに、低重力ラグビーに未練は無かったのかい?」


「もちろん低重力ラグビーに未練は有りました。それにプロチームから

 その提案も沢山ありました。しかも想像できない金額を提示されて。

 誰にも話したことは無かったんですが……あの決勝戦の終了までは、

 私も三年限定でプロチームに入ることを考えていたんです」


「何? あの試合後に気が変わったのというのかね? そんな話は初耳だ」

「ええ、だから誰にも話しませんでしたから」

「学生チャンピオンとなり、MVPもとって、さらに高額のオファーを

 目の前に出されて、その上で気が変わったというのかね? 

 余計に理解できない話じゃないか」


 大統領の質問のあと少し沈黙が続いたが、ケンイチがぽつりと言った。

「私もうまく説明できないんです。話が長くなりますが良いですか?」

「ああ。時間はたっぷりある」


ウィルソン大統領は、横を向いて延々と続く赤い大地の起伏を眺めながら、

機内通話でケンイチの声が聞こえるのを待った。


「あの試合の優勝賞品の一つとして、<ナレンダラン・レストラン>の

 一昼夜の貸し切りパーティーが有ったんです。それであの日の夜、

 チーム関係者全員で打ち上げに行ったんです」


「あの有名な、地球が良く見える<アポロン・シティー>の

 高級展望レストランだな。私も何度かは行ったことがあるよ」


「あの日はちょうど満地球の日で……」

 ケンイチはそこまで言った後、どう言えば良いか分からず、少し間を置いた。

「……満地球が……回っていたんです」


 ***


  月の公転周期と自転周期は同じで、二十七日と七時間四十三分である。

このため月はいつもアースサイドを地球に向けており、地球から見て裏側の

バックサイドでは地球を見ることはできない。そのためバックサイドの

貧しい住民の中には、一生涯、生の地球の姿を目にしない者も多い。


 一方、月のアースサイドから見る地球は、常にほぼ同じ場所に有る。

地球はその場に留まって、自転だけをしているように見えるのだ。

地球から見る満月とは異なり、月のアースサイドから見る満地球は

地平線に沈むことなく回り続けるのである。


 ***


 大統領はケンイチが何を話したいのか分からず聞いた。

「まさかバックサイド育ちだから、地球が回っていることを知らなかった

 とでもいうのかね?」


「いえ、バックサイドだって、いくらでも3D資料映像は見れますし、

 満地球が回る映像もたびたび目にはします。

 でも私の家は貧しかったので、アースサイドに行ったのは数えるほどで、

 満地球の時に長時間地球を見続けたのは初めての経験でした。


 だから、満地球が回るのを始めて生で見て、何時間も見るうちに、

 涙がボロボロ出て止まらなくなったんです」


   *** 十年前 ***


 ちょうど満地球で最高の展望日和となったこの日、ツィオルコフスキー大学

の低重力ラグビー部メンバーと関係者達は、<ナレンダラン・レストラン>に

足を踏み入れた。絶句して全員が宙を見上げて立ち止まった。


「うわー」「デカイ!」「スゲー」「眩しい」

地球の直径は月の直径の三・六七倍なので、月から見る満地球の大きさ

(見た目の面積)は、地球から見る満月の大きさの十三・四倍、

そして明るさは数十倍もある。


 <ナレンダラン・レストラン>は、天井の隕石嵐防御用の巨大シャッターを

開いた状態だった。その天井のほぼ真上に満地球が輝いている。

立派な体格のメンバー全員が、満地球を見たままポカンと口を開けたまま

動けなくなっっていた。


 その後、祝勝パーティーは長時間続いたが、付属のスパや休憩室、

仮眠室も含めて一晩貸し切りプランだったため、やがて関係者やチーム

メンバー各々が好きな場所に散って過ごすことになった。


 ケンイチは、満地球の見えるレストランフロアーから離れる気には

ならなかったので、もう少しレストランに残ると仲間達に言い、

少し広いスペースにリクライニング・チェアを運んだ。


そばのテーブルに酒とつまみをセットし、一人でじっくりと満地球を

眺める体制を準備する。そしてレストランの入り口に置いてあった貸し出し

用のサングラスをかけてリクライニング・チェアに寝転んだ。


 満地球は北を上にしていて、ちょうど大きな大陸が右側に隠れていく。

真正面には青い海があり、左側では白い雲が大きな渦を巻いている。

—— あれが台風とか、ハリケーンとかいうやつなのかな —— 


 月でしか生活をしたことが無い者にとって、『雲』に関しては、

学校で習った表面的な知識しかない。雲がどう動き、どのように消えて

行くのかなど、深く考えたことは無かった。

長時間見ていても全く飽きることはなかった。


 ハイスクールで習った『地球史』に出てきた地球の海や、大陸の名前を

思い出そうとしたが、まったく思い出せない。

そもそもバックサイド育ちにとって、直接見ることのできない

地球のことなど、遠い世界の昔話でしかなかった。


 しばらくして、ふと気が付くと満地球の青い海が少し動いて、

左には大きな大陸が見えて来た。レストランのほぼ真上にある満地球は、

その場所から動くことは無かったが、ゆっくりとその場で回転している

のだと気が付いた。

—— あれは確か『自転』と言うんだったかな —— 


 ***


 地球から見て、太陽や月が『地平線から昇る』とか『沈む』というのは、

地球の自転によるものである。月がアースサイド面をいつも地球に向けて

いるということは、月のアースサイドから地球を見ると何時間経っても

地球はほぼ同じ位置に有る。


その場所でゆっくりと一時間に十五度だけ回転する姿が見えるだけだ。

しかし、それはアースサイドだけでの常識だった。

月のバックサイドで、人生のほとんどの時間を過ごしてきた者にとって、

そのような地球の動きは、単なる勉強で得た知識にしか過ぎない。


 『地球史』で習ったのは、列挙各国間の大規模な宇宙紛争後に樹立された

世界政府が人類のほとんどを宇宙移住させたこと。そして地球の自然環境を

元に戻すという地球再生プログラムを始めたということだった。


 その後、人類の大半が宇宙に住むようになってから数百年が経過している。

地球環境は最悪の状態からはかなり回復したと言われてはいるが、

何世紀にもわたり破壊された環境を元に戻すのは容易ではない。


 地球再生プログラムによって、砂漠化した土地や、かつて都市が有った

土地にもかなり緑化が進んだらしい。

巨大な空気清浄装置や海洋汚染の除去装置が数百年稼働し続けてはいるが、

人々が地球に戻れるという目途はいまだ経っていない。


  ***


 満地球に見とれているうちに、かなり時間が経っていた。

気が付くと、大きな大陸は見えなくなり中央の小さ目の大陸の両側に

青い海が有った。


右側の海も、もうすぐ満地球の向こう側へ回り込もうとしている。

—— さっき見えてた大きな大陸に住んでたら……今は夜なのか? —— 

何かとても大事なことが分かりかけた気がしたが、それが何かは分からない。


—— 眠くなって頭が回らないからか? 今何時になったんだろう? —— 

レストランの時計を見ようと後ろを振り返り、ケンイチはハッとした。


 今まで当然のように一日が二十四時間なのを何の疑いもなく生きてきた。

月には約十四日間の昼と約十四日間の夜が有るだけで、

月面上には一日を二十四時間で過ごす理由は何も無い。


 いまこの真上に見える地球の自転が二十四時間であり、

その地球で生まれた人類は、その一日二十四時間のリズムで生活するのが

当たり前だから、月やコロニーの一日も二十四時間と決められているのだ。

—— そうだった —— 


 小さいころ習ったかもしれないが、全く実感が無く、理解できて無かった。

そう言えば、この月の時刻は地球のグリニッジという場所を基準にした

標準時で決まっていると習った気がする。

もちろんグリニッジが地球の何処なのかは覚えていない。


 月の時刻ではもう夜中だし、自分もかなり眠くなっている。

おそらく、真上に見えている明るい範囲ではなく、地球の向こう側……

つまり地球の夜の部分に有るに違いない。


—— 自分のこの体も、あの地球と同じリズムで一日を刻んでいたのか —— 


月のバックサイドで生まれ育ち、直に見たことの無かった地球。

その地球と自分の体が、同じ一日のリズムを刻んでいる。


なぜか、涙が一斉にあふれ出した。


なぜこれほど泣いているのか、自分にも分からなかったが、

とても大事なことに気が付いたからだということだけは分かった。

—— あの地球に住んでみたい —— 



次回エピソード> 「第18話 昼と夜」へ続く

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