大統領の視察
突然の来訪者
第12話 アース・フェニックス
鬱蒼とした森林の中に、泥道が曲がりくねって続いている。
アップダウンを繰り返し、時々現れるハンプを跳び越すと同時に、
ハンドルを持ったままサドルから体を上に勢いよく引き挙げた。
膝のクッションを使って衝撃を和らげながら着地をすると、
そのまま マウンテンバイクのペダルを一気に踏み込んだ。
すでに両足に乳酸がたまり、疲労を感じ始めていたが、次の二連ハンプを
一回の跳躍で跳び越せればかなりいいタイムが出るだろう。
ケンイチは足の回転数を上げて、ジャンプのタイミングを見計らった。
「四、三、二……」
強くジャンプしようとしたその瞬間、腕の通信端末の呼び出し音が鳴った。
一瞬気を取られて、ジャンプが中途半端になる。
—— しまった! ——
マウンテンバイクは二つ目のハンプの頂上少し手前への激突コースに
なっている。VRトレーニングマシンの安全装置が働き、プログラムが
強制終了になったが、ケンイチの体制はすでに乱れていた。
片足のペダルを踏み外すと勢いよくマシン内で落車した。
激しい音がしてVRトレーニングマシンの装置が緊急停止したので
アレクセイ・マスロフスキーが驚いてマシンに駆け寄りハッチを開けた。
アレクセイは家族と一緒に基地外に住んでいるが、非番の日もトレーニング
ルームに来て、ウェイトを使った筋力トレーニングを行うことが多かった。
「中隊長大丈夫ですか?」
マシン内でケンイチは無様な恰好であおむけに倒れていた。
サドルで強く打ち付けた左太ももの内側をさすりながら弁解した。
「ありがとう大丈夫だ。通信端末のやろうが突然鳴り響くもんだから、
ジャンプのタイミングが狂ったんだ。何の招集だ? また隕石嵐か?」
「いえ、私の端末には何も招集サインが出ていません」
アレクセイは自分の通信端末を確認しながら答える。
「リーダークラスのみの緊急招集じゃないでしょうか」
アレクセイは大きな手を差し出し、マシン内で起き上がれない中隊長の
腕を掴んで、引っ張り上げた。
「サンキューアリョーシャ。会議は予定には無かったはずだが……」
ケンイチは招集コールへの了解の応答をすると、タオルで体を拭き
ながら念のために基地コンピューターに自機の状態を確認した。
「アマンダ。俺のマーズ・ファルコンはすぐに飛べる状態か?」
「第一中隊長機は燃料水の補充も終わり、現在は宇宙機発着場に
駐機されています」
基地コンピューターの返答と同時に、ホログラム映像で宇宙機発着場の
風景が写った。ただのミーティングの招集なら、別に自機の様子を確認する
必要はないのかも知れないが、パイロットとしては、何かあったらすぐに
飛び出せるのかどうかは知っておく必要がある。
タオルで頭を拭きながら、ちらっとホログラム映像を見た時に
何か違和感を感じた。
—— あれは何だ? ——
映し出された宇宙機発着場の映像の片隅に、SG4では見慣れない、
巨大なランディングギアがある。
ランディングギアしか見えていないが、かなりの大型機だ。
少なくともこの基地の所属機でない。
「アマンダ。宇宙機発着場の東側にある大型機を写してくれ。
あれはどこから来たんだ?」
「所属は公表されていません」
切り替わった大型機映像を見て、ケンイチは思わずタオルを落とした。
「えっ? アース・フェニックス?」思わず呟いたケンイチの言葉に、
アレクセイもホログラム映像に目を向け驚いた。
「え? あれって、確か……新型の大統領専用機ですよね。
開発中だとというニュース映像で見ただけですが……」
「ああ、間違いない」
ケンイチはそう言いながら、急いでパイロットスーツを着始めた。
—— あれが緊急のミーティング招集の理由に違いない ——
「新型の大統領専用機が、テスト飛行で火星まで来たんでしょうか?」
マスロフスキーののんびりした質問にあきれながらケンイチは答えた。
「テスト飛行の機体が来ただけで、緊急ミーティング招集はかからないし、
その機体の所属が機密情報扱いにもならないだろ?
大統領が秘密裏に火星に来たのかもしれない」
「えっ? 大統領って、この前の選挙で当選したばかりの、
ジャック・ウィルソン大統領ですか?」
ケンイチはパイロットスーツのジッパーを挙げ、急ぎ足で
周回通路に出るドアに向かった。
「彼以外に大統領はいないだろ?」
***
機体整備場は先週の隕石嵐で損傷した機体群の修理がまだ続いていた。
ソジュン・パクは損傷した機体の破損状況を三次元記録カメラで念入りに
撮影したり、機体の破断面のサンプルを保存するためにレーザーカッターで
一部を切り取ったりする作業に追われていた。
ソジュンは整備員では無いが宇宙機工学博士としては、破損した実機は
今後の機体強度向上のための重要な研究サンプルでもある。
机上ではなく現場にこそ宇宙機開発のヒントが有るという信念が有り、
彼はこの一週間、隕石嵐での機体の被害を無駄にしてはいけないという
思いで、当直時間以外はほとんど機体整備場で過ごしていた。
「宇宙機発着場に大型機の着陸が有る。作業員は注意せよ!」
突然、機体整備場内に一斉放送が流れた。
—— なんだ? 物資輸送機が予定よりも早く届いたのか? ——
機体整備場の大扉方向を見ると、何人もの作業員が集まって空を見上げて
指を差している。ソジュンも大扉に近づいて空を見上げた。
ヘルメットのバイザーの偏光特殊ガラスが目を保護するために、明るさを
調整したが、その暗くなった空から激しいロケット噴射が見えた。
—— 輸送機じゃない! 何かが垂直着陸で噴射しながら降下してる ——
逆光で眩しい中に見えるシルエットの輪郭を見て、ソジュンの目は驚きで
丸くなった。大型ロケットのような円筒状のボディー後部には尾翼を備え、
側面の両側には大きな可変翼がある。
今はその可変翼を折りたたんで機体にピタリと寄せている。
明らかに、ニュースで見たあのアース・フェニックスだった。
—— 嘘だろ! ——
慌てて三次元記録カメラのレンズを空に向ける。
録画開始した直後、大型機は姿勢制御用のジェット噴射をしながら
宇宙機発着場上空で、ゆっくりと回転して水平姿勢に移ろうとしていた。
—— なんてこった! バカデカいのにあんな動きができるのか? ——
胴体にピタリとつけていた可変翼を少し開いて、その先端からも姿勢制御用
の噴射をしている。その両翼からの噴射で左右の傾きを調整しているようだ。
水平姿勢になると、そのまま下降を続けた。
降りてくるとさらにその巨大さが際立つ。
機体下部からランディングギアーを出し、最終着陸状態に入った時、カメラを
持つソジュンの腕の通信端末がビービーと鳴った。
***
ソジュンはタブレットを片手に会議室に入った。
すでに会議室中央付近に着席しているケンイチの横に座ると、
タブレットでアース・フェニックスの着陸動画を見せた。
「ケンイチ。これ何だかわかるか?」
「あっ! お前アース・フェニックスの着陸見たのか?俺にも教えてくれよ」
「いや~、突然来るもんだからさぁ。驚いちゃってこれ録画するだけで
精一杯だったんだぜ」
動画に夢中になっている二人の後ろからマリーの声がした。
「こそこそと何の動画を見てるの?
まさか、いやらしい動画じゃないでしょうね」
マリーの方に振り向いたソジュンは口を尖らせて文句を言った。
「いやらしいなんて失礼な! 大スクープのマル秘映像だぞぅ。
人類最速の超デッカイ美人が映ってんだ」
そこに、会議室前方のドアが開き、アルバート・ヘインズ司令官が
急ぎ足で入室して来たので、ソジュンも前を見て姿勢を正した。
司令官は会議室を見渡し、演説台の小モニターの出席者リストを見た。
隊員達が付けている通信端末を検知し、出席者リストが自動でモニターに
表示されている。遠隔地のものはリモートでの参加だったが全員が集合して
いることを確認し、ヘインズ司令官は大きく息を吸うと言った。
「端的に言う。新型の大統領専用機でジャック・ウィルソン大統領が火星に
到着した。大統領の行動予定は秘密情報のため、皆にも事前に伝えることが
できなかったのだ。突然の招集となり大変申し訳ない」
そう言いながら司令官がモニターを操作すると、宇宙機発着場の映像が出て
アース・フェニックスが映し出された。会議室に大きなどよめきが起こる。
そもそも世界政府の役人は、地球圏の月やコロニー群にしか目を向けず、
火星を始めとする太陽系のあちこちに移住している人々への関心は低い。
大統領はおろか大物政治家が火星に来たことは、これまで無かった。
それが、着任早々に新大統領が新型大統領専用機アース・フェニックスで
火星に来たというのだから、皆が驚かないはずはない。
「この異例の大統領の火星訪問は、地球圏との格差を無くしたいという
彼の政治信念によるものだ」
司令官はまだ状況を呑み込めていない会議メンバーを見渡し説明を続けた。
「皆も知っているように世界政府の政治姿勢に不満を持つ者も多いから、
大統領の警護がとても重要になる。これから大統領の行動予定と警護の
役割分担を説明する」
会議室はまだざわざわしていたので、司令官が咳ばらいをして続けた。
「到着した新型大統領機アース・フェニックスの機体名は<シカゴ>だが、
大統領機の機体名はセキュリティーの関係上一般には公開されていない。
よって部隊外秘情報だ。注意して欲しい」
司令官がドア近くにいた保安部隊隊員に合図する。
保安部隊隊員がドアを開けて大統領一行を招き入れた。
ヘインズ司令官が拍手を始めると、隊員達も拍手で迎え入れた。
先頭になって勢いよく入室して来た女性を、ケンイチはニュースで
見た覚えが有った。ただ、名前は思い出せない。
続いて入室したジャック・ウィルソン大統領は、長旅の疲れが見えるが、
ドアを開けた警備担当に会釈して通る姿は好感が持てる紳士的な振る舞いだ。
世界政府の大統領としては、史上最も若い五十一歳という年齢であり、
髪も黒々とし若々しい、よぼよぼのしかめっ面の前大統領に大差をつけて
選挙に勝ったのもわかる。
—— 大統領になっても偉ぶらず、優しい目つきなのはいいな ——
大統領の後ろから続いて、SPが二名入室したが、大統領とは対照的に
鋭い目つきで会議室内を見回しながら、隙の無い身のこなしで演台の後ろの
ほうに進んだ。
会議室の全員が、大統領は演台で挨拶をするものと思っていたが、
大統領は、にこやかな笑顔でそのまま演台の前を通り過ぎて行く。
奥にいたアルバート・ヘインズ司令官までつかつかと歩み寄ると
強くハグをした。「アル。久しぶりだなぁ。会えてよかった」
ヘインズ司令官のほうもとても嬉しそうでは有ったが、やや困った感じで
ハグされているまま大統領の肩をポンポンと叩きながら答え、
大統領の体を演台のほうに向かせた。
「ジャック。まずは先に皆に挨拶だ」
大統領は頭を掻きながら演台の所に戻って挨拶を始めた。
「大変失礼しました。SG4の皆さん初めまして。
世界政府大統領ジャック・ウィルソンです。実はアルバート・ヘインズ
司令官と私は幼馴染で兄弟のように育ちました」
会議室のメンバーは初めて知らされた司令官と大統領の関係にざわついた。
「私は以前から大統領に就任したら、まずは地球圏の他の都市やコロニー
ではなく、火星を訪問したいと思っていました」
その後、大統領は自分の政治信条としては、月や地球圏のコロニーでしか
生活をしたことのない者が、太陽系各所に広がった人々の生活の実態を
知らずに、良い政治を行うことはできないと思っていると説明した。
よって、就任したら、まずは月の次に移住人口の多い火星を訪問した
かったのだと説明した。
また就任してすぐに来る予定だったが、新型大統領機の最終飛行テストが
一週間ほど伸びた関係で、来るのが遅れたことなどを残念がっていた。
先週の火星を襲った大規模な隕石嵐については、旅路の途中で聞いたが、
住民やSG隊員にも人的被害が出たことを聞き、心を痛めていたと話した。
そして、旅路の途中では有ったが、被害を受けた都市の復旧のために、
支援物資や機材を月から大至急送るよう、すでに手配したと報告した。
挨拶の最後には、火星に到着したばかりにも関わらず、大統領は今日この後
すぐに被害の大きかった<ペルガモンシティー>へと慰問に行きたいとの
意向を示した。
大統領の真っ直ぐに隊員達を見つめて話す姿勢や、火星の人々と真剣に
向き合い、助けたいという言葉は、集まった隊員達の心をつかむのに十分で、
大統領が演台から下がる時には、大きな拍手が始まっていた。
次回エピソード> 「第13話 第一中隊への指令」へ続く
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