遺影_2

 アミがいじめられるようになったのは、中学一年生になってすぐの頃だった。まるで他人事みたいだけど、虐めているのは僕だ。僕を含めリュウを筆頭にしたグループが虐めている。アミと僕は同じ学区に住んでいた。小学生の頃、学校の近くに変質者が出たか何かで集団下校になった時、同じ帰宅グループに分けられたのをうっすらと覚えている。アミは僕と同じタイプの人間だ。僕は明るいし、成績も良い。部活もちゃんとやっている。一見すると似ても似つかないけれど、根本が同じなのだ。運がなかった。不幸なくじを引いてこの世に生まれた。そこだけはは共通していた。大人がどれくらいの金を稼げば、子を持ち親になれるのか僕には分からない。けれど、僕の親もアミの親も程度の差はあれ、貧しいのだ。

 明確にアミの存在を認識したのは中学の入学式だった。教室に集められ、皆慣れない新品の制服に、着こなしが正しいのか分からず不安そうな身体を窮屈に押し込んでいた。僕とアミだけはまるで部屋着のまま登校したように緊張感がなく見えた。古い制服は生地の表面にある産毛のような細かな繊維を全て失っていて、蛍光灯の光をテカテカ反射する。兄姉の使っていたお古の制服を着ることはよくあることなのだろうけれど、僕のは同じ団地に住む父の知り合いから兄が譲り受けたものだった。ブレザーの袖口そでぐちは糸がほつれていて、手首を締め付けるように絡んだ。前についている二つのボタンはよく見ると、皆が着ているものとはデザインが違っていた。僕だけが未来に向けて歩み出す資格のない人間だと名指しされているように思えた。そしてそれはアミも同じだった。

 僕は入学初日にリュウと仲良くなった。リュウは僕の後ろの席に座っていた。野球のクラブチームに所属していて、入学式にもかかわらずパンパンに膨らませたエナメルバッグを床に乱雑に置き、通路をふさいでいた。担任の自信なげな若い女の先生が自己紹介をしている間、リュウは僕にずっと話しかけてきた。気持ちの緩みがリュウを中心に教室全体に広がっていき、雑談の声がどんどん大きくなった。まるでリュウが号令をかけて、指示を送ったみたいだった。コウジとタケルは他のクラスに居たのだが、リュウが子分のように連れていた。小学生まではリュウと同じリトルリーグのチームに所属していたらしかったけれど、二人は中学の軟式野球部に入部することになっていた。なぜリトルリーグからの友人の輪に僕の居場所が出来たのか未だに分からなかった。

 僕はずっとアミが気になっていた。同じ境遇にいるであろうアミが誰と友達になって、どんなことで笑うのかを知りたかった。けれどアミは友達らしき友達は一人も作らず、クラスでも地味な女子の輪に居ても居なくても何ら変わりない距離感でくっついているだけだった。テストのたびに発表される高得点者に名前があがることもなかったし、何か部活に打ち込んでいるというような覇気も感じられない。僕はアミを腹立たしいと思うようになった。貧乏なはずのくせに、特に人より努力していない、あくまでその他大勢の生徒の一人というような態度が面白くなかった。

「お前、いつもアミの方見るよな。ブス専なんだろ?」

 新生活の特別感が薄れ始めた五月の頃だった。国語の授業終わり、リュウは突然僕を茶化すように言った。額からこめかみにかけて圧迫されて出来た細かな線が刻まれている。

「ブス専じゃないよ」

 説得力のない返事だった。僕はそんな風に人をおとしめるような言葉遣いに慣れていなかった。そういう粗暴な友達はリュウだけだった。

「ブス専はな、自分はブス専じゃないって言うんだよ。だってブスが可愛く見えてるんだからな」

 リュウの指摘は変に鋭かった。これ以上言いよどんでいればブス専と認定される。そしてなによりアミに恋心を抱いていると言いふらされる危機感から、僕はとっに、

「アミの家って貧乏だろ、好きになる訳ないよ」

 そう口をついた。確証はなかった。制服が僕と同じようにへたっているというだけの直感だった。

「マジで? アイツ貧乏なの?」

「うちも人のことあんま言えないけどさ、アイツの家めちゃくちゃ貧乏だよ。だって、給食費払ってないもん」

 僕の家は給食費を払っていなかった。だからそう思ったのだ。父はどうせタダだから学校でいっぱい食べてこいよといつも僕に言う。きっとアミもうちと同じだと思ったのだ。

「マジかよ、オレ達がアイツの食う飯の分も払ってるってことかよ。サイテーだな」

 リュウはまんまと僕の口車に乗せられ流された。勝ったと思った。

 リュウはこぶしをアゴに当てて、いかにも考える人、といったような仕草をしばらく続けた後、

「アミがどれくらい貧乏なのか確かめに行こうぜ」と言い出した。

 思ってもみない方向に話が進み出して、僕は表情が上手うまく作れなかった。鼻の横あたりの小さな筋肉がピクピクと震えているような気がした。僕がそれ以上何を言ってもリュウは聞かなかった。不運にもその日はクラブチームの練習がオフだった。

 帰りのホームルームが終わるとリュウはすぐに教室を飛び出し、子分二人を連れ立って戻ってきた。アミが足が無い亡霊のように教室から外に出て行くのを見届け、リュウは、

「それではこれよりナガオアミの尾行を開始する」と言って敬礼した。階段を下りるアミをリュウが目視で確認しては、僕達も少しずつ進む。昇降口にアミが到着すると、リュウは少し離れた床にいつくばって下駄げたばこの下からアミの足を見ながら、まるで犬を制するように平手を突き出した。リュウのGOサインが出ると僕達も急いで靴を履き替え、外に飛び出す。探偵ごっこに酔った三人は姿勢を低く保って走り、僕もそれに付いて行った。尾行されていることも知らずに歩くアミを僕達は追った。後ろから見るアミはまるで首をねられた人が歩いているみたいだった。きっと今の僕の後ろ姿もそうなっているのだと思う。リュウの蛍光オレンジのスニーカーの動きだけを目で追って歩いた。しばらく付いて行くと僕の団地にも程近い急勾配こうばいな坂に差し掛かった。見通しの良い坂の角に隠れながら僕らも進む。坂を登り切るとまるで知らない街の片隅に置いていかれたような錯覚に陥った。その通りの並びにある家の前でアミは立ち止まった。錆びたトタンがまるで生き血を吹き付けたような小さなあばら屋だった。僕は大変なことをしてしまったと思った。自らの腹を裂くような気分だった。アミがその家に入っていくのを見届けると、リュウは両隣に居た僕とタケルの肩を支えに何度も跳び上がり、

「ほんとだったんだ。すげぇ」と未知の化石を掘り当てたみたいな顔で喜んだ。

 リュウに目の前まで行って見てみようと言われ、行ってみると、車道にはみ出しているのではと思うほど敷地ギリギリまで壁のある二階建ての家だった。ドブ川をさらって川底から出てくるようなボロボロの自転車が三台壁沿いに置かれていた。二階の窓を見ると網戸は破れ、窓枠に付いた手すりは部屋の中から体重を浴びせかけたようにひん曲がっている。木枠にガラスが張られた引き戸は割れた箇所をガムテープとボール紙で留めてあった。団地に住む僕でさえ哀れな家だと思った。リュウがスマホで写真を撮っていると、子分の一人のタケルが急に「おわっ」と声を出すので、駆けつける。二階の小窓。使い古したぬいぐるみみたいな毛並みの猫が一匹、まんまるな目でこちらを覗いていた。僕達は監視カメラに映ってしまったような気持ちで、慌てて走って逃げた。

 登ってきた坂を呼吸する間も入れずに走って下った。

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