遺影

ニシダ(ラランド)

遺影_1

 八月二十九日、金曜日。中学生活初めての夏休みは後三日を残すだけになった。防砂林の脇の国道沿いには潮と排ガスでベタつく海風が吹き抜ける。煮出した紅茶色をした夕陽が僕たちの右頰を照らし、同時に顔の上に深い影を作った。ショッピングモールに遊びに行った帰りだった。

 頭髪を短く刈り込んだリュウが、その豆電球みたいな頭を後ろにひねって振り返り、小さな暖色の明かりがふわっとともるように笑った。

「じゃあユウシはアミの遺影を作る担当な」

 僕を挟むように並んでいたコウジとタケルはイェーイと言いながら手をたたいてはやし立てる。

「始業式の日に間に合わせろよ」

 そう言った時には、リュウはもう前を向いて歩いていた。僕の返答を待たずして、合意なく会話は進んでいった。僕は真顔のまま、二人に少し遅れてイェーイとだけ繰り返した。それ以外を口に出すことは許されないように思われた。夕陽は防砂林を焼き尽くすように沈んでいった。


 日が暮れた頃、三人と別れて家に帰った。僕の家は八号棟まである団地の五号棟にある。花壇のあるれん造りの広場の周りを五階建ての建物が車座に並んでいる。国道沿いの入り口から最も離れたところにあるのが五号棟だ。建物から外にり出すように作られた鉄骨を組み合わせた外階段は、吹き付ける海風でびないよう過剰にペンキが塗ってある。原液のブルーハワイみたいな安っぽい青。階段を上ると一面灰色の外廊下が左右に広がっている。一番階段から近いところの家のドアにはしゅりゅうだんのような錠が付けられていた。以前は腰の曲がったおじいさんが一人で住んでいた。この手榴弾のような錠が付けられるのは空室のあかしで、きっとここにもまた新しい住人がやってくる。二階に住んでいる金髪のお兄さんみたいな人じゃなければ良いなぁとぼんやり考えている。僕の住む部屋の一つ手前にある411号室の家の前には大量のビニール傘がひもにくくられ、立てかけられている。夏になるとそのビニール傘の内側にまった腐った水に、ボウフラが湧く。毎年のことだった。部屋の前に着き、かぎを取り出そうとリュックを探っていると、ドア越しに僕の気配に気がついたのか、母が鍵を開けてくれた。

「おかえり、ユウシ」

「ただいま」

 夕飯の支度の途中だったのかエプロンを着けたままだった。僕が小学五年生の頃、家庭科の授業で作ったエプロン。迷彩柄に英語の筆記体でプリントが入っている。せっかく作ってくれたからと言って母は大事そうに使い続けている。新品を買えば良いのに。古くて汚いエプロンで作るご飯は不味まずそうに思える。ベランダの方を見ると薄いレースのカーテンの奥に煙を吐く父が立っていた。

「サエコとタツニイは?」

「サエコはそこで寝てるでしょ」

 二つ歳の離れた姉のサエコは、イヤホンで音楽を聴きながらソファーにうつ伏せに寝転び、アイスのプラスチック容器をくわえていた。

「タツヤはバイトだから、もうそろそろじゃない?」

 リビングの隅に置かれている立ち枯れた木のようなポールハンガーに自分のリュックを掛ける。ソファーは姉が占領しているし、まだ夕飯の出ていない食卓につくのは無言の圧力をかけるようではばかられた。カーペットの敷かれていない床に座った。遺影を作るには、まず何が必要なのか考えていた。僕はまだ葬式に行ったことがない。実物の遺影なんて見たことがなかった。遺影を作れっていうのは額縁を用意しろということなのだろうか。

 考えているうちに僕は床に仰向けになっていた。しばらくすると、外廊下からかすかな振動が伝わってきた。振動は徐々に足音に変わり、ぴたりと止まった。母はドアを開けには行かなかった。タツニイと母は最近少し険悪らしかった。タツニイは大学受験のせいで反抗期が終わらないらしい。父にそう愚痴っているのを何日か前に耳にした。

 かかとを擦り合わせるように靴を脱ぎ、廊下を抜けリビングに入ってきたタツニイは誰に向けて言うわけでもなく、ただ部屋の空間に「ただいま」とだけ言い捨てた。母は僕が帰ってきた時とは明らかに違う態度で、料理をしながら目線を動かすことなく声のトーンだけを取り繕い、おかえりとつぶやいた。ベランダの方を見ると手すりに腕を乗せて外をのぞき込むような姿勢で携帯を耳に当てる父が見えた。

 タツニイはリビングから自分の部屋に入っていった。サエコとタツニイには自分の部屋がある。あるといっても部屋は共用で学習机が二つ背中合わせに置いてあるだけだ。寝そべっていた僕は立ち上がり、タツニイを追って部屋に入った。

「タツニイ、スマホ貸して」

「スマホで何すんだよ」

 タツニイはポロシャツを脱ぎながら答えた。ぶっきらぼうな返答だけど、こういうしゃべり方がタツニイの中で流行はやっているだけで悪意は感じなかった。

「調べ物したいだけ、すぐ返す」

「YouTube とかあんまり見んなよ」

 そう言ってスマホについたコードを引き抜いて僕に手渡した。タツニイはいつもスマホを貸してくれる。小さい画面を僕の前に差し出して面白い動画があるとよく見せてくれた。家族で僕だけがスマホを持っていないのをあわれむようでもあった。

「ごめん、ありがとう」そう言って部屋を出た。床に座り直して小さな液晶を人差し指ででる。ほんの少し立ち上がっていただけなのに、僕の体温の痕跡こんせきはもう床からさっぱり消えていた。

『遺影 作り方』で検索すると、遺影用の写真を作ってくれるカメラの会社のホームページや葬儀会社の遺影に関するQ&Aを載せたページが一覧に表示された。アミの写真なんて一枚も持っていないし、そもそもこの大きさの写真をどうやって用意すれば良いのだろうか。次に『遺影 額縁』で検索するとショッピングサイトの画像が横並びに映し出された。写真の入っていない黒い額縁が横に三つと半分並んでいる。死のにおいがしない清潔な額縁だった。どれも二千円くらいだったが、僕にそんな大金の持ち合わせはないし、ショッピングサイトも使えない。

「じゃあ遺影ってどう作れば良いんだろ」そう一人で小さく呟いたけれど、なんで僕がアミに遺影を作るなんて酷い仕打ちをしなければならないのか、まず考えなければならない気がした。けれど考えるのが億劫おっくうだった。キッチンにいた母は僕の独り言を聞き取りきれなかったからか、まゆをふわりと持ち上げて目を見開きこちらを見ていた。

 スマホに目を移すと充電が切れたのか、縦長の四角い暗闇の奥に表情のない僕の顔が映っていた。

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