第55話 水瀬杏の初恋

今から6年前小学3年生の時、水瀬杏はクラスメイトからイジメを受けていた。


最初は小さい事だった。消しゴムを机の中に隠されたり、筆箱を開けたままひっくり返したり。些細な事だが他人がワザとしているのはよくわかる。水瀬杏はやり返したりする事はなかった。問題になるのがめんどくさいからだ。すぐに飽きるだろうと思っていたが、相手は何もしてこない水瀬杏に腹が立ちいじめはエスカレートしていった。


ついには『ブス』『バカ』などと机の天板にラクガキ帳のように書かれた。鉛筆で書かれている為目立たないがその机に座る水瀬杏にその言葉が全て突き刺さった。この時水瀬杏は涙を我慢しながら消しゴムでラクガキを消した。


そしてその日の下校時、水瀬杏は泣きながら家に帰った。今まで耐えてたのが凄いぐらいだ。その時私は初めて学校に行くのが嫌いになった。これ以上イジメられるのが怖かった。でも親にも先生にも言う勇気がなかった親や先生に何と思われるか分からず怖かったのだ。


「ねぇねぇ、どうして泣いてるの」


その時だった。1人で帰ってる水瀬杏に声をかけてくれた男の子がいた。心配そうな顔で水瀬杏の顔を見ている。


「…別に泣いてないし」


水瀬杏は手で涙を拭き分かりやすい嘘をついた。目の横は擦ったせいか少し赤くなっている。


「嘘つくなよ。目真っ赤だぞ」


男の子はストレートに言った。小学生なので気を使うのも難しい頃だろう。


「…ほっといてよ」


水瀬杏はその男の子を遠ざけようとする。泣いてる理由を聞かれたくなかったのだ。


「いやいや、泣いてるの女の子をほっとく訳にはいかないよ。何があったの?僕が助けてあげるよ!」


その時の男の子は事情を知らず助けれるかも分からないのに助けると言ってくれた。本来ならそれでも話さなかっただろう。

でも当時の水瀬杏の心はその言葉に救われた。その言葉が傷ついてたここを癒してくれた。救われた気分だったのだろう。


「ねぇ、君の名前は?」


水瀬杏は男の子に名前を尋ねた。


「僕か?僕は波原湊。君の帽子を見るに同じ学校かな。今は3年生」


男の子、当時の波原湊は元気そうにはそう答えた。


「そうなんだ。なら湊くん私を助けて」


水瀬杏は堪えていた涙が溢れ出した。もう限界だった。これ以上は耐えられなかった。

水瀬杏は助けてほしかった。


「私を…いじめから守って」


心からの言葉を波原湊に伝えた。少しスッキリした気分だった。

水瀬杏はなぜ、家族にも先生にも言えない事を初めて知り合った同級生にすんなりと話してしまったのだろうか。


その言葉を聞いた波原湊は被っていた黄色の目立つ通学帽の上から頭を優しく撫でた。


「いじめか。しんどかったね、辛かったね、大丈夫僕に任せて」


なぜ悩む間もなく即答できたのだろうか。まるで困ってる人を助けるヒーローみたいだ。


「本当に?」

「任せて。君みたいな可愛い子をいじめるバカは僕が成敗する!」

「あの…暴力はダメだよ」


小学生なりのかっこいいセリフを言った波原湊だが水瀬杏の正論に沈黙する。


「…君って優しいんだね。大丈夫僕も暴力は嫌いだから」


水瀬杏はその後いじめてくる子の名前を言った。そして波原は水瀬杏を家まで送ってくれた。小学生なりにしっかりと気を遣ったのだ。

水瀬杏はそれでも怖くて次の日は学校を休んだ。一日で変わる訳がないと思っていた。

そして次の日になって恐る恐る水瀬杏は学校に登校した。イジメの事が広まってないか心配だった。しかし特に変化はなかった。そして急にイジメられていた子たちに校舎裏へ呼び出された。

今まで以上の恐怖が水瀬杏を襲った。やはりあれだけ大口を叩いていても結果は変わってはいなかった。

初めての直接的な行動に私は身構えてた。本当に怖かった。しかしその心配は杞憂で終わる。


「今までごめんなさい。謝って許されないとは思ってる。だから、殴りたかったら殴って」


イジメてきた人達が次々とこの様な言葉を発した。水瀬杏は理解が追いつかなかった。あの子、波原湊が変えたのだ。1人の女の子の運命をたったの1日で変えたのだ。


(大丈夫だよ。私は気にしていない)


水瀬杏はそう答えようと思った。しかしそのままだと今まででと一緒だった。我慢してるだけだった。水瀬杏自身だって思ってる事は沢山あった。でも怖かった。言ったら逆に何か言われると思った。でも私は言う事にした。あの子、波原湊が背中を押してくれた気がした。


「暴力はしないよ。まぁ反省してね。後、また虐めてきたら分かってる?今度は先生に言うからね」


私はここで初めて相手に対して強く出る事ができた。それも波原湊のおかげなんだろう。これで水瀬杏のイジメ問題は終わりを告げた。


水瀬杏はその後、波原湊にお礼を言おうと思い、放課後話しかけた。


「あの…ありがとう湊くん」

「おう!あいつらにビシッと言ってやったぜ!」


波原湊は胸を張り、元気よく言った。


「凄いね湊くんは、カッコいいよ」

「そうか、でも当然の事をしただけ」

「なぜ、私の事を助けてくれたの?一昨日あったばっかだよね」

「う〜ん、そうだな〜。強いて言うなら小さい頃にあるお姉さんに助けてもらった事があるんだ。迷子の僕のために一生懸命お母さんを探してくれた。その事を強く覚えているから僕もあの人みたいになろうって思ったんだ」

「そうなんだ」


水瀬杏はここで話が終わるのが嫌だと感じた。もっと波原湊と話したい、知りたいと思った。


「お〜い。今日は私の家でゲームだよ〜」

「早くしないと置いていくぞー!」


その時遠くから男の子と女の子が彼を呼んでいた。水瀬杏の願いは叶わなかった。


「ごめん。呼ばれてるから僕はもう行くね」

「うん大丈夫。ごめんね忙しい時に」

「おう、また話そうぜ。じゃあな」


彼が手を振っている姿を水瀬杏は鮮明に今でも覚えている。


その後私は彼とは一度も話していない。何度も話しかけようとしたけど恥ずかしくて自分から話しかけれなかった。今までにない感情が水瀬杏には溢れていた。

そう、その時には水瀬杏は…


波原湊を好きになっていた。


水瀬杏の初恋だった。


………………………………………………………


「ねぇねぇ小学生の頃って好きな子いた〜?」


天音祈凛はポテトを摘みながら促す。今は放課後近くにファーストフード店の端の席でポテトを食べている。


「私はいなかったかな」


涼風は小学生時代を思い出しながら答えた。


「杏はどうだった?」

「わ、私!?」


急なフリに驚きつつ思い出す。しかし思い出す必要はない。水瀬杏は今でも鮮明に覚えているから。


「私は……居たよ」


天音祈凛と涼風の視線は水瀬杏に向いた。特に天音祈凛は目が輝いてる。


「「詳しく!」」


詰められても水瀬杏は答えなかった。話せるものでもない。


「嫌!これは私だけの思い出だから。2人だったとしても教えない」


滅多に見せない恋する乙女のような表情をした水瀬杏を見た2人はすぐにスマホでカメラを起動する。


「撮らないと!こんな顔2度と見られないかもしれない」


しかし、撮ろうとした時にはいつもの水瀬杏に戻っていた。


「早く食べないとポテト冷めちゃうよ」

「どんな筋肉を身につけたらあの表情から通常運転にこんな早く切り替えてれるの……?」


天音祈凛と涼風はスマホを机に置き再びポテトを食べ始める。


「どんな子だったの〜?」

「だから教えないって」




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