第3話 涼風紬の美しき湯切り
「ん?お前ら知り合いか?」
「同じ高校で同じクラスですよ。て言うか、高校の名前聞いた時に気づかなかったんですか?」
「あ、そういや・・・聞いてなかったわ」
店長はそう言いながら笑っている。普通に笑い事でもない気がするが、僕は今それどころではない。
同じクラスだけど全く関係を持っていなかった涼風紬とバイト先が同じになった。更に、学校との涼風紬と性格が全然違う。単純だけど理解は追いつかず頭はショートしそうになる。
「波原くんバイト合格おめでとう!この涼風先輩になんでも聞いてね!」
「わ、分かりました」
「よし、それじゃあとりあえず開店準備するぞ!涼風は早く着替えてこい!」
「はーい」
涼風さんはそう言って女子更衣室に入って行った。
「あの店長、僕の制服はどうしたら良いですか」
「そっかお前のないよな。おい黒咲、お前の予備貸してやれ」
「りょーかい。湊くんちょっと待っててね」
いきなりの名前呼び+くんの動揺を抑える。距離の詰め方が早すぎる気がする。いやぼくが知らないだけで、大学生はこれが普通なのか。ここに来て『ぼっち』の弊害がでている。
トートバックの中を漁ってたら、黒色Tシャツと、頭に巻く黒色のバンダナ、そして腰に巻きつけるタイプの黒色のエプロンが出てきた。全て『天の台所』のロゴが入っている。これぞラーメン屋の制服って感じが伝わってくる。
「とりあえず湊くんの制服が届くまではこれを貸してあげる」
「ありがとうございます」
「うん、もう1人の私だと思って大切にして」
「わ、わかりました・・・」
制服を受け取り、女子更衣室の隣にある男子更衣室に入る。
Tシャツに袖を通し、バンダナを付けて、腰にエプロンを巻く。バンダナをつけるのは小学校の調理実習ぶりだったので上手に結ぶのに時間がかかる。
男子更衣室を出ると誰もいなかった。耳を澄ますと店の方から音が聞こえてくる。もう準備が始まっているのだろう。
「お、波原!中々似合ってるじゃねーか」
「ありがとうございます店長」
「私のだからって家で匂い嗅いだらダメだよ」
「そんな事しませんよ」
「冗談だよ」
黒咲先輩は「フフッ」と笑っている。黒咲先輩の冗談は冗談に聞こえないから慣れるのには大変そうだ。
「じゃあ今日は厨房を覚えて貰うぞ。詳しく事は涼風に聞いてくれ」
「わかりました」
よりによって、涼風紬に教えて貰う事になるとは。正直に言うと凄く気まずい。恐らく向こうも同じだろう。
吹き抜けの厨房を見ると皿や料理器具を整理している涼風紬の姿が見える。もちろん、僕と同じ制服を着ている。全体的に黒色が多いため綺麗な青色の髪とマッチしてかっこいい雰囲気を醸し出しつつ抜けきらない可愛いさがある。
そしてそんな彼女に声をかけるのが今1番の課題だ。さっきは勢いで話せたが、改めて話すとなると緊張してしまう。
どうしようかと考えつつゆっくりと厨房に入っていくと、涼風紬の綺麗な
「涼風さんに厨房教えてもらえと店長に言われたんですけど・・・」
「うん聞いてたよ。まぁ、私に任せておいて!後、色々聞きたい事あるだろうけど、質問は厨房での仕事を教え終わった後ね」
「わかりました」
「いやいや、全然敬語とかいらないよ。入ったの1ヶ月しか変わらないし、同じクラスなんだから」
「いや・・・なるべく頑張ります」
「そう言いながら敬語じゃん」
涼風紬はそう言いつつ笑っている。クラスメイトであっても急に敬語なしで話せるほど僕の肝は座っていない。
聞きたい事は一旦置いといて、今は厨房の仕事を覚える事に専念することにした。
「とりあえずラーメンの作り方とか教えるね」
しょうゆ、塩、豚骨ラーメンのスープの作り方麺の茹で方と時間盛り付けの方法などを教えてもらった。作り方は把握したが慣れるのには時間がかかりそうだ。
「最後にこれを教えてあげる!これの名前知ってる?」
涼風紬の右手にはラーメン屋でよく見る湯切り道具があった。
「これに名前ってあるんですか?ただの湯切りアイテムなんじゃ・・・」
「これはね『てぼ』って言うんだよ」
「へ〜、なんか由来でもあるんですか?」
普通に気になり由来を聞くと涼風紬はゆっくりと視線を逸らしていく。
「え、え〜と・・・それじゃあ『てぼ』での湯切り方法を教えるね〜」
「話そらした」
「何の話かわかりませ〜ん」
話は流され、湯切りの方法を教えて貰う事になった。もう一つの『てぼ』を貸してもらい右手に握る。
「それじゃあまずは私の手本を見せてあげよう!」
そう言うと鍋の中で茹でていた麺をてぼで綺麗に掬う。そして、てぼを鍋の上の方に持ち上げ勢いよく落とす。これがラーメン屋で見るかっこいい湯切りだ。
「どう?これが私の必殺技『ラーメン天空落とし』だよ」
学校での彼女の姿からは考えられない力強く美しい涼風紬の湯切りに、僕はつい見入ってしまう。
更にいかにも小学生が考えそうな必殺技名を付けている。これもまた学校での彼女から想像できない。やはり学校と学校以外では性格が大きく違うみたいだ。
「その〜、流石に
「ごめん・・・とってもかっこいいと・・・思います」
「絶対思ってないじゃん!」
涼風紬は顔を少し赤らめている。彼女も流石に必殺技名を言ったりするのは恥ずかしいのだろう。
「それじゃあ波原くんもやってみよう」
「が、頑張ります」
とりあえず鍋から麺をてぼで掬う。そこまでは順調だ。しかしここからが問題だ。てぼを上から落とす事はできる。てぼを止めることが恐らくできない。なんせ僕の握力、腕力どっちともミジンコ並みだ。普通の女の子と良い勝負ができるか怪しいぐらいだ。家でフライパンを振るのも一苦労だ。なので、てぼが止めれないまま鍋の中のお湯に付くのが目に見える。考えても無駄だと感じ勢いでてぼを振り落とす。
「ふんっ」
気合いが入りつい変な声が出てしまう。てぼは案の定お湯に浸かった。
「気合い入りすぎて変な声出てるよ」
笑いを堪えながら話す涼風紬を見て僕も顔が赤らめる。
「あまり見ると恥ずかしいです」
「まぁ、私もさっき恥ずかしいとこ見られたしこれでイーブンでしょ。まぁ湯切りは初日からできるものではないから仕方ないよ」
彼女も最初はできなかったのだろうか、しかし働いて1ヶ月でここまで美しく湯切りができている彼女も相当練習したのだろう。
「湯切りは徐々に慣れていこうか。さてそろそろ開店時間だね。サイドメニューとかは働きながら教えるよ」
「りょーかいです」
5時になると同時に店長は入口のドアに掛かっている看板をひっくり返し『営業中』にする。
「よっしゃ!今日も『天の台所』営業開始だ!お前ら気合い入れていけー!」
「おーー!!」
元気いっぱいな涼風紬
「お〜〜」
いつも通りの黒咲先輩
「お、お〜」
乗り遅れた僕・・・
「お前ら、統一感ねぇーな!」
こうして僕の初めてのアルバイトが始まった。
そしてここが僕の青春の1ページ目となる。
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