第2話 ずっと続くように
〈ユーキ こと
最初は、バイトをするつもりは無かった。
ただ何となく、どんな喫茶店なのか覗きに行ったら、彼女がいて。
恋に落ちたんだ。
それは、高校二年の夏だった。
親戚の兄ちゃんが一カ月だけホームステイ留学をする事になった。
でも、バイト先を辞めたく無いし、夏だから客も多いし、人手が足りない。だから、自分の代わりに一カ月だけ働ける人間を探すからと、店長に交渉したとか。
それで白羽の矢が立ったのが、俺だった。
俺だってそう暇じゃ無い。
塾も行かなきゃいけないし、あっきー達とも約束があるし。
でも、何となくバイトってどんな感じなんだろうって興味はあったから。ちょっとだけ覗きに行った。
店に入ってすぐ、親戚の兄ちゃんが店長に俺を紹介した。
空いている席に案内され、大人しく座って待っていると、一人の女性が冷水を出してくれた。
「ねぇ、キミ、もしかしてミナミのお友達じゃない?」
俺は一瞬、ミナミって誰だっけと思ったが、女性の顔を見て直ぐに思い出した。女性の「秋山」と書かれた名札を見て、間違いないと気づく。
あっきーの名前は「
「ああ、はい。そうです」
「やっぱり! 一度ウチに来た事あったなぁって思ったの!」
彼女は花が咲く様に、柔らかく微笑んで言った。その笑みが、あんまりにも可愛らしくて、仕草も女性らしくて……。
たった、それだけ。
たった、それだけのことだったのに、俺は一瞬で、恋に落ちた。
その後、すぐに店長さんが来て雑談をしながら面接らしくない面接をして。俺の夏の予定など聞いてくれた。
そしたら、店長さんが「無理言って来てもらうから、フルで働いてとは言わないよ。ただ、昼のピーク時だけでもお願いしたいんだけど、どうかな?」と言ってくれて。
それから週五日、ランチタイムのピークに合わせて、11時から14時までの三時間だけ働く事になった。
あっきー達と遊ぶ時間も確保出来たし、塾もちゃんと問題無く行けた。
始めてのバイトで戸惑うことも多かったけど、サツキさんが色々と丁寧に教えてくれたし、店長とサツキさん曰く、俺は覚えが早いらしくて働きはじて三日で、だいぶ迷惑かけずに動く事が出来た。
仕事は忙しくて大変だったけど、あっという間に時間が過ぎて。意外と自分は接客業に向いているのだと思えるくらいには、楽しく働けた。
あっという間に三週間が経った。
その日は珍しく客の引きが早く、みんなで雑談をしつつ掃除をした。俺が洗い物を片付けているとサツキさんが隣に立って、皿を拭き始める。しばらく黙って作業していたけど、俺はドキドキして皿を落としそうになりながら洗い物をしていた。
狭い洗い場。時々、互いの腕が触れる。
「あと一週間だけなんだねぇ。一カ月と言わず、このまま働いたら良いのに」
サツキさんが、俺の洗ったカトラリーを拭きながら言う。
「あ、これ、ソースがまだ付いてる」
「あ、すみません」
洗いきれてなかった物が入ったカトラリーをケースごと受け取り、再度、全部洗い始める。
「ユーキくんの手、大きくて綺麗だね」
突然、サツキさんがそんな事を言うので、俺の心臓がドンと胸を強く打ちつけて来る。
「ミナミは背が低いせいか、手も小さくて女の子みたいなの。私、どうしてもミナミが基準になっちゃう所があるから、ミナミと同い年のユーキくん見てると、全然違うなぁって思って、ちょっと驚くのよ」
確かに、あっきーと俺とでは全然違う。
あっきーと俺の身長差は、15センチくらい違うから。
……いや。恐らく20近くは違う……。あっきーは163と公言しているけど、あれは絶対、ない。160あると言っていたクラスの女子より、少し小さく見えるから。ないな、あれは。うん。
まぁ、ともかく。いつも一緒に遊ぶ四人の中では、俺が一番背が高い。
隣に立つサツキさんをチラリと見る。
サツキさんの身長は、あっきーとほぼ変わりない。ほぼ変わりないのに、何か違う。
あっきーは小動物みたい。ちょこまかしてて、考えている事もわかりやすく、庇護欲が湧く。
でもサツキさんは落ち着いていて、穏やかで。しっかりしてるし、色んな事を知っているから、会話するのも楽しい。いつでも笑顔で頼れるお姉さんだ。
同じ様な身長で、似た顔で。笑い声なんかそっくりだけど全然違う。そもそも、俺はあっきーに恋した事もないし、そっから全然違うのだ。
その日のバイトが終わり、帰り支度をしていると、今日はサツキさんも用があるらしく、途中まで一緒に帰ることになった。
熱いアスファルトに蝉の声が当たって響く。それがさらに暑さを増している気がする。
店を出てから数分も歩いていないのに、ジワリと汗をかく。
「毎年暑さが増すよねぇ」
日傘をさしながら、サツキさんが言う。喉元を伝う汗が鎖骨を通り、襟元が大きく開いた服の中へ落ちていくのを見て、俺はすぐに視線を逸らし、地面に目を向けた。
焼けたアスファルトに俺の影とサツキさんの日傘をさした影が色濃くハッキリと落ちている。俺達の影は繋がっているのに、実際には繋がってなくて。何で繋がって無いんだろ、なんて思って。
きっと、暑さのせいだ。
暑さのせいで、何を血迷ったのか、俺は隣を歩くサツキさんの手を取っていた。
「どうしたの? 急に」
驚き見上げて来るサツキさんに目を向ける事なく、俺は繋いだ手に少し力を入れる。
サツキさんの手は、細くて小さくて、柔らかい。もう少し力を入れたら壊れてしまいそうで。
「サツキさん、彼氏とか居るんですか?」
「え? なに、急に……。本当に、どうしたの? ユーキくん?」
俺は歩みを止める。
サツキさんは一歩足を出した所で立ち止まる。俺に引き留められる様に繋いだ手が伸びる。影とお揃いだ。
俺は影から視線をサツキさんに向ける。
「俺、サツキさんが好きです。だから、もし彼氏が居ないなら、立候補しても良いですか?」
サツキさんは、元々パッチリした瞳を、益々大きく見開く。暑さで頬が赤いのか、俺の言葉を意識して赤いのか、わからないけど。高揚したように赤い頬とぷっくり膨らんだ唇が、妙に色っぽくて。俺は、目が離せなくなる。
「……彼氏は、今は居ない。けど……」
「けど?」
即座に訊く。
サツキさんは瞳を瞬かせ、俺の視線から逃れる様に顔を背ける。
「ユーキくんはミナミと同い年でしょ? という事は、私達は五歳も差があって……。私はもう二十代で、あなたは十代で……」
「俺が二十歳越えれば、年齢差なんて気にならなくなる」
「それは……」
「気になっているのは、年齢差だけ?」
俺の質問に、サツキさんは困った様に顔を下ろし地面を見つめ、何も答えない。
「あっきーと同級生だから、弟に見えるとか?」
自虐的に言ってしまった。自分で言った言葉に、自分で落ち込む。
「弟には、見えないよ……」
囁く様な小さな声。その声を、俺は聞き逃さなかった。
「ミナミとユーキくん、同い年の筈なのに、全然違うんだもん。ユーキくんは、大人っぽくて……。弟みたい、なんて……思ったことないよ」
「……そういう言い方されると、期待するんだけど」
サツキさんが顔を上げる。その顔は、さっきより赤くて、潤んだ瞳が綺麗で……。
「……期待して、いいよ」
その一言に、俺の中の何かが、プチンと切れた。
繋いでいた手を勢いよく引き寄せる。彼女の手から日傘が落ち、俺はそのまま彼女を抱きしめた。
「好きです」
耳元で囁くと、腕の中の彼女が小さく頷く。
「ありがとう……」
抱きしめる腕を緩めると、サツキさんが困った様に微笑んで「ミナミには、まだ内緒にしていてくれる?」と言うから。
「もちろん。誰にも言わない」と言って、サツキさんの頬に触れ、そして頭を撫でる。
「そういう仕草が、大人びてて勘違いする」
と、俺が大好きな笑顔で笑った。
その日から、お互いゆっくり気持ちを育んでいって、今も付き合っている。
最近は、サツキさんも大学の卒論やら就活で忙しくしてて、なかなかデート出来ないけど。
毎日電話したりメールしたりして、たまに会えた時は、もっと俺を好きになる様にと願いながら、ドロッドロに愛し合って、めちゃくちゃ甘やかしてる。
サツキさんと出会った夏から、もう一年が経つ。今年の夏は、あまり会えてないのが、少し寂しい。
考えてみたら、ヨッちゃんには毎日会ってるけど、あっきーとエダやんには会ってないなと気が付いたら、何だか妙な気持ちになった。中学から、ほぼ毎日四人で一緒に居たから、何だか物足りない。
でも、今の俺にとってはサツキさんに会えない方が、ちょっと重症かな。サツキさんが、足りない。
花火大会であっきーの居場所を聞くのに声を聞いたら、禁断症状が出て、どうしても顔が見たくなった。みんなが居るのに、ビデオ通話にして。ほんの数分だけだったけど、満たされた。
ヨッちゃんとエダやんには、サツキさんとの事バラしたけど。あの二人は口が堅いから大丈夫だろう。
花火大会の時、あっきーになんでサツキさんの電話番号を知ってるのかって聞かれた時、一瞬、なんて言おうって思った。
別にもう、内緒にする必要は無い気もするけど、電話番号を知っているだけで、あの驚き様だ。付き合ってる、なんて言ったら倒れかねない。
まだまだお子ちゃまのあっきーには、もう暫く内緒だな、なんて思った。
この先、何年か後。
その時は、あの展望台に三人とサツキさんも一緒に居れたらいいな。
あの日、俺は夜空に咲く花に願いを込めた。
ずっと、ずっと、この関係性が消えないように。この先も続く縁を、ずっと繋いでいきたいと。
まぁ、そんな事を思っているだなんて、アイツらには口が裂けても言えないけど。
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