第223話 全てを捨て去って

 聖女スカディの前に数名の住民たちが姿を見せる。

 彼らは何の罪もない一般人だ。

 虚ろな目でまっすぐにスカディを見つめる。


「くっ! これでは攻撃が……」

「ふふふ。攻撃できないわよねぇ。あなたは聖女。人々の希望の光。どうして住民たちを傷付けられるでしょうか」


 わざとらしく大袈裟に悪魔の女性は声を上げた。

 ぎりり、とスカディは奥歯を噛みしめる。


 このままではスカディは追い込まれる。

 悪魔にとって住民たちの命は軽い。まず間違いなく住民たちごとスカディを襲うだろう。

 そのことを考えて、スカディは俯く。


 ぷるぷると拳を握り締めて、困惑した表情を浮かべる周囲の動物たちに——指示を出した。


「……攻撃しなさい」


 その台詞は、一種の覚悟だった。

 悪魔の動きがぴたりと止まる。


 スカディは鋭い視線を悪魔に向けながら、再度叫ぶように告げる。


「こっちに来る人は全員敵よ! 攻撃しなさい‼」

「ぐる……グルアアアッ!」


 スカディの眷属たる動物たちは一斉に動いた。

 わずかな躊躇を抱きながらも、近づいてくる住民たちを薙ぎ払う。

 当然、強化された動物たちに住民たちが勝てるはずもなく、あっさりと地面を転がって傷を負う。


 その光景を一瞥することなくスカディは地面を蹴った。

 憎悪を募らせて悪魔の下へ。


「ッ。ずいぶんと酷い聖女様ね。ほとんど迷いもないなんて」

「あなたがそれを言いますか!」


 スカディの手にした短剣を警戒してか、悪魔が距離を離しながら鞭による攻撃を行った。

 それを避けながらスカディは走る。


 内心で、彼女は全てを捨て去った。


 苦しみも。

 聖女という肩書も。

 優しささえも。


 全て捨てて、確実に目の前の悪魔を殺そうとする。


 もう聖女に戻れなくてもいい。

 ただこの国を救うために目の前の悪魔を殺す。

 それだけを考えていた。


 その鬼気迫る勢いに悪魔の女性は気圧される。

 単調になった攻撃を躱され、素早い動きで接近してくる鳥に反応が遅れた。


 鳥の突進を受けて地面を転がる。


「かはっ⁉」


 ダメージは大して受けていない。

 すぐに立ち上がれるほどの傷だ。

 しかし、その時にはもう目の前にスカディがいた。


「しまっ——」


 悪魔は咄嗟に魔力で剣を生成する。

 鞭を作り出した能力の応用だ。

 それを構えてスカディに向ける。


 スカディは彼女の動きを見ても止まらなかった。

 振り上げた短剣を——悪魔に突き刺した。

 同時に、悪魔の剣もまたスカディを貫く。


 お互いに腹部に鋭い痛みが走った。

 そして、悪魔の女性が悲鳴を上げる。


「アアアアアアアアア‼」


 甲高い、人とは思えぬ声。

 機械のように壊れた音が周囲に響き、離れた所で様子を窺っていた偽物の聖女やクロエたちの鼓膜を強く刺激する。


 住民たちは声にやられて倒れる。

 スカディもまた、腹に刺さった剣を抜いて後ろに倒れた。


「い、痛い……! 痛い‼ クソッ! 聖女ごときが私に浄化の剣を……!」


 悪魔は忌々しいと言わんばかりに吠えながら腹に刺さった短剣を抜く。


 残念ながらスカディの決死の一撃は、彼女を絶命させるまでには至らなかった。

 神殿に置かれていた短剣にそこまでの浄化能力はなかったのだ。

 それを見抜いていたネファリアスは、戦闘の前にスカディにこう告げていた。


『その短剣は普通の武器より悪魔に効く。けど一撃で相手を殺せるほど強くはない。狙うのは心臓か首。もしくは頭だね。まあ、護身用だから積極的に戦う必要はないんだけど』


 だが、スカディは頭に血が上った。

 本来は時間を稼げばいいのに、無理に悪魔へ迫った。


 ある意味で間違った行動ではなかったが、差し違えるほどの価値はない。

 存在が希薄になった悪魔が、苦しそうに腹を押さえながら立ち上がる。

 倒れた聖女を見下ろし、手にした剣を構えた。


「殺すつもりはなかったけどもういいわ。ムカつくから死になさい」


 彼女は剣を振り下ろす——前に。

 悪魔の腕を背後から伸びた手が掴んだ。




「何をしている、エイミー」


「べ、ベレト⁉ なんでここにあなたがいるのよ⁉」


 現れたのはクリーム色の長髪の男性。

 氷のように固まった無表情でエイミーと呼んだ女性悪魔を見つめる。


「お前に貸した仲間の様子と、今回の件が気になったから来た。なぜ聖女を殺そうとしている」

「そ、それは……」

「作戦では聖女は生かして捕まえておくべきだと言ってただろ。やめろ」

「……わかったわ。怖いからあんまり睨まないで」


 エイミーの殺意が消えたのを確認して、ベレトと呼ばれた男は手を離す。

 エイミーが少しだけ怯えていた。


「様子を見に来て正解だったな。さっさと仲間を呼び戻して聖女と共に——」


 男の言葉は、さらに現れた男の気配で消えた。

 ぴくりとベレトの肩が跳ね、視線が道の先へと伸びる。

 その先にいたのは……一人の青年。


 剣を片手に持った見覚えのない男。

 その男は、倒れたスカディを見下ろして声を震わせる。


「スカディ……そんな……」


 直後、男から圧倒的な殺意と魔力が放たれた。


 咄嗟にベレトは剣を構える。

 エイミーも同じく後ろに下がりながら剣を構えた。


 双眸から静かに涙を流すその男——ネファリアスは、憎しみに塗れた目を二人に向けて言った。




「殺す」

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