第215話 それぞれの覚悟
兵士を殺す。
その言葉に、スカディはもちろん他の二人にも緊張が走る。
俺が言いたい「覚悟」の意味が理解できたのだろう。
彼女たちには、辛い選択肢を迫ることになる。
「殺す、のですか。洗脳されているだけの兵士を」
感情を押し殺すようにスカディが言った。
俺はこくりと頷いて肯定する。
「ああ。彼らは被害者だ。偽物の聖女に操られているだけにすぎない。悪意なく俺たちを襲ってくる。もしくは、植え付けられた悪意を持って襲ってくる。だから、殺す」
彼らにも家族がいる。妻がいて、子供がいるかもしれない。
しかし、俺は容赦なく立ちはだかる敵は殺すつもりだ。
そこに手加減やら戸惑いはない。
スカディたちにそれが耐えられるのか。今、俺はその覚悟を問いかけている。
「……解っていました。少なくない数の血が流れることを」
俯きながらスカディが答える。
彼女の脳裏には、きっと少し前の記憶が蘇っている。
まだ聖女だった頃、スカディの手は清らかだった。何の汚れもない綺麗な白い手。
それが、聖女という役目を解任され、黒く染まった。
体を汚して逃げる日々。
勇者や騎士団長にすら命を狙われる日々。
かつて自分を守る立場だった騎士たちに襲われ、それを殺したあの日。
すでに彼女は汚れきっている。
体の話ではない。心が、精神が、——黒く染まっている。
「聖騎士たちが倒れ、憎しみを私に向けた時から、多少なりとも覚悟はできていました。けれど……恐ろしいものですね。誰かが死ぬというのは」
「完全に同意する。俺も、誰かを殺すのは怖いよ」
父の領地を出る前に殺した盗賊たち。
悪魔に加担し甘い汁を啜ったノートリアスの者たち。
自らの正義のために剣を持った聖王国の騎士たち。
これまで、様々な人間を斬ってきた。
俺は俺なりの正義を掲げて斬ってきた。
だが、あくまでそれは俺の正義にすぎない。もしかすると彼らには彼らの正義があって、それを遂行したかっただけかもしれない。
今となっては無意味な考えだ。死者は蘇らない。
俺が殺したという罪悪感を捨てきれないように、過去には戻れない。
だから、もう止まれないところまで来たんだ。
今度は、ただの犠牲者を斬ることになる。
果たしてそれは正義なのか。俺にも解らない。
スカディの言葉の重みが、ずっしりと右手に圧しかかった。
本当に、人を殺すのは恐ろしい。
「でも、だからこそ!」
スカディが何かを振りきるように声を荒げた。
「だからこそ、私は逃げません! ネファリアス様が背負った十字架を一緒に背負います! 誰に恨まれようと、私はネファリアス様を肯定するでしょう」
「わ、私も! 今更逃げようだなんて思わないよ! 最後まで、死なば諸共だもん!」
「それは縁起が悪いと思うのだけど……リーリエ」
「えぇ⁉ そ、そうかな? それだけ私の決心は固いよ! って意味だったんだけど……」
「ぷっ。ははっ!」
リーリエとクロエのやり取りに思わず笑みが零れる。
くつくつと喉を鳴らして、腹を押さえながら言った。
「そう、だね。できるなら死なずに撤退したいね、最後は。みんなが生きてさえいれば、失敗なんて関係ない」
「わあ! 確かにネファリアス様の言うとおりだ! 最悪、逃げて平穏に暮らせばいいしね!」
「最初から逃げ腰はどうかと思うわよ?」
「むぅ! クロエはさっきから一言余計だよ! 崖っぷちじゃないだけ安心できるじゃん」
「ふふ。ごめんなさい。ただの冗談よ。私もみんなさえいればそれでいい。最後まで、苦しみながら頑張れる気がする」
「じゃあ行こうか。なに、運が悪ければ相手を殺すことになるってだけで、致命傷を避けて動けなくなった兵士を殺す趣味はないさ。それに、なるべく戦闘は避けて奥まで行く」
殺さない保証は当然ない。
鎧を斬り裂いて攻撃する。
出血多量で死ぬかもしれないし、生きていても苦しみは味わう。
その覚悟だけは、していてほしかった。
三人の決意に満ちた顔を見て無言で頷く。
俺は彼女たちとともに走り出す。
道案内はスカディの使役している鳥に任せ、兵士が少ないルート通って偽物の聖女の下へと向かった。
▼△▼
「聖女様。侵入者です」
離宮の一角、聖女の部屋にて鎧をまとう男性が頭を垂れながら言った。
男の瞳は虚ろで光がない。聖女に操られているのは明白だった。
「そう。やっぱり来たのね……ネファリアス」
彼女は薄暗い部屋の天井を見上げ、口角をにやりと持ち上げた。
「残念だわ。あんないい男、他にいないっていうのに。誰も、本当の意味で私の味方にはなってくれないのね」
「あら、私は例外じゃないの?」
聖女の背後から悪魔の女性が姿を見せる。
そばには、「ぐるる」と小さく呻く巨大な化け物がいた。
生身で見るのは初めて。聖女はその気配に、びくりと肩を揺らしながらも答えた。
「ふんっ。あなたと私は利害関係が一致してるだけ。人間と悪魔は仲良くなれない。どうせ、そうなんでしょ」
「……まあね」
平然と答え、二人の会話は終わった。
静かに、聖女は正面扉の奥を見つめる。
報告に来た兵士を帰し、ただ、全てが終わるのを待った。
———————————
あとがき。
書き直すことになった新作「俺の悪役転生は終わってる」。
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