第208話 悪の道

 路地裏のほうから煙が立ち込めてきた。


 明らかな異常事態に、通りに集まっていた住民たちが悲鳴を上げる。


「きゃあああ! な、なに⁉」


「路地裏のほうから煙が上がってるぞ——!」


「火事よ! 火事が起きてるんだわ——!」


 聖女の周りを囲む住民たちは完全にパニックになっていた。


 我先に逃げようとして、他の住民たちとぶつかり合う始末。


 それを見た護衛の騎士、勇者イルゼたちは急いで住民の避難を行う。


「お、落ち着いてください! ただ煙が立ち込めているだけです。冷静に、落ち着いて避難してください!」


 勇者イルゼが声を張り上げて住民たちに話しかけるが、悲鳴と怒声の嵐でなかなか届かない。


 逃げ惑う住民たちの中には、当然、新たな聖女を見に来た子供もいる。


 こんなパニック状態では子供の身が危ない。他の住民たちも気になるが、勇者イルゼは年端もいかない子供たちを優先に助けていった。


 幸いにも、煙の規模は小さい。子供たちは涙を流し叫んでいるので見つけやすかった。


 他の騎士たちも一斉に避難誘導に努める。


 このまま何事もなく終われば、怪我人が数名出るくらいで済むだろう。


 そう思った勇者イルゼは、しかしこの状況に違和感を抱いた。




「そういえば……火元はどこなんだ?」




 子供の一人を通りの外側に出して踵を返す。


 勇者イルゼの記憶によると、煙が最初に姿を見せたのは路地裏のほうだった。避難する住民の中にも、「煙は路地裏から上がっている」という声があったくらいだ。


 気になったイルゼは、残りの避難誘導を他の騎士たちに任せて、火元と思われる路地裏のほうへと向かった。


 角を曲がると、そこには——。


「な、なんだこれ……」


 大量の紙やゴミが一か所に集められ、まとめて燃やされていた。


 中には可燃性の強い物まで見受けられる。


「こんな大量の紙やゴミを一度に燃やしたら、火事になるじゃないか。一体誰が……」


 まるで神を冒涜するかのような所業だ。


 なんせいまは新たな聖女のお披露目の最中。このボヤ騒ぎのせいで住民たちは逃げ、騎士たちも慌ただしく動いている。


 火事さえなんとかなれば聖女のお披露目も続けられるだろうが、これが聖女への嫌がらせだとすると、一度お披露目を中断するしか——。


「ん? 待てよ……」


 そこまで考えて、ふと勇者イルゼは思った。


 この状況、何かがまずい、と。


 現在、通りいた住民のほとんどが煙の届かない通りの外へ逃げた。


 その避難誘導を、聖女の護衛である騎士たちが務めている。


 当然、人員を割かれて聖女の護衛は手薄になり、勇者である自分も馬車から離れていた。


 仮に。仮にこの状況なら、聖女を狙う者がいてもおかしく——。




「ッ! これはネファリアスくんの作戦か!」


 弾かれるように踵を返した勇者イルゼ。急いで路地裏のほうから通りへ飛び出すと、聖女のいる馬車を見た。


 しかし、すでに馬車は破壊された後。


 扉が開き、周りにいた数名の騎士たちが倒れている。


「クソッ! やられた!」


 これらは全て、聖女を捕まえるためのネファリアスの作戦だったのだ。


 まず火事騒ぎを起こし、住民たちを避難させる。


 住民たちが避難する際、騎士たちは彼らの安全のために行動するだろう。少しでも聖女の守りが薄くなれば良し、と考えた。


 おまけに勇者イルゼまで釣れてしまえば、手薄になった馬車を襲撃するのは容易い。


 おそらく、とイルゼは思う。


「僕とエリカが避難誘導を優先することまで考慮された作戦か」


 元仲間らしい作戦だと彼は思った。


 同時に、近くにいたエリカに声をかけてネファリアス——聖女の捜索に乗り出す。




「えぇ⁉ せ、聖女様が誘拐された⁉」


「馬車が壊されてるし、周りにいた騎士が気絶してる。何より……」


 ちらりと馬車に近づいて中を見た。


「やっぱりいない。確実に誘拐されたと見るべきだろうね」


「い、一体誰が……って、まさか?」


「うん。僕はネファリアスくんの仕業だと思う」


「まさかこの騒ぎもネファリアスが?」


「だと思うよ。彼らしい作戦だ」


「そこまでして聖女を……」


「急ごう、エリカ。どうにか聖女を探してネファリアスくんを止めないと。このまま彼を悪の道に進ませるわけにはいかない!」


「……そうね」


 勇者イルゼと騎士団長エリカは、聖女が攫われたことを他の騎士たちに話して走り出した。


 ネファリアスと聖女がどこにいるのかは分からない。それでも、いまはただ動くことに決めた。




 ▼△▼




「……作戦成功だね」


 火事騒ぎの起きた通りから少し離れた場所。人気の少ない路地裏の一角にて、気絶させた聖女を地面に下ろす。


「よ、よかったんでしょうか? 火事騒ぎなど起こして……」


 おろおろと倒れた聖女を見降ろしてスカディが焦る。


 俺はくすりと笑って言った。


「しょうがないさ。当初の予定より住民の集まりがよく、馬車を囲む騎士たちの数が多かったからね。あれは正面から突っ込んでもダメだ。住民たちに被害が出るし、悪魔の野郎も出て来なかったしね」


 今回の作戦はプラン2だった。


 本当の作戦は別にあったが、それを遂行するには難易度が高すぎる。


 そこで急遽、俺が取っておいたプラン2に移行。火事騒ぎを起こして聖女だけを誘拐した。


 後は、この聖女をどう尋問するか。もしくは、現れるであろう悪魔を倒し、罪人の証明をするかだ。

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