第180話 喪失感

「たしかにあなたがわたしに能力を授けてくれたおかげで、馬鹿な聖王国の人間を操ることができたわ。ちゃんと理解してるから、そんな顔しないでちょうだい」


 くすくすと笑いながら聖女はコップをテーブルの上に置く。


 やれやれと悪魔の女は肩を竦めて聖女の対面の席に座った。細く鋭く形を変えた瞳で、じっと聖女を見つめると、


「ならいいわ。あなたを利用してこの胸糞の悪い国をじっくりと落としていく……その計画は、あたしのためのものなのだから」


 自らの掲げる目標を再確認させる。キーは聖女で、それを忘れた場合はこちらが困ると言わんばかりに。


 もちろん聖女は頷く。その話は計画を持ちかけられた際に聞いた。忘れもしない。


「ええ。だからお互いに協力して好き放題やってるの。わたしは生きるために娯楽が必要だし、適当に散財しながら頑張ってるわ。どうせ監視とかしてるんでしょう? なにをそんなに焦っているのかしら。最初からこの計画は時間がかかると解っていたでしょうに」


「……そもそもこの計画は突発的に始まったもの。あたしの都合でね」


「あー……なんだったかしら。知り合いの悪魔さんが殺されちゃったんだっけ?」


「ええ。ノートリアスにいた知り合いがね。彼には期待してたのに、急に連絡が取れなくなって」


「だから急遽代案を用意してこの街を滅ぼすことにした……か」


 聖女が腕を伸ばし、テーブルに置いたカップを再び掴んだ。グラスを引っ張り、傾けて中の液体で喉を潤す。


 ごくりとジュースを飲み干すと、改めて言葉を続けた。


「わたしとしてはラッキーだったわ。なんの変哲もないただの平民の小娘が、その悪魔が殺されたおかげでこうして聖女だもの! 作戦が終わった暁には、わたしも悪魔の仲間入りかぁ」


「まさか人間で悪魔になりたい奴がいるとはわたしも思わなかったわ。昔、この方法で人間を落とすのは不可能に近かったのに」


「そうなの? あんまりにも魅力的じゃない」


「それはあなたが悪意をたっぷり持っているから。普通の人間は葛藤する。そして悪魔にできる人間にはかぎりがあり、たまたまあなたは全ての条件を満たしていた。誰でもいいわけじゃない」


「ふうん……よく解らないわ。けどいいの。聖女だろうと悪魔だろうと、この国の人間全てを従えてわたしの楽園を作る……そのためなら、悪魔にでも魔王様にでも尽くすわ。そっちのほうが断然面白い」


 聖女は笑う。それが正しいことだと言わんばかりに。


 この回答にはさすがの悪魔も、


「人間の中には、時折あなたのような狂った奴がいる」


 と思わざるを得なかった。


 悪魔は敵である人間には容赦しないが、同族である悪魔にはそこそこの仲間意識がある。喧嘩くらいはしょっちゅうしても、決して殺したり裏切ったりはしない。


 それが人間はどうだろう。数があまりにも多く、知能や感情をあれだけはっきりと持っているにも関わらず、仲間同士で争い、殺し、騙し合う。


 悪魔にとってはこれ以上おかしな種族もいない。


「ふふふ……狂ってるだなんて酷いわ。わたしはただ、わたしという個人をこの世界に認めさせたいだけ。そのためなら、他人がいくら苦しもうがどうでもいい。生き物って、最終的にはそういうものでしょう?」


 にんまりと笑顔でそう断言できる彼女に、悪魔の女性は悪魔になれる素質の片鱗を見た。


「……かもしれないわね」


 この先どうなっていくのか。悪魔のほうも少しだけ聖女に興味が出てくる。




 ▼△▼




 場所は変わって王都。


 第3騎士団の宿舎にて、イルゼの大きな声が響いた。


「ね、ネファリアスくんが……連続で訓練を欠席!?」


 イルゼの正面に座る団長エリカが、耳を押さえながら肯定する。


「ええ。部屋に帰った様子もない。というか荷物が減ってる。おそらく彼は王都を出たのでしょうね」


「なな、なんで……!」


「いまの王都は危険だと判断したのでしょ。使者や異端審問官がいるからね」


「でもどこに行くっていうんだい!」


「決まってるでしょ? 元聖女を連れた旅。その果てなんて原点以外にありえない」


「ッ……ネファリアスくんたちは聖王国に?」


「確証はないけど、スカディを聖女に戻そうとしていた彼らが向かう場所はそこしかない。聖王国に行かなきゃなにも状況は解らないしね」


「そんな……」


 イルゼはぐったりとうな垂れながらソファに座り直す。


 本当は自分も解っていた。ネファリアスならそう考えることくらい。だが、それでも認めたくなかった。


 ネファリアスが自分たちを置いて出ていったことに。仲良くなれたと思っていたはずだったのに、と。


「(ネファリアスくんは僕たちじゃなくて彼女たちを選んだ……)」


「なに卑屈な顔してるの」


「ふぎゃっ!?」


 正面にいたエリカにデコピンされるイルゼ。思わず変な声が出た。


 痛む額を押さえながら彼女を睨むと、エリカはやれやれとため息を吐きながら言った。


「ネファリアスくんならきっと大丈夫よ。全てまるっと解決して帰ってくるわ」


「……むぅ。その余裕の態度がムカつく。エリカのくせに」


「エリカのくせに!?」


 本当はエリカだって傷ついた。それは、彼女の赤く腫れた目元を見れば誰だって解る。


 それでも気高く振舞うのは……きっと自分のためなんだろうなぁ、とイルゼは思った。


 イルゼもまた、エリカに感謝しつつやる気を出す。しっかり前を向かなくちゃいけないと。

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