第175話 追う者
「…………」
ぴたりと足を止める。踵を返して半身になると、陽光差し込む森の中を見渡した。
背後にも同じ光景しか広がらない。どこまでいっても自然自然自然。かつて目に焼きついた人の営みはどこにもなかった。
そのことに一抹の寂しさを抱く。
「ネファリアス様?」
俺が歩みを止めたことで、前方の三人がそれに気づく。彼女たちも足を止めてこちらを振り返った。
「ああ、ごめんごめん。ちょっと王都のことを考えてたんだ。今頃は団長たち揉めてるのかなあって」
現在、時刻は早朝の8時を過ぎて9時くらいかな? この時間帯は主に騎士団は早朝訓練に励んでいる。
これまで一度も欠席したことがない俺が、急に早朝訓練に来なくなって団長たちは驚いてるはず。
最初に考えるのは、スカディたちの件。
しかし、それがこれから何日も続き、俺が復帰することはなくなる。その時になったら、二人は俺の不在を悲しむのだろうか?
そんなことをふと考えてしまった。逃げ出したのは俺のくせに。
「そうですね。ネファリアス様は第3騎士団最強の剣士と伺っております。それほどの逸材がいなくなれば、騎士団には痛手でしょう」
「寂しくなったら帰ってもいいんだよ、ネファリアス様」
スカディの言葉にリーリエが続く。
「帰ってもいい?」
「うん。だってネファリアス様は別に犯罪者ってワケでもないし、いまなら戻っても許してもらえるよ」
「……そうだね」
たしかにリーリエの言うとおりだと思う。俺が三人を見捨てて王都に戻っても、歓迎こそされ非難されることはない。手放しで団長も勇者も俺を迎えてくれるだろう。
だが、俺はそれを望まない。
「でも遠慮しておくよ。ここまで来ておいて逃げ出すなんてカッコ悪いだろう? それに、感傷に浸ってるだけさ。信念に変化はない」
思い出すのは少し前の記憶。俺が最初に住んでいた、生活していた場所を捨てた時の記憶だ。
——お兄様。
ちらりと脳裏に妹の姿が浮かぶ。
ああ……マリーの声が聞きたいな。マリーに会ってその体を抱きしめてこれまでのことを話したい。
今頃なにをしているんだろう。しっかりミラと一緒に生活できているかな? 俺を失ったショックで塞ぎこんでいないといいけど……。
ぶんぶんと無駄な思考を、頭と一緒に振って追い出す。
足を止めている彼女たちを見ると、
「……よし。ごめんね、急にセンチメンタルになって。もう大丈夫だよ。さっさと次の町まで行こう。そこで宿でも取って休憩したいだろ?」
彼女たちに魅力的な提案をする。
スカディたちは、
「いいですね! あと一日も歩けば到着しそうですし、楽しみです!」
「で、でも……指名手配されてるわたしたちが町中に入る方法って……」
「あ」
クロエの言葉でスカディが結論に至る。
俺はにこりと笑った状態で歩き出すと、固まっているスカディとクロエを置いてまっすぐ森の中を進んだ。
隣ではリーリエが同じく笑みを作っている。
「いやー、楽しみですね! またあれが体験できるなんて!」
「リーリエは度胸があっていいね。将来有望だよ?」
「本当ですか!? ネファリアス様にそう言ってもらえるなんて嬉しいなあ!」
サクサク。サクサクと雑草を踏み締めながら進む。遅れて背後から二人の女性が走ってきた。
「仕方ありません……よね」
「ええ。これも温かなベッドと屋根付きの部屋のため……」
ぶつぶつと垂れているのは、諦めの言葉か文句か。どちらにせよ、受け入れてくれてよかった。
▼△▼
「…………さて、準備はいい? ミラ」
白い髪を揺らした少女が、赤髪の少女に向かって訊ねた。
答えはすぐに返ってくる。
「はい。全ての荷物はここに」
「でも、本当にいいの? あなたまでついて来ることはなかったのよ? これはあくまで……」
「ご兄妹の問題——とは言わないでください。わたしはネファリアス様に救われた者。わたしを受け入れてくれたマリー様のお手伝いがしたいのです! 必ずやネファリアス様を見つけましょう!」
「ミラ……そうね」
にこりとマリーと呼ばれた少女は笑った。視線を前に移し、広大な森を睨む。
「わたしは努力した……ミラに手伝ってもらってようやく力を得たわ。お兄様に追いつくにはもっともっと力が必要になるけど、いつまでも実家で燻っていられない!」
覚悟を決めて彼女は一歩前に踏み出す。そこから先はごく自然に足が動いた。
彼女マリーの背中をミラという赤髪の少女も追う。その旅先には幸せなどないのかもしれない。だが、それでも彼女たちは行かなくちゃいけなかった。たった一人の最愛を見つけるために。
「待っててくださいね、お兄様。必ずお兄様を見つけて——わたしがずっとお兄様の隣にいるんだから」
二人の瞳に浮かんだどす黒い感情。それを形容する言葉を彼女たちは持たなかった。
ネファリアスの知らないところで、新たな運命の歯車が生まれる——。
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