第174話 逃亡の始まり

「王国を……出る?」


 俺の言葉にスカサハが首を傾げた。


「ああ。スカサハたちはどうせ聖女の座に戻ろうと行動を起こすだろ? だったら、異端審問官が欠けているいまのほうが動きやすいと思ってね。早いか遅いかで言えば少しでもチャンスを掴もう。場合によっては、帰り道で使者たちを襲撃することも考えてる」


「えぇ!? だ、大胆ですね……ネファリアス様は」


 リンディが衝撃を受けて目を見開いた。


 俺の発言はまるで盗賊みたいなもの。平和な日常を過ごしてきた彼女たちにはあまり受け入れられないだろう。


「危険です。相手は王国でも最強と言われる異端審問官。戦力的にはネファリアス様とスカサハしかいないんですよ?」


「むしろ外ならスカサハの能力をフルで使える。俺は充分に勝算があると考えていたけど……」


「危険です」


 再度シロは俺の考えを否定した。異端審問官っていうのはそんなに強いのか。


「うーん……まあ、たしかに相手の戦力が不明な状態で戦うのは俺としても避けたい。異端審問官の強さが解ればいいんだけど……」


「異端審問官は裏の組織。表に出ないためその実力を知る者はほとんどいません。だからこそ恐怖の対象でもあるんですが」


「つまり、現状はやっぱり未知数ってことか……」


 だとしたら俺の計画には不安要素が多すぎる。シロの言うとおり、作戦は実行に移さないほうがよさそうだね。


「でも、だとしても聖王国には向かうべきだ。ここで睨めっこしてるより遥かにいい」


「それはわたしも賛成です! どうせいつか行くなら早いほうがいいに決まってる!」


 ばっと手を上げてリンディが俺の意見に賛同する。シロやスカサハからは否定的な声はあがらなかった。


 二人の顔を見て、


「シロとスカサハも問題ないかな?」


 と訊ねる。二人はこくりと頷いた。


「はい。ここで聖王国の人間に怯えるより、ネファリアス様とともに聖王国へ向かったほうが建設的です」


「じゃあ決定だね、スカサハ。決行や今夜。なるべく急いで外壁を飛び越えるよ」


「あっ……そうでしたね。またあれを……」


「怖い?」


 スカサハの呟きを俺が拾うと、彼女とシロは青い表情で首を横に振った。


 どこからどう見ても怖そうだ。数十メートルほどの壁を命綱も無しに登るわけだからね。気持ちは解るがこれ以外に方法がない。


 逆に言えばこれが確実な方法だ。三人……いや二人には我慢してもらう。




 ▼△▼




 時間は過ぎて夜。


 事前に国を出ることをエリカたちに連絡して——ない俺は、こそこそと黒いローブをまとってスカサハたちと宿を出る。


 今回の行動は万が一を考えて誰にも伝えていない。秘密裏の行動だ。まるで夜逃げをするかのように外壁のそばに寄る。


「いいかいみんな。ここから先は魔物がいる領域を歩きながらの旅になる。覚悟は決まったね?」


「もちろんです。必ず聖女の座を取り戻し、みんなとまた平穏な暮らしをしてみせます!」


「問題ありません。すでに覚悟は決めました」


「うん。この四人ならなんだってできるよ!」


 スカサハが。シロが。リンディが頷きOKを出す。それを確認すると、今一度周りを見渡してから彼女たちを悪魔の手で掴む。


 ぐっと足に力を籠めて跳躍すると、軽やかに壁を蹴って登った。女性たちはリンディを除いてまたしても青い顔をしている。だが二度目ともなるとさすがに声は一切漏らさない。


 静寂を切り裂き、俺たちは真っ暗な森の中に飛び込んだ。




 ▼△▼




「……エリカ」


 ネファリアスたちが王都を抜け出したすぐあと。騎士団長の部屋を訪れた勇者イルゼは、そこで仕事中のエリカに声をかける。


 ペンを持ったままエリカは短く答えた。


「どうしたの」


「ネファリアスくんの件だよ。大丈夫かなって」


「あれだけ反論してたくせにまだ気にしてたの?」


「そりゃ気にするよ! ネファリアスくんは悪くない。僕は本当は彼の仲間になりたかった……」


「けどいまでは険悪って感じ」


「うぐっ……そのとおりだけどもっとこうさ……」


「わたしに優しくしろって言うのは無理よ? 知ってるでしょ」


 さらさらと紙面にペンを走らせながらそう言うエリカ。むすっとイルゼは頬を膨らませるが、エリカはそれを見もしない。


「僕がいろいろ考えて悩んでいるっていうのに……エリカはいつもどおりだよね」


「そう振舞っているだけよ。本当は緊張してる。このまま何事もなく終わってほしいくらいにはね」


「……まあ僕も見つからないに越したことはないと思ってる。今頃はネファリアスくんたちもいろいろ相談してるだろうから、大丈夫だとは思うけど」


「心配なら手伝ってあげたら? 一応、わたしたちは彼女たちがいることを知らない体だし」


「んー……そ、そうだね。それも悪くないね」


 エリカの妙案にイルゼの表情が明るくなった。それなら別に手を貸しても不思議じゃない。知らない体なのだからと言わんばかりに。




 だが彼女たちは知らない。


 すでにネファリアスは、二人に秘密で王都を出ていることを。一度決別した三人がもう手を取ることはないのかもしれないことを……。

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