第87話 それより何より

 勇者イルゼのメンタルコーチが終わると、今度はエリカ団長からのご指名を受けた。


 大事な話ってなんだろう?


 すでに勇者のメンタルはそこそこ回復した。恐らくなにかしらの原動力を見つけたのだろう。


 今度はエリカの原動力探しに付き合え……とは言わないよな?


 内心で苦笑しつつ、エリカの誘いを受け入れる。


「団長からのお誘いとあらば、断るわけにはいきませんね」


「お、お誘い……!? 別にそういう意味じゃ……」


「あれぇ、団長? 一体なにを想像したんですか? 俺はまだ何も言ってませんよ~~~~?」


 ニヤニヤニヤ。


 下卑た笑みを浮かべてエリカに近付く。


 スパ————ン!


 ビンタされた。五メートルくらい吹っ飛んで地面を転がる。


「あ、あなたねぇ! いくらなんでも言っていいことと悪いことがあるでしょ! お馬鹿!」


「ぐぎぎ! ツッコミにしてはなかなかハードですね……ただの冗談なのに」


「冗談がつまらない男は殴られて当然よ。反省しなさい」


「五メートルくらい飛んだんですが? あとめちゃくちゃ痛いです」


 エリカの奴、さすがとしか言えない。


 俺のVITをいとも容易く貫きやがった。殴られた頬がじんじんと痛む。


「むしろ私に殴られてその程度の怪我で済んでよかったじゃない。前に部下を殴ったときは重症だったわよ」


「感心するとこですか、それ……」


 前にも同じことをしているのに、この人は俺を殴ったのか……可愛い顔してやる事はなかなかエゲつないな。


「というか俺になんの用です? なにか用事があったからわざわざ来たんでしょう?」


「ああ、そうだったわね。あなたのせいですっかり頭の中から抜け落ちていたわ」


「しっかりしてくださいよ……」


 これで用件がなかったら、俺は殴られ損だ。


 久しぶりにモンスター以外からダメージを貰って結構心にきてるのに。


 立ち上がった俺にエリカは構わず言った。


「とりあえず外じゃなんだし、私の部屋に来てくれるかしら」


「団長の部屋に? それってやっぱり……」


「なに?」


 エリカがものすごくドスの聞いた声を発する。


 びくりと肩を震わせて首を激しく左右に振った。なんでもございません。


「……早く来なさい」


「い、イエッサー」


 これ以上ふざけたら、今度は頬がじんじんするだけじゃあ済みそうにない。


 敬礼のポーズを取って歩き出した彼女の背中に続く




 ▼




 宿舎の一番奥に向かう。


 そこは団長エリカの寝室がある。侵入しようものなら、彼女の鉄拳制裁は免れない。


 王国最強の女の制裁だ。恐らく俺と勇者以外には生き残れる者はいないだろう。


 扉を開けて部屋の中に招かれる。


 彼女の部屋は酷く簡素だった。


 団長だというのに、他の一般兵たちと変わらない。ぽつんと隅にベッドがあり、中央にテーブルとソファが置いてある。


 それ以外はこれといったものがない。


 あまり使っているようにも見えなかった。


「不思議そうね、その顔」


「ええ、まあ。団長の個室ならもう少し豪勢な内装なのかと」


「お金は下りてるけど使っていないわ。ここはただの寝室。寝るだけの場所。それ以外に使うことはないから」


「仕事人間ですね」


「あなたもこれからはそうなるのよ」


「嫌なこと言わないでくださいよ……」


 やる気が一気に落ちる。


 社蓄という概念は前世の日本だけでいい。異世界転生してまで一生懸命働きたくないでござる。


「ふふ。忙しい時は忙しいから覚悟しておきなさい。それより座って。話をするわ」


「了解しました」


 促されるがままソファへ腰を下ろす。


 エリカがお茶を持ってくると、すぐに会話は始まった。




「さっき、あなたはイルゼと一緒にいたわね? 彼から話は聞いてる?」


「話と言いますと……もしかしてイルゼが不安を抱いているってやつですか?」


「そうそれ。よかった。聞いてるなら話しが早いわ。私も同じ相談を受けたの。イルゼにはあまり上手い言葉をかけてあげられなかったから、あなたはどうだったのか気になるわ。様子を見るかぎり、悪くなさそうだけど」


「そうですね……まあ程々には力になれたのかと。本人に聞いてみてください。俺の視点じゃ正しく判断できません」


 人の気持ちを察してあげられるほど共感能力は高くない。


 俺にとってイルゼの悩みは、ただの他人事。本当の意味で付き添えるのは、俺より付き合いが長いであろう友人や家族。


 それでいうと、目の前にいるエリカのほうが俺より付き合いが長い。


 正直、勇者のメンタルはそっちでなんとかしてほしいものだ。


 いくらエリカが仕事人間だとしても、な。


「改めて今度確認してみるわ。でもありがとう。イルゼの力になってくれて。あの子、私とあなたには気を許してるみたいだから、何かあったらまた相談に乗ってあげて」


「……わかりました」


「そう嫌そうな顔しないの。一応上司の前よ」


 おっと。感情が顔に出ていたらしい。


 バッと口元を押さえて苦笑する。


 だが、実際にめんどくさい。どうせあいつは勝手に立ち直るから放置しててもいいだろ。


 俺にはそれよりやるべきことが色々ある。


 ノートリアスで遭遇するかもしれない敵のこととか、な。


 エリカと話しながらも、そのことばかりが脳裏をちらついた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る