第86話 勇者の願い
勇者イルゼは、俺の言葉を真剣に聞いていた。
真剣にすべてを受け入れ、その上で呟く。
「僕にとっての……譲れないもの……」
「そうだ。人は何かのために頑張れる。目的のない努力はありえない。逆に言えば、目的さえ明確で絶対的な価値観があれば、人はときに己の限界すら超えられる」
それは強くなりたいだけでもいい。
誰かにチヤホヤされたいだけでもいい。
誰かを守りたいという偽善でもいい。
そこに明確なヴィジョンと目的さえあれば、人はどこまでだって走っていける。
勇者イルゼとてそれは例外じゃない。
ゲームのお前は、誰よりも世界を愛し、人類を愛した。
モンスターや魔族に襲われる人々を救うために剣を持ち、己がズタボロになることすら厭わず前に進み続けた。
何もかもを失っても勇者イルゼが倒れなかったのは、決して折れることがなかったのは……心の底から世界平和を願っていたからだ。
その願いの強さと心の強さこそが、勇者イルゼの原動力。
ネファリアスのシスコンすら霞むほどの強さだった。
「僕の原動力……守りたい、叶えたいと思うもの……それさえあれば、僕も前を向くことができるのかな?」
「できるさ。俺がそうであったように、お前にも道がある。何よりお前は勇者だ。他の奴らよりいいスタートダッシュが切れてるし、あんまり考えすぎるな。ネガティブの原因って結局、考えすぎるところだと思うし」
うんうんと俺の言葉に頷いて、しばしの間を置いて勇者イルゼは顔を上げた。
そこにはもう、先ほどまでの憂いがなかった。とびきりの明るい笑顔で、イルゼは感謝の言葉を告げる。
「ありがとうネファリアスくん! なんだか少しだけ心が軽くなったよ」
「そりゃあよかった。俺みたいな悪や——じゃなくて、一般兵士でも勇者様の役に立ててよかったよ」
「みたいな、じゃないさ。エリカが認め、僕が友人だと思う君の言葉だからこそ、僕の奥底まで届いた。本当にありがとう」
「どういたしまして。それで……イルゼの原動力ってなんなんだ? 世界平和か?」
「え?」
俺の質問に、明らかにイルゼが動揺する。
ん? どうしたんだ? まるで答えたくないみたいに汗をかき始めた。
そのわりにはちらほら俺の顔を見てる。意味がわからない。
「イルゼ? どうした?」
「い、いやぁ……その……ネファリアスくんの質問には答えられないかなぁ?」
「え? どうして」
「じ、実は! まだ……そう! まだ決まってないんだ! ぜんぜん、これっぽっちも! さっぱり!」
「…………そうか。それならしょうがないな」
嘘だ!!
あの顔は嘘をついてる顔だと誰だってわかる。
視線があっちにこっちに彷徨っているし、汗もすごい。
声も震えている。完全に怪しい。
だが、別に無理して聞く必要はない。どうせイルゼのことだから、人類みな兄弟とか言い出すに決まってる。
「お前の原動力が決まるのを楽しみにしてるよ。その上で、今度のノートリアスの件は頑張ろう。勇者の後ろにはたくさんの仲間がいるんだ。無茶せず誰かに頼るんだぞ」
「う、うん……大丈夫。僕には心の底から信頼できる人がいるから」
そう言って、勇者イルゼはジッと俺の顔を見つめる。
その視線の中に、なにやら熱いものを感じた。
気のせいだと思い、俺はふいっと視線を逸らす。
「そうか。ならいい。どうだ? 少しは気分転換になったか?」
「おかげさまでね。また何か不安になったら、ネファリアスくんを頼ってもいいかな?」
「また俺か? 団長のほうが適任な気がするけどな」
「エリカはダメだよ。仕事人間だからぜんぜん頼りにならない。むしろドジを踏む彼女を支えるほうが忙しいくらいさ」
「あははは。たしかに」
これはどうなんだろうな。
俺が生存したことにより、勇者イルゼの友人ポジションが完全にエリカから俺に代わってしまった。
それが今後、どんな展開を招くのか。あまり関係なさそうに見えるが、妙な胸騒ぎがする。
……いや、気にしすぎは良くない。いまは目の前の困難を乗り越えることを考えればいい。
そう考えながら、そろそろ話は終わりだと言わんばかりに勇者イルゼと宿舎へ戻る。
すっかりイルゼの顔色はよくなっていた。
▼
「それじゃあ今日はありがとうね、ネファリアスくん。とっても助かったよ!」
「ああ。またな」
お互いに手を振って宿舎の前で別れる。
走って遠ざかっていくイルゼの背中を見送ると、そのタイミングで後ろから声をかけられた。
「いつの間にかずいぶんと仲良くなってるようね、イルゼと」
「……ただいま戻りました、団長」
「ええ、おかえり」
振り返ると、そこにはエリカが立っていた。
わざわざ俺を出迎えてくれた……わけではなさそうだ。
会話もそこそこに、彼女は俺を誘う。
「ちょっといま、時間いいかしら? 大事な話があるの」
———————————————————————
あとがき。
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