第72話 さようなら

 次々に家族が眠りについた。


 まるで最初からそれが解っていたかのように、シートの上に転がる四人を見下ろす。


 ——その通りだ。


 俺は最初から、彼らが眠りにつくことを知っていた。


 知っていたというより、そうなるように仕組んだ。


 わざわざ王都を出発する前に早起きし、購入しておいた茶葉でお茶を作る。そのお茶の中にこれまた購入しておいた強力な睡眠薬を投下し、保温したままインベントリに突っ込み振る舞った。


 俺も同じものを飲んだが、俺にはLv10がある。


 たとえ強力な睡眠薬だったとしても、この通り無事だ。


「ごめんね、お父様、お母様、マリー、ミラ」


 すやすやと眠る家族に謝罪の言葉を告げて、俺の目つきはわずかに細くなる。


 今さら後悔を抱くなんて俺らしくない。もう薬は使った。あとは王都に戻るだけだ。


 そう思って立ち上がると、事態に気付いた騎士たちが俺の周りを囲む。


 剣こそ抜いていないが、やや雰囲気は張り詰めていた。


 騎士のひとり、仲のいい男性が俺に訊ねる。


「ネファリアスさま……これは一体どういうことでしょうか。なぜ、旦那様たちが……」


「大丈夫だよ、ちょっと睡眠薬で眠ってるだけだから。何時間かしたら起きる」


「睡眠薬!? ご家族の方に薬を持ったのですか!?」


「悪いとは思ってるよ。けど、黙って立ち去るにはこれしか方法がなかった。家族を気絶させるなんて手荒な真似、俺が選べるはずもないしね」


 かと言って懇切丁寧に目的を話して説得しようとしても、両親はおろかマリーやミラが納得するとは思えない。


 父は跡取りが俺しかいないから当然怒るだろうし、母は発狂するかもしれない。マリーは大声で泣くし、ミラだって涙を流すだろう。


 だから俺は、一番安全な方法をとった。薬ならただ眠るだけでほとんど体に害はない。


「しかし……いえ、そもそもなぜネファリアスさまが立ち去るなどと……」


「俺には俺の成すべきことがある。そのためには、アリウム男爵領にいるわけにはいかないんだ」


「その目的とは?」


「答えられない。答えたところで信じてくれるはずもない」


「それほどのことなのですか? 我々は、ネファリアスさまが小さい頃から仕えています。そんな我々にも言えないことが?」


 良心に訴えかけてくる騎士の言葉に、俺はかぶりを振った。


「むしろ近しいお前たちだからこそ言えない。悪いが、俺はそろそろ行くよ」


 どこか哀しげに瞳を伏せる騎士たちの横を通る。


 彼らは止めようと声をかけてくれるが、俺は振り返ることはなかった。




 たしかにお前らは信用できる。家族を除けば、お抱えの騎士たちが一番の味方だ。


 けど、そんな心から信用できる騎士たちにこそ、家族の護衛を任せたい。


 次にいつ、家族と再会できるかわからない。もしかするともう二度と再会できないかもしれない。


 だから、懐かしい過去は封印する。


 せっかく一歩前に踏み出したのに、彼らの泣きそうな顔を見たら決心が鈍る。




「じゃあね、みんな。お父様たちを任せたよ。絶対に守り抜いてくれ。それだけが、俺の最後の願いだ」


 最後にそう言って振り返ると、いまだこちらを見つめたままの騎士たちに手を振って走り出す。


 もう振り返らない。


 緑一色の森の中を、一心不乱に走り、来た道を戻る。


 目指すのは王都だ。あそこには、いまの俺を待つ者たちがいる。


 何より王都には、勇者イルゼと騎士団長のエリカがいる。


 彼らが俺の力を求めている。俺が彼らの平和と幸せな未来を望んでいる。


 そのために、体力の配分など無視して駆けた。




 心にぽっかりと穴のようなものが開いた気がする。




 ▼




 一生懸命走った。


 夜までに王都に辿り着けるように、俺が鍛えたAGIを限界まで引き出して走った。


 その結果、夕方頃には王都に到着する。


 家族が俺を追いかけて戻ってこれないように、だいぶ遠くまで馬車を走らせたが……ギリギリ間に合った。いまなら城門が閉じる前に街に入れる。


 ホッと胸を撫で下ろして、休憩もそこそこにまた走り出した。


 そうしてもう三十分ほど全力疾走すると、無事、街の中に入ることができた。


 正門のそばには、俺の帰還を待っていた二人の友人が。




 揃って手を振る男女のもとへ行くと、女性のほうが手を出して言った。


「おかえりなさい、ネファリアスくん。本当によかったの、これで?」


 俺はその手を握って握手する。これは、正式に騎士団に入団するという返事でもある。


「ええ。もう決めたことです。それに、ここまで来て断ったら、俺が生活できなくなりますよ」


「それにしたって顔が……いいえ、無粋だったわね。あなたの覚悟に敬意を。これからよろしくね、ネファリアスくん」


「はい!」


 恐らく俺の表情が暗くて心配してくれたエリカ。


 彼女の厚意に感謝しつつ、それでも俺の考えは変わらなかった。


 俺はもう、前に進むと決めたのだ。

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