第56話 騎士団へのスカウト
「ごめんなさい」
「——ッ」
声をかけられた。
恐れていたことが現実になった。
跳ねる心臓。だらだらと汗が滲み、流れる。
どうにかギリギリのところで平静を装って、俺は歩みを止めるなりくるりとその場を振り返った。
わらわらと周囲を歩く人並みの中、——というより目の前に彼女はいた。
薄っすらと、オレンジ色の夕陽を混ぜる紫色の長い髪。
瞳は赤く、どこまでも吸い込まれそうになる。
細く、鋭く研がれた視線が俺の顔を貫いて離さない。
「な、なんですか?」
「少しだけアナタと話がしたいのだけど……いま、お時間あるかしら。私はエリカ。エリカ・クルス・フォーマルハウト。この街の第三騎士団に所属している騎士団長です。どうかわずかな時間を私にくれない?」
「…………騎士、団長」
エリカ・クルス・フォーマルハウト。
やはり彼女だ。その端正な顔立ちは忘れもしない。
彼女はゲームだと中盤あたりで退場するキャラだ。
騎士団の団長という肩書きに恥じぬ実力者で、たしかギフトによるバフを受ければ、序盤の勇者すら凌駕するほどの戦闘能力を有する。
勇者がいくつかのスキルを封じられている、という条件とはいえ、それは凄まじいスペックだ。
現に、エリカを前にしてわかる。
——いまの俺より強い、と。
恐らく戦えば彼女に負けるだろう。それだけのオーラが彼女にはあった。
……ここは逃げて彼女の心象を悪くするより、従って用件を聞いたほうがいい。
果たして街中で戦闘にならない可能性はゼロではないが……。
「わかりました。少しくらいなら」
「ありがとう」
フッと笑って、エリカは俺から視線を逸らす。
近くに開いているオシャレなカフェを指定し、そちらへ向かう。
俺は彼女の背中を追いかけ、彼女の対面の席に座った。
「本当にごめんなさい。いきなり声をかけて。びっくりしたでしょう?」
「まあ、少しは」
ウソだ。
本当は心臓が口から飛び出るくらいびっくりした。
というか今も、痛いくらい心臓が高鳴っている。
「安心してください。別にアナタを捕まえて拘束しようって話じゃないから。むしろ、アナタにとっては嬉しい話かもしれない」
「俺にとって、嬉しい話?」
最初から拘束されるとは思っていなかった。
俺を捕まえる気があるなら、こんな人通りの激しい場所でお茶など誘ったりしない。
だが、続けて出てきた言葉に首を傾げる。
一体、彼女はなにが目的なんだ?
「ええ。先ほど私が騎士団の所属だと言ったわね? 団長だからある程度の権限を持っているの。例えば、有能な新人をスカウトする、とかね」
「その話の繋がり方からすると……まさか、俺をスカウトするために?」
「正解。理解が早くて助かるわ。賢い子は好きよ」
そう言ってカフェの従業員が運んできた紅茶を一口飲む。
「——あっつっっ!!」
飲んですぐにティーカップを零しかけた。
彼女はバリバリ仕事ができる系のお姉さんに見せかけて、意外とドジっ子である。
よくフラグは踏み抜くし、痛い目に遭う。それでいてやる時はやるという典型的なアレだ。
わりと好きだったりする。
「わざわざスカウトのために声をかけるなんて……俺たち初対面ですよね?」
「そ、そうね。初めてね。でも、私はアナタをひと目見てわかったわ。かなりの使い手でしょう? 強者特有のオーラがひしひしと伝わってくるわ」
「————」
なるほど。
口元をナプキンで拭きながらジッとこちらを見つめる彼女。
エリカもまた、強者特有の匂いを感じ取ったらしい。
俺が彼女の強さをなんとなくわかるように、彼女もまた、俺の実力をなんとなく推し量ったということか。
これは……正直、悪くない展開だ。
今後、アリウム男爵家を離れて暮らす場合、俺には定期的な収入が必要になる。
金がなければ生活できないって話だ。
加えて彼女のそばにいれば、勇者イルゼの動向もわかる。
彼女、エリカ自身も救いたい対象だし、危険以外のデメリットを感じない。
何より、エリカ・クルス・フォーマルハウトの最期は悲惨だ。
彼女は恐ろしく強い。それこそ、退場するまでのあいだは勇者より強い。
だが、強すぎるがゆえに、これまで何度もひとりで難所を越えてきた。
優しく、強く、気高い。
どこか抜けていて、面白く、頼りない部分もあるが、それを含めて彼女は魅力的だった。
そんな彼女が死ぬのは、とあるイベントの最中。
強敵と戦い、大量のモンスターに襲われる中、彼女は傷付いた仲間たちを逃がすためにひとり囮になる。
自慢の槍を構えて群がるモンスターをたったひとりで対処しようとした。
その結果。
彼女は力尽きてモンスターに敗北する。
そこからは地獄だ。
生きたままモンスターに食べられ、痛みと絶望の中に彼女は沈む。
無意識に伸ばした手を、だれも取ってはくれなかった。
彼女を助ける者は、助けられる者はいなかったのだ。
……しかし、俺なら。
「どうかしら? 給料はいい値を払うわ。考えてみてくれない?」
「そうですね……ありがたい話なので、じっくり検討しようと思います。返事は後日でもいいですか?」
「ええ、もちろん。いつでも騎士団を訪ねてきて。歓迎するわ」
「ありがとうございます」
俺なら彼女を救えるかもしれない。
俺なら彼女の隣に立てるかもしれない。
最終的には、俺は彼女のそばにいようと決意した。
いずれ訪れる最悪の未来のために。
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