第49話 救われた者

 暗闇を抜けると、俺が泊まっている宿のそばに到着した。


 二階の窓が開いている。俺が開けたまま外に出たからだ。


 きょろきょろと周りを見渡し、誰もいないことを確認してから窓の縁まで飛んだ。


「ひっ——!?」


 その最中、抱えられていたミラが小さな悲鳴を漏らす。


 なんとか他の人にはバレていけないことを理解していた彼女が、声を抑えてくれたおかげで静かに室内へと戻ってこれた。


 彼女を下ろし、窓を閉めて外套を脱ぐ。


「ふう……これでひとまずは安全だよ。ゆっくり休むといい」


 装備などもすべてインベントリの中に入れてからベッドに腰を下ろす。


 我ながら大胆なことをしたものだ。


 少しでもこちらの素性をバラせば、そこから転がるようにお訊ね者になっただろう。が、証拠はなに一つ残していない。


 顔を合わせた者はすべて殺したし、ミラの奴隷購入証明書もこっそり燃やしておいた。


 前世のような高度な文明を持たないこの世界において、誰からの目撃証言もなければ俺のもとまで辿り着くのは不可能。


 なんせ、あの男とは今日初めて言葉を交わしたのだから。


「ね、ネファ……ネファリアス、様」


「ん? どうしたの」


 ミラが部屋中を見渡しながら口を開く。


「私……どこで、過ごせば? そもそも、どうしたらいいの?」


「今日はもう休んでいいよ。疲れてるだろうからね。明日、早朝から風呂にでも入って両親と面談かな。それさえ終わればもう君はウチの身内だ。長い付き合いになるだろうから、これからよろしくね」


「私が、貴族の……メイド」


「嬉しくないのかい?」


「違う。違い、ます。嬉しい、けど……実感が湧かない」


 そう言ってミラは俯いてしまった。


 やれやれ、とため息を零して立ち上がる。彼女のそばまで行くと、やや煤の付いた頭をポンポン、と撫でる。


「ついさっきまであんな所に居たんだ、そりゃあ実感も湧かないだろうさ。でも安心するといい。君を見放したりしない。誰が相手だろうと、俺が守ってやる」


「ネファリアス様……」


 ようやくミラの瞳に輝きが戻る。


 ホッと胸を撫で下ろしてベッドに戻った。


「ああ、そうだ。今日のことは絶対に誰にも言うなよ? 俺が野蛮なことをしてるって」


「秘密?」


「そ、秘密。家族には話してないからさ、ああいうのは。俺とミラだけの秘密だ。墓場まで持っていってくれ」


「私と、ネファリアス様だけの、秘密……。うん! 解った!」


 なぜか急に元気よく頷くミラ。


 とことこっと歩いてこちらまでやってくると、汚れた服装のままベッドにダイブした。


 どちらにせよ明日、布団を換えてもらおうと思ってたからいいけど……くっ付きすぎやしませんか?


 そう思ったが、幸せそうに笑う彼女を見ると、無碍にはできなかった。


 むしろ、彼女を救うことができたのだと心底嬉しくなる。


「明日は忙しくなるぞ。ミラの服を買ったり、ミラに仕事を教えたり、家族に会ったり……まあ、色々な」


「頑張る。頑張って、ネファリアス様の役に立つ!」


 ふんす、とやる気を見せるミラ。


 たいへん結構だが、俺ではなく妹のマリーの世話をしてほしいんだなこれが。


 俺の専属メイドはいるし、俺に付きっ切りになられると正直逆に困る。


 だからポンポン、と再び彼女の頭を撫でながら、枕に頭を埋めて返した。


「張り切りすぎて倒れるなよ? その体は、もう君ひとりのものじゃないんだから」


「……うん」


 二人一緒に同じベッドで眠る。


 疲れ果てた俺とミラは、安らかに眠りの世界へと落ちた。




 ▼




 幸せな夢を見たのかもしれない。


 ベッドの上に転がるミラは、主人であるネファリアスより早く目を覚ましてそう思った。


 起き上がると、隣には自分を地獄の淵から引き上げてくれた少年がいる。


 彼の手に触れると、これまで感じたこともない温かさを覚えた。


 これまでの悲惨な記憶が、すべて消え去るような温もりを感じる。


「ネファリアス……テラ、アリウム……」


 どうして自分を助けてくれたのか。


 どうして自分が困っていることを知っていたのか。


 彼の表情には、わずかながらいくつもの違和感を感じた。


 なにかを隠している者特有の不思議な雰囲気を感じた。


 しかし、それでもよかった。それが不穏なものではないと解るから、彼女は心の底からネファリアスを信じられた。


「これが夢なのだとしたら……もう、覚めなくていい。たとえ現実に戻れなくても……ずっと、ずっとそばにいたい」


 小さく呟き、彼女はネファリアスの傍らに再び寝転がった。


 なぜか、彼のそばは心地よいのだ。安らげる。


 すべてを包み込んでくれる安心感を覚えて、彼女は瞼を閉じた。


 その表情は、どこまでも笑っていた。嬉しそうに。

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