第41話 変わらない世界
ミラの人生は最悪だった。
生まれた頃から劣悪だった。
日常的に暴力を振るう父親。そんな父親を止めようともしない母親。
父は酒に溺れ、怠惰に溺れた。
ミラの人生は最悪だ。殴られ、蹴られるのが普通だった。
痛くて苦しい。辛くて哀しい。
そんな毎日を生きて、さらなる地獄が訪れる。
それは、両親がミラを奴隷商に売ったことから始まった。
借金の形に売られた。幼いミラはそれをすぐに理解する。
だが、あんな両親の下から離れられるならそれでもよかった。
自分は新しい道を進み、両親が借金を払い終えるまえに幸せを掴むと決めた。
……そもそもの話、あの両親が借金を返すとも思えなかった。
だから余裕はあった。生きるための方法を模索した。
けれど、ミラの人生はやはり最悪だった。
初めて貴族の子息に買われたのだ。貴族に買われた時は正直嬉しかった。
もしかするとそれなりに幸せな暮らしが待っているかもしれないと思ったから。
しかし、現実はそう甘くなかった。
ミラを買った貴族の子息は、親も揃ってゴミクズみたいな人間だった。
「これがお前が買ったという奴隷の女か。見てくれも貧相なら、顔も平凡でつまらんな」
貴族の家に連れてこられたミラは、なにかの仕事を与えられるわけでもなく、なぜか地下にある牢屋に入れられた。
手足には鎖付きの拘束具がはめられ、逃げられない。
目の前には似た顔の親子が並び、じろじろとミラを品定めしていた。
これから何が起きるのか、急に不安になってくる。
「たしかに奴隷なので外見は小汚いですが、玩具としては十分でしょう。この幸薄そうな顔も、痛めつければきっと面白い苦痛の色を浮かべてくれるはず……」
「そうか。まあ、お前の気が済むならなんでもいい。最近はイラつくことも多かったしな。たまには父にも貸してくれよ?」
「あれ? お父様には専用の玩具があったじゃありませんか。あいつはどうしたんですか?」
「ああ、あの男か……。ピーピー喚くのが気に入らなくてな。むしゃくしゃしてたのもあって殺してしまったわい。ぐふふふ。剣を持って近付いたときのあの表情……これだから、価値のないゴミを処分するのはやめられん」
「まったくお父様は……正しいお方だ。平民や孤児など貴族の玩具に過ぎない。こうして我々選ばれし民のために役立つことこそが名誉だというのに、中には逆らおうとしてくる者がいて困ります」
「うむうむ。その玩具も適当に楽しんだら捨てていいぞ」
「ええ。わかりました」
そう言って主人の父である男は地下から消えた。
残されたミラは、男からの視線を受けてびくりと全身を震わせる。
まさかこんな狂った男……狂った家族のもとに買われるなんて。
脳裏には恐怖と不安、絶望ばかりが広がった。
その様子に満足げに笑うと、男は靴音を鳴らしてミラのまえに立った。
——まずは拳を振るう。
男の拳がミラの頬を捉えた。
凄まじい衝撃を受けてミラの視界が揺れる。ひどい痛みと口元からは血が流れた。
声も出せないほどの恐怖に、どんどん呼吸が荒くなる。
嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!!!!
なんで私ばかりがこんな酷い目に遭うの?
私がなにをしたの? 神様は、私のことが嫌いなの?
せっかくあの父親のもとから離れることができたのに、最後には似たような男に捕まる。
男なんて最低だ。他人なんてクソだ。
嫌だ嫌だ。嫌だ嫌だ! 私だって、少しは救われたい。
ただ、平穏な日々が過ごしたいだけなのに!
ミラの中に激情が生まれる。ポタポタと涙を零し、嗚咽が漏れた。
「ほう……? いいな。もしかしてお前、過去にも殴られたことがあるのか? これまでのゴミと違っていい顔をする。泣き喚くわけでも怒り狂うわけでもない……クク。いいな。気に入った。お前は少しばかり、長く使えそうだ」
へらへらと笑って、再び男が拳を振り上げた。
もう、ミラの瞳からは光が消えている。
▼
「……さて、と」
窓を開けると、すっかり外は暗くなっていた。漆黒の世界がすべてを包む。
僕は黒い外套を羽織って窓の縁に足を乗せた。
隣室で寝ているであろう妹や両親に告げて、小さく謝罪する。
「ごめんね、みんな。俺はちょっと行かなきゃいけないんだ」
ミラはストーリー本編のルートを辿っている。このままでは彼女は壊され、勇者イルゼと出会って命を落とす。
助けられたあとでも彼女を救う方法はあるが、そもそもそれ以前の問題だ。
暴力を振るわれ、苦しむ彼女を放置はできない。
ゆえに、僕はひとつの答えを出した。
買われたミラを外道貴族のもとから助け出す。彼女がボロボロになるより先に。
そう思ってひとり行動を始める。
今日のことは誰にも言えない。なぜなら、僕は今日……きっと多くの人を殺すから。
最後に内心でそう呟くと、軽やかに窓の縁を蹴って外へ飛び出した。
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