第35話 嫌いではない

「おーい! 奇遇だねネファリアスくん!」


 勇者イルゼが走ってきた。


 相変わらず、男なんだか女なんだかわかりにくい顔だ。けど、その声と王子様みたいなオーラは隠せていない。


 間違いなく勇者イルゼその人だった。俺のことも知ってるしな。


「こ、こんにちは……勇者イルゼ様」


「あはは。やめてくれよこんな所で勇者だなんて。僕はただのイルゼ。それでいいからさ」


「そ、そうか」


 こちらとしては全然嬉しくないぞ勇者イルゼ。


 なにが哀しくてこう頻繁に宿敵と遭遇しなきゃいけないのか……。


 俺はおまえに会うたびに胃がキリキリするっていうのに!


「うんうん。……あれ? ネファリアスくんの後ろにいるのって……」


「ん、ああ。そういえば前はいなかったからな。会うのは初めてか」


「そうだね。パーティーに出席していた子だろう? なんだい、もう女の子を引っ掛けたの? 手が早いね」


「失礼なこと言うな。彼女は俺の妹のマリーゴールドだ」


「……妹? そっか、妹か、なるほど。どうりで昨日はよく二人を会場で見つけたはずだよ」


 俺に紹介されて、やや緊張した面持ちでマリーが口を開く。


 いくら彼女でも、勇者の前では緊張するらしい。元来、彼女は家族以外の人間にはほとんど興味もないしな。


「ま、マリーゴールド・テラ・アリウムと申します。勇者イルゼ様とこんな所で会えるとは……」


「よろしく、マリーゴールドさん。僕のことは勇者と呼ばなくていいよ。敬称もいらない。ここは公の場でもないしね。元平民が気を使われるのって慣れないんだよ」


 そう言って気さくに右手を差し出すイルゼ。


 マリーと握手を交わし、視線が俺に戻る。


「それで? ネファリアスは妹のマリーゴールドさんとなにをしてたの? 買い物?」


「いや、違うよ。普段は王都に来ることなんてないからな。妹と王都の観光をしてたんだ。帰るまえに」


「あ~、そっか。二人は王都に住んでるわけじゃないのか」


「そりゃあな。住んでたらイルゼとも面識があるはずだろ?」


「そうとも言えないさ。王都は無駄に広いからね。無計画に歩き回ると、それだけで陽が暮れるよ」


「まあな」


 それは言えてる。王都は広すぎるよ。


 ゲームの頃は王都の観光などしなかった。ストーリーを進めることに集中していた。


 いざそれが現実になると、こうも面倒だったとは……。


 転移システムのないオープンワールド系のゲームをやりこむ人はすごいな。


「ちなみに二人はどこか行ってみたいところはあるのかい? 王城とか」


「王城は昨日パーティーで行っただろ」


 今朝のマリーみたいなことを言うな。


「チッチッチ。違うんだなぁ、これが。王城っていうのは普段は来れないからこそ何度でも行きたくなるもんさ。ね、マリーゴールドさん」


「……え? えっと……は、はい」


「ほらね? 君の妹も僕が正しいって言ってるよ」


「妹に意地悪をするな。いくら勇者でも許さんぞ」


 じろり、と勇者イルゼを睨む。


 お前が主人公だろうと関係ない。マリーを泣かせるヤツは物理的に俺が泣かす。


「こわっ……。え? ひょっとしてネファリアスって……シスコン? それも重度の」


「なにか問題でも?」


「しかも開き直ってる……。い、いや良いと思うよ? 兄妹仲がいいのは素晴らしいことだ!」


 無理やりにでも空気を盛り上げようとするイルゼ。だが、その瞳の中に、「あんまり過保護すぎるのもどうかと思うけどね」という感情が透けて見えた。


 言いたいことはわかるが、マリーは天使だ。天使を手厚く守ろうとするのは兄の責務だろ?


「……まあいい。イルゼの感想はどうでもいい。それより俺たちはデートがあるからまたな。お達者で」


 さっさと話を切り上げてイルゼの隣を通り抜ける。


 するとイルゼは、反転して再び俺たちの前に回りこんだ。


「ちょ、ちょっと待ってよネファリアスくん! 昨日も思ったけど、君って案外僕に冷たくない!? これでも勇者なのに」


「勇者って扱いはされたくないんだろ。だからただのイルゼだと思ってる」


「それはそれで普通に酷いと思うよ!? なんでそんなに僕を突き放そうとするんだい! 理由を教えてくれ、直すから!」


「別に……嫌ってるわけじゃない」


 これは本当だ。


 コイツはこの世界の勇者様。嫌う理由はない。ただ、俺の中のネファリアスがコイツを嫌ってる。お前が俺を殺したのだと囁く。


 おまけに様々な騒動に間に合わなかった英雄とくれば……俺だって心の底からイルゼを好きになれない。


 お前はいつだって間に合わなかった男なんだから。


「俺たちはすぐに王都を出る。仲良くする理由もないだろ」


「あるよ! ネファリアスくんだって貴族なんだから、勇者とは仲良くしておかないと! 僕と仲良くしておくとお得だよ?」


「それは自虐か?」


「真顔で言うのやめてくれない? とにかく! せっかくだから、僕が二人を案内するよ。王都の中なら任せてくれ!」


 胸を張って、なぜかそんなことを口にするイルゼ。


 ……どういうこと?

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