第9話 この手を汚してでも

「盗賊……?」


 父の言葉に妹マリーが首を傾げる。


「ああ。隣の子爵領から、こちらの領に逃げてきている可能性が高いそうだ。確定ではないけど、各々しっかりと護衛を連れて外を歩くように。まあ、僕とキャロラインはともかく、マリーとネファリアスは外出自体を控えてくれると助かるかな」


「わかりました。私は大人しく自室で勉学にでも励みます。暇な時間はお兄様に相手していただければいいですしね」


 そう言ってマリーが俺のほうを見る。


 ……これはあれだ。「私はちゃんと大人しくしてるので、お兄様も大人しくしててくださいね? 絶対に外へ出かけてはいけませんよ? 絶対です」という目だ。


 夕食に出された肉を食べながら、俺は苦笑しつつマリーに言った。


「わ、わかってるよ。俺も家でジッとしてろってことだろ? どの道、この腕じゃ盗賊とも戦えないしね」


 固定された左腕を強調してみせる。


 こんな状態で外に出たら、間違いなく盗賊以前に魔物の餌だ。そこまで自分の命を蔑ろにはしないさ。




 ……いまは、ね。


「お兄様……?」


 じろりと、マリーの瞳が鋭くなる。


 やべ……バレた?


 内心で心臓をバクバク鳴らしながらマリーを見つめる。お互いの視線がたっぷり10秒ほど交差して……。


 先にマリーが視線を逸らした。


「……わかっているならいいです。マリーと遊んでくださいね」


 意外ほどあっさりマリーはそう言った。ホッと肩を落とす。


「ああ。腕の折れた兄でもできる遊びにしてくれよ?」


「そんな激しい真似しません。私だってもう子供じゃないんですよ?」


「どうやら話は決まったようだね。ネファリアスが本当に大人しくしていられるかどうかは、マリーにかかってるらしい。お兄ちゃんを頼んだよ、マリー」


 父が話をまとめる。


「お任せください。お兄様のすべてを私が管理します」


「え? なにもそこまで……」


「ま か せ て ください。ね? お兄様」


 にっこりとマリーが笑う。


 わずかに見えた彼女の瞳が、笑顔のはずなのに笑ってるようには見えなかった。


 母親によく似たね、君……。


「……お手柔らかに、お願いします……」


 俺は肩を竦めて夕食の料理を口に運ぶ。


 我が家では女性のほうが立場が上だった。少なくとも、兄である俺より妹のマリーのほうが強い。


 笑える。




 ▼




 夕食を食べ終えると、俺は家族に「おやすみなさい」と告げて自室に戻ってきた。


 就寝の準備を済ませたマリーが来るまでのあいだ、一人でじっくり盗賊の件について考える。


 父から盗賊の話を聞いたとき、俺はほんの一瞬だけ強く動揺した。


 なぜなら、盗賊こそがネファリアスの人生を破壊した存在だからだ。


 倫理も知性も欠けた盗賊たちに、ネファリアスの家族は捕まる。


 父は殺され、母と妹は薄汚い男たちに犯される。ネファリアス自身も使い捨てのコマとして利用され、地獄のような日々がはじまる。


 その盗賊たちが、悲劇のきっかけかどうかはわからない。もしかすると別の盗賊である可能性は高い。


 だが、もはやというワードだけで強い怒りを覚えた。


 俺の中に眠っているネファリアスという個人の感情に起因するのかもしれない。


 どちらにせよ、この領の、家族の平穏のためには盗賊を討伐する必要がある。


 家族には何もしないと言ったが、一刻も早く腕を治して戦いに行く予定だ。


 一発で治らないにしろ、鎮痛効果があるならその内スキルで怪我を治せるだろう。


 一秒でも早く骨折が治せるなら、暇な時間はMP消費に努める。


 そう思って、先ほどからずっと【治癒】のスキルを発動していた。


 そのおかげかどうかはわからないが、徐々に腕の痛みがなくなっていくような……?


「治癒って言うくらいだしな。一週間もあれば治るだろ」


 そのあいだ、俺はレベルを上げることはできない。


 それはつまり、いまのレベルで盗賊たちに挑まなきゃいけないってことだ。


 仮に盗賊たちがオーガより強かった場合、確実に多勢に無勢。俺に勝ち目はないだろう。


 最悪の場合は【硬化】スキルを使って街まで撤退することも視野に入れる。


 可能なら、奇襲でもして相手の人数を減らしたいものだ。


 少しずつでも数を減らせれば、全滅させることは無理でも盗賊のほうから身を引く可能性がある。


 確実な勝利に向けて、俺はマリーが部屋に訪れるまでのあいだ、ひたすら対盗賊用の作戦を練りこんだ。




 ▼




 部屋に寝巻きを着たマリーがやってくる。


 たいへん薄着だ。ネグリジェと呼ばれる服である。


 いくら身内の前だからって、年頃の乙女がそんな服を着ていいのだろうか?


 そもそもその寝巻きの購入を許可した母を問い詰めたい。ありがとうございます。


「お兄様……視線がいやらしいですよ」


「マリーの可愛い姿に悩殺されたらしい。弱い俺を許してくれ」


「ずいぶんと潔いですね……。でも、変に取り繕う人より好感が持てます。それに、お兄様ならいくらでも見て構いません。この服は、お兄様のために用意した勝負服ですから」


「なにそれ勝負パンツの進化系?」


 というか、この世界に【勝負パンツ】っていう概念があるのか? 勝負服があるんだからあってもおかしくないが。


 俺の疑問をよそに、マリーは平然とベッドの上に腰をおろした。隣から石鹸の良い香りが漂ってくる。


「見たいですか、お兄様」


「? なにを」


「勝負パンツ」


「あるんだ。でも見せちゃダメだよ」


「私のパンツには興味ありませんか?」


「なんで残念そうなの? 普通、パンツを見せるのは恋人くらいなもんじゃないかな? あと両親」


「お兄様は恋人のようなものでしょう?」


「——あれ? 俺の中で兄という概念に革命が起きたぞ?」


 兄ってなんだっけ。頭の中に宇宙が広がる。


「細かいことは置いといて、見たいんですか? 見たくないんですか? どちらかハッキリ答えてください!」


「——妹のパンツを見たくない兄はいない!」


 わずか一秒足らずで返事を返す。


「ですよね! お兄様ならそう言ってくださると思いました」


 マリーがいきなりベッドからおりて立ち上がった。


 自らの服に手をかけ、ゆっくりとスカートを上げていく。


 俺の心臓が高鳴った。同時に、彼女の恐ろしい行動を止める。


「す……ストップ! ストップマリー! 調子に乗ってバカなこと言ったけど、ほんとに見せちゃダメだから! 兄はまだ健全でいたいし捕まりたくない!」


 両親にバレたら気まずいってレベルじゃねぇぞ。下手したら母親にボコボコにされかねない。


「……さっきは見たいって言ったくせに」


 ぷくぅ、とマリーが頬を膨らませる。スカートから手を離し、苛立ちに任せて俺の隣に戻った。


「そこまでは言ってないかなぁ……。でも、兄様は心配だよ。マリーが将来、変な男に捕まらないかどうか」


「無用な心配です」


 バッサリとマリーが俺の心配を切り捨てた。あまりにも躊躇なく言うものだから、心に深いキズを負う。


「私にとって、心動かされる男性はお兄様だけですから」


「ま、マリー……!」


 ああもう! なんて可愛い子なんだ。これじゃあ絶対にお嫁には出せない。


 もっともっと強くなって、将来、「マリーゴールドさんを僕にください!」と言う不埒な輩を全力で殴り倒すだろう。


 マリーは相当に変わってる子だが、その兄である俺も相当に変わっていた。


 ブラコンとシスコンをお互いに極めている。




 ……だからやっぱり。


 ——盗賊は殺そう。


 改めてそう覚悟を決めた。

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