「理解」と「使える」には大きな高い壁がある②

 まず、私はYoutubeやGoogleで調査をすることにした。

 Youtubeでは、海外の人(英語圏に限らず、すべての国)が英語を話す動画を視聴した。

 タイ人の英語はこんな感じ。韓国人、中国人、スペイン人...。

 やはりどの国もそれぞれの特徴があり、その中でも喋れる人とそうでない人が居た。


 だが、その中でもひときわ目立っていたのはフィリピン人の英語である。

 彼らの母語はフィリピン語(その多くはタガログ語)であり、英語ではないのだ。母語というのはそのまま、第一言語のことであるが、日本人にとっての日本語と同じようなものである。


 日本人は英語にこんなにも苦戦しているのに、彼らはまるで英語ネイティブのように英語を話すのである。


 日本とフィリピン、同じアジアであり、それぞれの母語は英語とは違う語族に属しているにも関わらず、である。

 英語はご存じ「インド・ヨーロッパ語族」。タガログ語は「オーストロネシア語族」に属している。日本語の起源に関しては謎が多く、諸説あるが、ここでは「その他の語族」ということにしておく。


 英語学習においては、日本もフィリピンもある程度は同じ条件であるが、なぜ彼らは流暢に話すことができるのか。

 その大きな理由として、学校では彼らは「英語で授業をしている」ということにある。私にとって、これはとても衝撃的であり、同時に妙に納得する部分でもあった。

 実は彼らは小学校の時から英語で授業をし、英語を聞いて、話して学んでいく。

 街でもタガログ語と英語が混在しており、英語を話せなくとも困ることはないだろうが、少し不便であるようだ。

 また、本や映画、ドラマなど海外から入ってくるものは大抵英語であり、ゲームも英語。タガログ語で無く、英語なのである。

 英語を知らなければそういった娯楽も存分には楽しむことができない環境が彼らにはあるのである。


 つまり、彼らが英語を喋れるのは学校で学んでいることに加え、「英語を『使う』から『使える』」のである。

 日本の場合、多くを占めるのはインプットであり、会話というアウトプットをしない傾向にある。

 であるからこそ、私達日本人は英語が喋れない。


 私は、このことに、本質的に気づいたとき、「日本もこれすれば!」と思った。

 だが、今では私はこう思う。


「日本はこのままでよい」と。

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