日本の英語教育は本当に間違っているのだろうか
猫多淵雄@思想強い高校生
「理解」と「使える」には大きな高い壁がある①
私は現役の高校生である。この本を執筆しようと思ったきっかけは、近年Youtubeなどで見かける「学校の英語ってまじ役に立たないじゃん!」と勘違いしている人間が増えたことにある。
勿論、何を目的とするかによって英語教育の評価というのは変わるであろう。
例えば、英語で論文を読みたいのであれば、現在の学校教育というのはとても役立つ。
難しい単語から文法などを幅広く、基本的な英語力を測るテスト「英検」に沿って学んでいることだろう。
その学びによって、英文を読み解く力が飛躍的につき、ついには英語で論文を読むことさえできるかもしれない。
だが、どうやら英語を学校で学んでいるだけでは「外国人と英語でコミュニケーション」がとれないようである。
論文を英語で読むことよりも英語で会話をしたい人の方が多いようで、実際に、インターネット上では学校英語を批判する内容の動画やサイト、コメントが溢れていることから間違いはないように思える。
だが、ここでひとこと言わせていただきたい。
「喋れるようになりたいのなら、学校教育をあてにするな。」と。
先に理解していただきたいのは、私は学校教育を批判しているのではなく、むしろ素晴らしいものとさえ思っているということだ。
「喋れるようになりたいのなら、学校教育をあてにするな。」
では、この言葉の真意は何なのかというと、つまりは「学校で学んでいるだけでは喋れるようにならないよ。」ということである。
「んなこと知ってるよ!」と言われそうであるが、いや、あなたはきっとわかっていない。
学校教育は決して悪いものではなく、素晴らしいものだ。
その証拠に現にあなたは "My name is Ken" を理解できるだろう。
それは簡単な文章だからなのではなく、勉強をしたからだ。"My"は「私の」を意味し、"name"は「名前」で、"is"は「be動詞」で...。
これは全て、義務教育に英語が存在するお陰だ。まずは我々は学校教育に感謝しなければならない。
言語学習において、まず学ぶべきは「単語」そして「文法」である。
SpeakingとListeningは二の次で、まずは基礎。その基礎を固めてくれるのが学校教育であり、その素晴らしさであろう。
だが、言語学習をしているのに、学校の勉強をするだけでは喋れるようにならないのは問題のように思える。
実際、私もそれは問題視しており、どのような方法であれば学校教育で英語を完璧にすることができるのか、たくさん思案した。
だが、その末気づいたのである。
「今の学校教育では無理だ。」と。
次回、その理由と経緯をお話しする。
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