第156話 不変

~音咲華多莉視点~


 文化祭まで1週間をきった。名古屋のドームLIVEはそれよりも前にある。私は今、スクリーンに写る私を見ている。


『火は不変の象徴なの。昔から火を絶やすことのないような教えが国内外にたくさんある……それに想いや熱意を火に例えることもあるでしょ?』


『あぁ……』


『私、貴方が好き……この炎のように、熱く燃え続ける貴方への想い。この想いは決して消えたりなんかしないわ……』


 このセリフ。黒木監督に何度も止められたシーン。今まで多くの映画やドラマに出たけれど、これ以上の演技をしたことがない。というより、これ以前の私の演技ときたら見るに耐えないような演技だ。どこか心に響かない、薄氷の上に立って演技をしているような印象が残る。


 そう思っていると、隣にいた黒木監督が私に話し掛けてきた。


「この演技よ、この演技」


 私はうんと頷いて、初号試写に集中した。


 今までティーン向けの恋愛映画ばかり撮っていた黒木監督だが、今作に限っては象徴的な映像やセリフが多かった。


 不変、変わらぬ愛や変わらぬ想い。人は大人になると色々なモノを捨てていく。中には捨てたことにすら気付けない人だっている。捨ててないことにして自分を騙しながら暮らしている人もいる。


 この映画の主人公、田山彰介さん演じる橋本は、夢に向かう道すがら色々なモノを捨て去った。仲間や様々な感情、私演じる恋人をも捨てた。夢を叶えた彼は今まで歩んできた道を振り返る。そこには拾うことの出来ないたくさんのモノが落ちていて、その更に奥には小さな火の光にあたる私がいるのが見える。しかしその火には一向に近付くことができない。それが私と彼の結末。不変を愛した私と変化を愛した彼の距離は縮まることがない。


 初号試写も終わり、私は黒木監督に訊いた。


「主人公の橋本って黒木さんのこと?」


 黒木監督は恥ずかしがることなく肯定した。


「そうだよ?」


「橋本が今までやってた音楽を捨てて商業目的の曲を歌ったのって…つまり……」


「俺が撮ってたティーン向けの恋愛映画がそこに当てはまるかな?あれのおかげで生活できるようになったけど、批評家達からは総スカンを食らったね」


「……」


 言葉の出ない私に黒木監督は言った。


「でも今まで撮ってきた駄作と評された映画も俺にとっては物凄く意味のあることだったかな。というのも、多くの人が見てくれたおかげで、そこに自分も予想しなかった解釈や価値観が生まれてさ」


「価値観?」


「そう!あんな映画を見て元気になったとか、あのセリフは私にとってこういう意味に聞こえたとか。いくらプライドを捨てて作ったとはいえ、俺が撮ってるんだからあの映画には俺の血が流れてて、そこに無数の価値観が生まれた。それがなんか嬉しくてね。今まであんな経験したことなかったな。勿論、憤りとか誹謗中傷とかもあったけどね。でもあれを撮ったから今回、自分の撮りたい映画も撮ることができたし。まぁ、出資して助けてくれる人があれを撮る前よりもかなり増えたんだよ。華多莉ちゃんは何も残してない人を助けるよりも何かを残している人の方を助けたいって思うでしょ?その残したモノによるかもしれないけど…なんかさぁコロナでそれがよくわかったんだよね」


「コロナで?」


「そうそう、ワクチン推奨派と反ワクチン派に別れたじゃん?ワクチン推奨してる人はそれを促してる医者を支持して、反ワクチン派はそうじゃない医者や専門家を支持する。陰謀論派にも結構な数の人が支持してたりしてさ、どっちが正しくてどっちが間違っているとか関係なしに自分が正しいと思った方を支持して応援する。医療の中でもそうなんだとしたら芸術なんて例えそれが間違った表現でも誰かに響くんじゃないかなって思ったわけよ」


「なるほど……」


「それとさぁ、健康ってその人にとってかなり重要な命題じゃん?なのにちゃんと調べもせずに感情でどっちが正しいかなんて結論を出す人もいるからさ、それよりも優先度の低い芸術や娯楽をしっかりと調べて理解する人なんてかなり少ないんだよね。これからは自分の撮りたい映画と誰もが理解できる映画、その3対7ぐらいの割合で映画を撮りたいって思ったかな?」


「じゃあ橋本が遠くにある火を見つめるシーンは、あの頃にはもう戻れないってことじゃなくて、その火と橋本との距離全体が橋本の心情になってるってことですか?」


「おぉ!良いねその解釈!!地球と太陽って別けて考えるんじゃなくて地球と太陽を含む宇宙全体で思考するみたいな!それに宇宙は膨張し続けていて思考事態も広がって──」


 途中から何を言っているのかわからなくなったけど、昔の心情とそれを捨て去った今の心情と2つあったとして、その2つを包むようにしたのが、もしかしたら本当の今の心情なんじゃないかと私は解釈した。どちらにでも行くことができる。昔にも今にも、善にも悪にも……


 私はついでに訊いてみた。


「黒木さんは青澤監督と知り合いだったりします?」


「……青澤監督かぁ、本当に良い監督だよね。特にあの──」


 話が長くなりそうなので、わざと聞き間違いをしたふりをする。


「え!?知り合いなんですか!?」


「いやぁ、知り合いではないかな?たぶん誰かのツテを辿れば知り合いぐらいにはなれると思うけど……」


「そう…ですか……」


「なに?青澤監督の映画に出たいとか?」


 私は黙った。黒木監督の前で他の監督の作品に出たいというのは失礼に値すると思ったからだ。


「気遣わなくていいよ?ん~今の華多莉ちゃんの実力なら出れるかもしれないけど……俺のこの映画が当たればもっとそのチャンスは増えると思うよ?だから宣伝よろしくね」


 黒木監督はそう言って試写室から出ていった。すると、背後から声をかけられる。


「この後、空いてる?」


 先程までスクリーンで主人公を演じていた田山彰介さんが私に声をかけてきた。


「えっと……」


「あぁ、打ち上げするからさ。スタッフさんこみで」


「私は……LIVEも近々ありますので遠慮しておきます」


 そう断りの文言を言うと田山さんは言った。


「てか今度、華多莉ちゃんの好きなエドヴァルドさんとコラボ配信することになったんだけ──」


「えっ!?なんでですか!!?」


「食い付きすげぇな……最近俺もユーチューブチャンネル開設してさ、華多莉ちゃんと一緒だけどその流れでゲーム実況からのエドヴァルドさんとコラボする流れになったってわけ」


「へぇ~…良いなぁ……」

 

 その時、私のスマホが震えた。マネージャーの加賀美からだ。渋滞中で迎えに来るのに遅くなるとのことだった。私がそのメッセージにがくりと来ていると、田山さんが訊いてきた。

 

「どうしたの?」


「車の渋滞でマネージャーが迎えに来るの遅くなるって連絡が来て……」


「え?じゃあ行こうよ打ち上──」


 田山さんの背後から別の男の人の声がした。


「俺が送っていこうか?」


 この映画に一緒に出演している俳優の京極絢人きょうごくあやとさんが声をかけてきた


絢人あやとさん……」


 田山さんがそう呟くと、京極さんは続ける。


「俺も打ち上げ行かないからさ、送っていくよ。ほら」


 そう言って、少し強引に彼は私の手をとった。私に考える暇を与えずに京極さんの車まで案内される。私は後ろを振り返り、田山さんに会釈をしてその場をあとにする。田山さんは手を振って見送ってくれた。


 駐車場に到着すると黒塗りのポルシェに案内された。京極さんは駐車場に誰もいないことを確認すると私の手を離した。


「いやぁ~良かった!」


「?」


「俺さ、ああいう打ち上げとか苦手なんだよね。華多莉ちゃんが行かないって言ってくれて助かったよ!」


「あぁ、そういう……」


 助手席のドアを開けて、私に入るように促す。


「ちょっと待ってください。マネージャーに迎えに来なくても良いことをしらせるんで……」


 マネージャーにメッセージを送って、私は助手席に座った。運転席に京極さんが入ると、車は唸るようなエンジン音を上げて、駐車場から出た。


「どこに住んでんの?」


「えっと、ホテル暮らしなんで」


「あぁそっか!お父さんがホテルの経営者なんだっけ?」


「そ、そうです」


「じゃあそのホテルの前辺りで良い?」


「あ、はい。ありがとうございます」


 京極さんは私の言ったホテルの名前をカーナビで検索し、経路を割り出した。


「結構近かったな……」


 そう漏らすと、私にペットボトルのミネラルウォーターを渡してきた。


「はい。さっきちょっと強引に引っ張っちゃったし、これ飲んで落ち着いてよ」


 私はそのペットボトルを受け取った。私は両手でそのペットボトルのラベルを包むようにして握りながら、外の景色を眺める。


 陽が落ちるのが早くなった。すれ違う車はヘッドライトをつけ、街の看板はあかりを灯す。

 

「最近、大変じゃない?」


 京極さんが訊いてきた。私は返事をする。


「そうですね」


「ドラマに、映画に、バラエティに、ライブ、あと学校にも通ってるんでしょ?疲れたりしない?」


「疲れることもありますけど、楽しいですよ?」


「若いねぇ、俺はドラマと映画だけだから華多莉ちゃんよりは楽なんだけど」


「でもこの前、バラエティに出てませんでした?」


「番宣でね」


 京極さんは私に話し掛ける。やたらと渡してきたペットボトルに視線を合わせる為、私は飲まないのは失礼だと思い、蓋を開けてペットボトルに口をつけた。


 京極さんは言う。


「もう少しで着くけど、どうする?」


「何がですか?」


「俺んち来る?」


「えっ!?」


「冗談だよ冗談!」


「か、からかわないでくださいよ!!」


 私はその場を濁す為に、もう一口水を飲んだ。


「……流石にホテルの前まで送っちゃうと、誰かに見られた時ヤバそうだから、少し路地に入ったところに止めようと思うんだけど?」


「…は、はい……それでお願いします」


 なんだか、意識が朦朧としてくる。京極さんの言うように疲れているのかもしれない。そんなことを考えていると、目的地に到着した。


 人気ひとけの少ない路地裏。


 私は助手席のドアを開けて、降り立つ。足がフラフラする。頭を押さえながら、その場で少し立ち尽くした。


「どうしたの?」


「…い、いえ……少し疲れが溜まって……ここまでありがとうございました……」


 そう言って助手席のドアを閉めようとすると、京極さんは言った。


「青澤監督……」


「え?」


「俺、青澤監督と知り合いでさ、良かったらもう少し話していかない?」


 朦朧とする意識の中、私は膝をついた。鈍い痛みが膝に走る。


 ──おかしい……


 そんな中、京極さんの声が聞こえた気がした。


「やっと効いてきたか。ほら、車の中に戻っておいで」


 立てないでいる私は手をさしのべられる。


 ──何か、入れられた……?


 渡されたミネラルウォーターに何か睡眠薬のようなものが入っていたのかもしれない。蝕まれる視界の中、危険な筈の京極さんの手をとろうとする。そうでもしないと、倒れてしまいそうだった。いや、そんなことも考えられないくらい頭に重たい靄が立ち込める。しかし伸ばした私の腕は横からガシリと京極さんではない別の誰かの手によってぐいと引っ張られる。


 その時、聞こえた気がした。


『あぶない!』


 エドヴァルド様の声が聞こえた。


 私はぐいと横から引っ張られ、力の入らない私を優しく、そして強く抱き寄せた人物を見る。


 織原朔真だ。


 私はその時思い出した。初めて彼と会った時、車に轢かれそうになったあの時、織原朔真の声を聞いていたのだ。


『あぶない!』


 その声はまさしくエドヴァルド様の──……。


 その思考を最後に私は意識を失った。

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