第157話 願い
~織原朔真視点~
鷲見さんに紹介されるまで週に4回入っていた清掃のバイトも──Vチューバーをやってない時は週に6回──今では2回と減っている。別に辞めても良いぐらいの稼ぎはあるのだが、何故か辞められないでいる。今までの習慣というか、なるほどブラック企業で働く社会人がなかなかその会社を辞めない理由がよくわかる。僕の場合はVチューバーという働き口が他にあるのだが、彼らはまた一から仕事を探さなければならない。それが言い得ぬ不安感、先送りにしたくなる原因なのかもしれない。
いや正直に、清掃のバイトを辞めない理由を白状すると、ララさんこと音咲さんとの関係が切れるのが嫌なのだ。ついこの間、音咲さんに告白されたら断ると言っていた僕が聞いて呆れる。
──自分でも思う、ストーカー気質があるのかもしれない……
退勤して、赤い絨毯の敷き詰められたロビーとは反対の通用口を出る。暗い夜。ホテルのロータリーにはこれからチェックインする車がゆっくりと走行しているのがちらほら見える。ロータリーを抜けていつもの帰途につこうとしたその時、路地裏から声が聞こえた。
「…ここまでありがとうございました……」
どこか呂律の回らない、苦しそうな声が聞こえた。僕は目を凝らす。黒い車が正面を向いて止まっている。その車の助手席が開いており、女性が足を震わせて立っている。見覚えのある女性。
音咲さんだ。僕は隠れるようにその様子を見ていた。なんせストーカー気質なもので。
「青澤監督……」
運転席の男の声が聞こえた。知らない人だったが顔が整っていて、映画やドラマに出ていそうな人だった。僕の胸の内がざわついた。ディスティニーシーで男性アイドル──なんの因果か今度コラボすることが決まった国民的人気アイドルの田山彰介さん──と仲良さそうに歩いている音咲さんの映像が浮かんだ。今思い出しても絵になる2人。僕の入る余地は最初からない。
「え?」
「俺、青澤監督と知り合いでさ、良かったらもう少し話していかない?」
音咲さんの様子がどこかおかしい。しかし彼女に何か起きても、運転席の男に任せた方が良いだろう。それに席替えの時だって彼女に気持ち悪がられたじゃないか。そう、僕が割って入る余地など初めからない。
音咲さんは膝をついた。そして運転席へ手を伸ばす。
僕はそれを見て歩き出した。何を思ったか音咲さんの方へ。そして音咲さんが伸ばす腕を引っ張り、抱き寄せた。
迷惑かもしれない。勘違いでも良い。これが実はドラマの撮影で僕が全てを台無しにしているのかもしれない。それでも良い。
しかし僕を止めるスタッフはどこにもいない。音咲さんは僕の腕の中でぐったりとして気を失っている。運転席の男は焦った表情をするが、僕の顔を見てその焦りを隠すように装う。そして口を開いた。
「…あ、ありがとう。彼女を助手席に乗せてくれないか?体調が悪いみたいで」
僕は決然として言った。配信の時のエドヴァルドのように。
「いえ、このまま彼女の泊まる部屋に連れていきます」
「な、え?」
僕の言葉で運転席の男は僕が音咲さんの知り合いだと言うことを理解したようだ。男は車から降りて僕の方を見る。彼自身どうしたら良いのかわかっていない様子だ。正直、今車から降りないでほしかった。力付くでこられたら対抗できる気がしない。
そんな僕の願いを拒絶するかのように男は運転席から降り、僕に近付き腕を伸ばす。
迫り来る腕を、僕は音咲さんを抱えている反対の手で跳ね除けた。ジャストガードに成功したのだ。ストーリー・ファイターの耐久配信がまさかここで役に立つとは思わなかった。
僕のジャスガに彼がどうしようかと考えている間に、別の車のヘッドライトが僕らを照らした。
──助かった……
僕は新たにやって来た車の運転席を見た。音咲さんの父親である鏡三さんが乗っている。更に安堵した僕だが、その隙に俳優らしき男が運転席に乗り込み、助手席のドアを開けたまま物凄い勢いで去っていった。
入れ替わるようにして鏡三さんの運転する車が音咲さんを抱きかかえる僕の前に止まった。
「乗りたまえ」
ホテルに到着した僕らは、まず音咲さんを空いている部屋のベッドに横たわらせ、ホテル内にある病院施設の医者を呼び、診てもらうことにした。
医者曰く、睡眠薬を飲まされたのではないかとのことだった。安静にして、目が覚めた明日の早朝、もう一度異常がないか調べるとのことだった。
僕と鏡三さんは医者を見送り、音咲さんの眠っている部屋をあとにした。
そして今、鏡三さんの部屋に僕はいる。
「改めてお礼を言おう。華多莉を助けてくれてありがとう。そしてもう一度、どういった状況だったかを詳しく教えてほしい」
音咲さんの無事もわかり、冷静になった僕は鏡三さんと最後に会った時のことを思い出す。
──鏡三さんに暴言を吐いたんだよな……
気まずくなりながらも僕は説明する。
「咄嗟のことだったのであまり詳しく覚えてませんが、黒い車の助手席が開いた状態で音咲さんがここまで送ってくれてありがとうございますって言ってたと思います。その時から立っているのがやっとみたいな状態で……そしたら彼女は片膝をついて、這うように手を車の中に伸ばしたところを、僕が……」
僕は言い淀んだ。僕が助けたなんて言い方を自分でするのがおこがましいような気がしたからだ。何故なら僕は彼女を救いたいから抱き寄せたのではない。あの男に、他の誰かに彼女をとられたくないと思ったから引き寄せたのだ。
今思えばそれは、音咲さんを、女性を、ある意味物のようにして扱ったのではないかと捉えられる。
「君が助けてくれた……」
思考に沈み、黙っていた僕を鏡三さんが掬い上げた。僕は俯きながら答えた。
「いえ、そんな崇高な理念なんてありませんよ…結果、助けたようになったっていうのが正解ですね」
「……君が何を想って行動したのかは知らないがその結果、華多莉を助けた事実は変わらない。他に、何か思い出すことはないかな?相手の特徴や会話の内容とか」
会話の内容。正確に覚えているわけではないが、僕は口にする。
「青澤監督……」
「なに?」
「青澤監督、たぶん映画監督の。彼を紹介するとかなんとか言ってた気がします」
僕がそういうと鏡三さんは両目を瞑り、溜め息を漏らした。
「わかった。今回の件は私にも落ち度があるみたいだ。君には借りができてしまったな……」
少し間を置いて鏡三さんは言った。
「どうだろう?何か望むものはないかな?私ができる範囲のことならなんでもしよう」
急にそんなことを言われても何も思い付かない。僕は考えながら、何の気なしにポケットに手をいれた。指先に何かが当たる。感触からしてそれは紙片だ。僕はそれを取り出して、肉眼で確かめた。
──文化祭のチケット……
僕は、その1枚を鏡三さんに渡す。そして言った。
「これで文化祭に来てください。それで彼女のLIVEを見てください」
鏡三さんは再び目を瞑り、重たい口を開く。
「…その日は本当に都合が悪くてね……」
確か海外へ発つみたいなことを言っていた。
「なんでもするんですよね?10分、いや5分でも良いので彼女のLIVEを見てあげてください!!」
「…どうして君は、華多莉の為にそこまでするのかね?」
「それは──」
◆ ◆ ◆ ◆
格好をつけて、エドヴァルドならこうする、ああするなんてことを思いながら配信をしていると、本当にそんな人間になった気がしてくる。しかし、モニターをオフにすれば反射で冴えない僕が写る。
同時接続者数が0人。それが何ヵ月も続けば、誰だって精神的にきつくなる。
ようやく1人が気まぐれで観てくれたにも拘わらず、見てる人が0人なのにやってて意味ある?なんて訊いてきた。僕はエドヴァルドが言いそうなことを言って、その場を誤魔化したが、それ以来そのコメントを打ってきた人が観てくれるようになった。
ララという名前の人だった。
現在1人が視聴中。
画面にその数字が写ると、僕は単純にも心踊った。配信する度に、その人に会いに行っている感覚になった。
友達なんていない。両親もいない。
実生活で精神的に落ち込むタイミングなんてたくさんある。しかしララさんと会えると思うと嫌なことも忘れることができた。
いつも僕に興味ありげで、最後まで配信を見てくれる。そして必ずコメントを残してくれた。
僕が勇気を出して、ララさんにモデレーターになってほしいと提案をすれば、子供のようにはしゃいで喜んでくれた。
少しずつ視聴者も増え始めると、あからさまな嫌がらせをしてくる視聴者にも出くわすようになる。具体的にはコメント欄を荒らすような行為だが、モデレーターとなったララさんが荒らしに警告を出してくれたりと僕を守ってくれた。
僕が配信を、いや、それだけではない。普通に生活を続けていられるのはララさんのおかげなんだ。
◆ ◆ ◆ ◆
音咲さんこと、ララさんのことを思い出す。そしてそんなララさんである音咲さんが過去に言っていたことを思い出した。
『お父さんに認められたいから……』
涙の痕を残した彼女の顔を今でも鮮明に覚えている。
僕は鏡三さんに何故音咲さんの力になりたいのか言った。
「それは、僕も父さんに認められたいから……でもそれはもう叶わない。華多莉さんは……貴方に認められたいと思っている。なのに貴方は華多莉さんを見捨てている。見捨てられる子供の気持ち……それが僕には痛いほどよくわかるんです」
僕の発言は止まらない。エドヴァルドにまた乗っ取られたのか。いやそうではない。これは僕の、織原朔真の気持ちだ。
「それに僕は彼女に何度も救われています。僕が今やっていること、何度も辞めようと思ったことがあります!それでも彼女は僕を勇気づけてくれました!!今の僕がいるのは彼女のおかげなんです!!」
理想の自分。怠け者の自分。努力する自分。無力な自分。誰も見てくれない。喋る絵。彼女がいてくれたから理想の自分でいようと思えたんだ。
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