すすき野原

どですかでん

すすき野原

 吾輩は猫である。四年程前に中國の光谷こうやへ行つて、書店で漱石の『吾輩ハ猫デアル』の飜譯ほんやくを二種類見付けた事がある。片方の、表紙に丸くなつた吾輩が坐つて居る書物を開いて見た所、冒頭に我是猫ウォーシューマオと書かれて居た。それから「……信じられ無いかも知らんが本當ほんとうである」と中國語で心許無い事が書いてあり、原文には無かつた筈だがと思ひ返して、飜譯者が現代風に意譯して仕舞つたのだなと見當が付いた。

 其󠄀後そのご上海にも行つたが、小説家の奥泉光君が豫言よげんして居た樣な事態にはつひぞ遭遇しなかつた。吾輩は殺人事件や、SFなどといふ面妖な體驗たいけんをして見たいと常々思つて居たが叶はずに居る。

 此間このあひだ家に、友人で學生をやつて居る霧島淡月君がやつて來た。彼は理學士にならうといふのに、機械の畫面がめんに食ひ入る樣にして、立體りつたいの女を上から下からいぢくつて居る。餘程よほど呑氣のんきな物である。吾輩は「自分は小學生の頃から『猫』をんで居た」と言つた。彼は黑い眼で余の顔を見ながら、「あれは文體ぶんたいがよく分らん」と讀む前から既に諦めて居る。氣の毒に思つて、泉鏡花君に比べれば大した事は無からうと教へてやつた。淡月君は其󠄀その文章を見て目を丸くして居た。

 吾輩が東京に越して來た時分には、近くに無人の郵政社宅が殘つて居た。郵政省の遺物か郵政公社の遺物か、いつ頃に出來た物か分らない。ずつと土地の周圍しゅういを黃色と黑の格子でかこんで、其󠄀内側で背丈の高い雜草がぼうぼうと繁つて居る。此四角のがらんどうの建物はしばら其儘そのまま置き去りになつて居た。

 然し一昨年の暮れに用事で脇をそそくさと通つた所、いつの間にかあをい草だけが丸で洋々たる海の樣にあたりを埋め、風が吹くと穗が波立ち、空間が平らになつて居た。それ以外何も無かつた。ただ海の樣に透き通つて居るのでは無く、甚だ亂雜らんざつに草が配置されて居て大變たいへん見苦しい樣な氣がした。然し其内そのうち全然氣にならなくなつた。

 夫で先日通勤のために朝日の中そこを通らうとしたら、猫が一疋いつぴき前を橫切つた。黑でも三毛でも無く、果して眞白まつしろである。ほとんど白以外の色が見えない。余の前に居た背廣せびろの男がぢつとこの白を眺めて立つて居る。白は柵の中にもぐり込んで、向ふの霞掛かつた、すすきの樣な草が集つた所にぽつかり空いた黃色い土の上に坐つた。目線を反らすと、一間ばかり離れた所にもう一疋白が居るのが見えた。織姫と彦星見た樣だと思つた。

 明くる日から此跡地に注意をはらふ樣になつた。二度ばかり白を見掛みかけたが、一向に一疋しか見付からない。然も先日出先からかへると、業者が跡地で草刈をして居る。背丈がほとんど短くなつて、一面がはつきり見渡せるくらゐ變化へんかして居る。以前の樣に茫洋たる感じがしない。もう白は來ないなと思つた。二人を隱してくれる所は無くなつて仕舞しまつた。後にただ淋しい樣な氣持が殘つて居た。翌朝あの跡地に行つて見ると、白が一疋丈、ぽつねんと隅の土の上で、身をき出しにして相手を待ちつづけて居るのが見えた。

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