1ー1
「黒モップ猫って此方に与える影響だけをいると、地球空洞説を思いだしますよね」
弾みに弾んだ声でグロはそう唐突に言った。転入三日目の二限目と三限目の間の休み時間。グロは笑顔で此方に来て早々に口を開き言ったのが先程の内容だった。
「一寸、何言っているか解りかねますね」
読んでいる文庫本から目を離さずにそう返す。全く以て話しかけてくるのを辞めて欲しいと言わんばかりの不機嫌な空気を纏いながら言ったのだが、グロの言葉は続く。
「ほら、虚に引き摺り込むって言うじゃぁ無いですか。ですから、虚って何だろうってなって、其処から空洞説が浮かんだんですよ」
此方の事等お構いなしと言わんばかりに言葉を続けるモノだから、何とも勝手なモノだと一人憤慨し、それなら此方も貴殿の言葉を無視しようじゃ無いかと思う邪心がひょっこりと浮かんで口を強く閉じようとした。だが、それ以上に思った事が言葉として口から出ていた。
「地球は空洞では無いと証明されたのでは無かったか?」
反射的に思った言葉を返すように言ってしまえば、弾んでいた声が爆発するが如く吹き出るモノへと変る。
「そう、何、ですよ! 空洞説は否定されました。もう、トレンドでは無いのです。一昔では空洞説と言えば、小説の落ちにも使われるくらいに有名なトレンドだったのですが、科学の進歩によってそれも過去の事となってしまいました。ですが、黒モップ猫は虚へと引き摺る。此処での虚は何だろうってなりませんか? 一周回って空洞説は実は本当だったってなりません?」
「なってたまるか。確か真ん中にはマントルが入っている。だから、空洞説は否定されたはず。知らんけど」
「それ何ですよ!」
此処で今日一番のグロの声が爆発するモノだから思わず文庫本から目を離してグロの方へと向けてしまった。視線の先には漆黒の目を爛々と輝かせ両腕をぶんぶんと振り回しているグロがいた。余りの興奮具合に思わず「うわっ」と声が出てしまうのだが、グロには届かなかったみたいだった。
「私達は実際に地球の真ん中に行った事はありませんし、見た事もありません。第一人類がマントルまで到達した事はないじゃぁ無いですか! あくまでも、地震からの予測に過ぎない。詰りは、もしかしたら、マントルは存在しないのかも知れないという説は棄てきれないのですよ! よって空洞説はまだあり得るのだと、言えるのかも知れません」
崩れるようにグロの口から紡がれた言葉は余りにもとんちきと言えるモノだった。思わず
「詭弁だぁ」
と引き気味に言ってしまえば興奮を湛える漆黒の目が此方を見据えるのである。
「私もそう思いますよぉ」
そう、笑みで返される。うわぁと喉の奥から唸るような声が出てくるモノだから、口から出る寸での所で押しとどめた。無垢な笑みを浮かべたグロは歌うように言葉を重ねる。
「詭弁ですとも、こんな考えは。ですが、黒モップ猫は存在するし、それによって虚は存在するのだと言う。ならば、何処までも地球空洞説は無くならないのですよ!」
何故、其処を混ぜて考えたと言いたいような説をグロは高らかと此方に提言する。いや、本当に何言っているか解りかねないのだったら良かったのだが、何故か恐ろしい事に面白いと考えてしまう自己が居るモノだから、吐き気が込み上げてくる。このまま、此の話題を続けるのは不味いと思い、適当にお茶を濁そうと吐き気の中口を動かす。
「虚は、虚。地球は、地球。其処にある、で済まないのか? グロは」
何を当たり前の事に疑問を持っているのだと言うような口調でそう言う。思ってもいない。だが、今まで此方が他者から投げられてきた殺傷能力の強い言葉をグロへとぶん投げる。
「そりゃぁ、どちらも存在していますよ。だから? で済みますよ。ですが、もし、その、だから? が瞬きの幻だったら、嘘であったら、って考えるとぐらぐらしてくるんです。ですから、確実を知りたいのです。ぐらぐらし続けていたら辛いじゃぁ無いですか。第一視点が定まらないし。なので、其処にある、では役不足なのです」
ぶん投げたモノが粉砕されてホームランになって此方へと還ってくる。その様を見届けながら、込み上げてくる吐き気は収まる所か苦みを帯びたモノへと変化していた。解ってしまうと同意する意思と、その意思を歪める事無く持ち続けるグロへの羨望がごちゃ混ぜとなり身を確かに蝕むのである。予鈴が鳴る。グロは「あ」と声を上げると「また」と不確かな先への約束を此方へ言ってから席へと戻っていった。言われた約束に此方が返事をする事は無い。行き場を失った「また」がふよふよと彷徨って居そうだと逃避しながら、脳裏の奥底に眠っていたモノが意思をもって此方へと笑いかけてくる。あぁ、辞めてくれ。そう、思い、忘れるようにぎゅぅと目を閉じるのだった。
「ヘタレ君、どうしたんですか? 変な顔をして?」
そう、グロが此方を見る。グロの背は此方からすれば幾分か低い。その為、此方を見る行為を取る時は必ず此方の顔を見上げるような形になる事が多い。今は此方が席に座っており、グロは立っている為、此方を覗き込む様に見ている状態となっている。次の休み時間に当然の様にグロは此方に来て早々に言い放ったのは何とも失礼な言葉。のそりと見上げ、返す言葉を選んでいればグロは言葉を続けた。
「今日のお昼は購買のパン何ですよ。何と、曜日限定のベーカリーのパン。今から楽しみで仕方が無いのです。思わず、授業中にそのパンが浮かんでしまったので足をばたつかせてしまいました。何パン食べようかなぁって思ったらもう、どうしようも無くて」
グロが勝手に話し始めた内容というのは何とも先の言葉と繋がっていないモノだった。返そうと考えて居た言葉は何処かに消え、自然と溢れ落ちる言葉は短いモノだった。
「あぁ、そうか」
適当に溢れ出る相槌をグロが気にする事は無いようで言葉は続く。
「私はメロンパンが好きなのです。メロンって感じがしない唯甘いパンで。砂糖をジャリジャリと食べるのは美味しいと思うのです」
その続く言葉が何とも酷いと思ってしまったので反射的に会話の続きを言ってしまう。
「好きとは思えない表現だな。けなしているのか。メロンパンを」
そう何気なく返せば漆黒の目が輝く。
「好きですとも! 美味しいでしょ。え、好きですよ。え、けなして何て居ませんよ。あの、亀みたいなフォルムも好きですし」
必死と言える勢いでグロは言う。その言葉に笑いながら解っているから、と言った感じに手を上下に振って見せれば必死は無くなっていった。
「あ、そう言えば、ヘタレ君! 何のパンが好きなのですが?」
勢いは残っていたらしく、ボリュームを間違えた声が目の前で響く。突然の爆音に目を細めてしまう。笑っていた口角が下がる。周囲から向けられている視線が増えたのが手にとるように解る。その視線は一時的なモノだとしても、余りにもぶしつけに此方を見ているように思えた。
「しいて言うなら、デニッシュアンパン。あと、グロ、声の大きさ間違えている」
絞り出すようにして出した声は確かにグロには届くだろう。その周囲で聞き耳を立てている人に届くかは知らない事だが。別にグロ以外と会話している訳では無いから良いのだろ。
「あ、すみません。間違えました」
グロは素直に間違いを認めると謝罪の言葉も合わせて言う。その言葉に返答する前にグロはまた脈絡の無い会話を始めるのである。先程の向けられていた視線はこの間に疎らと成っていた。
思い描いていた、目指していた、目標としていた学校生活とは一八〇度違うと言える生活を今送っているのは遠に自分でも自覚している。それを投げださないのは一重にどうしようも無いエゴと反骨心からである。
何故、こうなったのか話そうと思う。
此は僕事只野経垂のテリトリーに羽黒直がどのように侵入した事に対する譚である。
「何故ですか?」
女生徒の声が屋上にて響く。声の発信源である女生徒は納得してない様な顔をして不機嫌である態度を包み隠す事は無い。
「何故、ホウライを見たいと、知りたいと、願ってはいけないのですか?」
女生徒の声は納得等していなかった。解していない目は真っ直ぐと疑問をぶつけた相手を見据えている。
「何故?」
爛々と輝く漆黒の目は責め立てる様にクラス長へ向けられている。僕は、気付かれない様に息を大きくほうっと吐き出す。面倒な事になったのだとひしひしと実感するのだった。
此方の秘密が他に暴かれ、また新しい秘密が誕生したその後の事である。近衛さんとあの男子生徒で「このまま授業をサボってしまおうか」等話している時である。ふと、男子生徒が咥えていたモノをしまう。フィルターはまだあったというのに早々に携帯している灰皿へとしまうのだから、嗚呼そういう質なのか、と勝手に検討を付けていれば近衛さんにはそれが珍しく映ったらしい。
「あれ? 煙先生、もう良いの? まだ残っているけど」
そう言う近衛さんを見ながら、あの男子生徒を見る。男子生徒は気怠げに碧の目を上げると黒縁眼鏡から上目使いに近衛さんへと目線を向けた。
「ん? あぁ、良いんだ。うるさいのが来るから」
「あ、あぁ、成程。余り、邪険にするのは良くないよ。先生。って言うか、彼方の方が正しいし」
「解ってる。解っている。けど、酸素だからさ、此は」
そう言いながらあの男声生徒は煙草が入った白い箱を撫でるのである。それを見て、思わず筋金入りのヤニ滓って居るのだなと感想を抱いた僕は間違っていないのだろう。近衛さんの表情を見てみれば苦く笑っている。お可哀想に。貴方には荷が重いでしょう。勿論僕にだって荷が重い人ではあるのですが。と、一人芝居に浸っていれば屋上の扉が開く音がした。教師が補導に来たのかと思い振り返れば、全く違った人達が其処に立っていた。
「此は、此はクラス長殿、どういたしましたかな? 此方は今授業へと戻ろうと算段をしていたのですが、火急の様でもございましたか?」
屋上の扉の先に居たのはクラス長と知らない女生徒。その二人が口を開く前に、男子生徒が口を開き言う。僕は初めて此処まで慇懃無礼が似合う口調を使用している人を見た。その様子を苦い笑みを浮かべているのが近衛さんである。対して、言葉が向けられたクラス長の方を見てみれば、柔和な笑みを浮かべているだけだった。その笑みから感情を読み解く事は難しい。そもそも、此方は其処まで興味が無い。僕は唯、流れで居る事になった場からどうしようも無く、居尽くしているだけであり、流れに身を任せている状況なのである。だから、正直周りで起こっている会話等他人事を越えられないし、此の場でおける僕は結局傍観者に過ぎない。だから、此から来るだろう嵐等、どうでもよかった。ぼんやりと此の後の流れを想像しながら突っ立っていれば矢張、現実は想像より奇なるモノである。クラス長が口を開き音を紡ぐ前に違う音が割り込んできたのである。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん、私も居ますよ! ジョーンズさんだけではないのですよ。見えています? ねぇ、お兄ちゃん!」
クラス長と共に入ってきた女生徒が声を張り上げ、ぴょんぴょんと跳ねながら言う。その様子は自己の存在をアピールしている風に見えた。小さな体躯がぴょこぴょこと動く様は尚更に、特徴を強調される様に此方に映る。
「ん? あぁ、居たのか、グロ。小さくて気付かなかった。それにしても相も変わらず喧しいな。全く以て元気が有り余っていて羨ましい限りだ。で、学生の本分である授業をさぼってまで何故、ここに居るんだ」
此程までに「おまいう」と表現出来る案件があったのだろうか? そう、僕は感心してしまう。
「背の低いのはお兄ちゃんもじゃ無いですか!」
女生徒は両腕をぶんぶんと振り回して言う。その言葉は全く以てその通りなのであり、ぶんぶんと振り回される腕によって風が起きる。何とも、表情豊か。そう、名も知らない、恐らくこの男子生徒の妹なのかも知れない女生徒へ対して感想を抱く。あぁ、お兄ちゃんとあの男子生徒へ対し女生徒は言っているのだ。そうなのか、妹が居るのかと驚きが薄い感想を浮かべる。兄妹だろうが此方には関係が無い事となるのだから、向けられる興味は限り無く薄いモノで、一つ思うとすれば、妹にあたるあの女生徒の目はあの碧では無いのだと言う事だ。漆黒の目が爛々と輝いている。その色を見ながら、どちらにせよ兄妹揃って珍しい色をしているのだと再度感想を更新するのだった。
「こらこらミニアムズ。とまれって。全く仲が良いなぁ」
近衛さんの声で軽く沈んでいた思考が浮上する。ミニアムズ? と聞き慣れない単語に首を傾げる前に反応が近衛さんへと返る。
「「誰が、ミニアムズ! だ!」」
綺麗に揃った言葉を紡ぐ二人を見る。猫が毛を逆立てている様な態度となっている男子生徒と女生徒を見渡して思うのである。あ、兄妹だ、と。
軽やかな嫌味の無い笑い声がその後響く。近衛さんの声では無い。当然ながら僕の声でも無い。クラス長が柔和な笑みを崩して笑っているのである。口を開き歯を見せる笑い方をしていた。黄色の天蓋が揺れる。その間から見える歯を隠すようにして笑うクラス長は楽しげだった。
「すみません。仲が余りにも良いものですから」
そう言って微笑むクラス長は様になっていた。微笑ましいモノを見るかのような細められた目も、口元に添えられた手も、何もかも違和感が無く、紡がれた言葉が裏表の無い事を証明しているように映る。僕という人は何とも疑い深い質をしているモノだから、興味が無い相手でも一度目に付いてしまえば、その言葉の、仕草の、「意図」を考えてしまう。そんな此方の猜疑心に溢れた目にも本当のモノとして映るのだから、クラス長は余りにも出来過ぎていた。同じ年月を重ねてきた事が常に付き纏う違和感となる程、矢張、クラス長は出来過ぎた人だった。
「火急の用ではございませんが、数学の授業が自習になりました事を伝えに来ましたの。ですから、直ぐ戻る必要性は無いと、煙先生に朗報を届にまいりました」
「おやまぁ、それは、それは、ご丁寧な事で。私だけにございますか? その朗報とやらは」
「あら、当然の事でございましょう。近衛さんも、只野経君も、先生とは違いまして真面目でございますから、授業をエスケープする卑しい考えをする等、先生のみでございましょうと考え至りまして、間違っていましたかしら?」
「いえいえ、間違って等いやしませんよ。いやはや、その通りでございます。クラス長殿は流石の慧眼でございます」
「あら、慧眼だなんて、先生ったらお口が御上手でいらっしゃる。でも、嬉しいわ」
ぼんやりとクラス長について考えていれば、男子生徒とクラス長がたいそう摩擦が生じている会話をしていた。その摩擦具合は丸かった角が再度尖りを取り戻す様なモノだった。忘れそうになるが、編入してきて今日が初日なのである。だから、普段の此の二人の仲等知る故も無い所であるし、摩擦が生じている関係であったとしても何ら此方に実害は湧かないのである。興味本位で近衛さんの表情を窺ってみれば、苦い笑みを浮かべていた。困惑といった感情とは違った、苦く、苦い、笑み。薄らと此の摩擦会話が普段から交わされているモノであると、察するのだった。
「あ!」
此処で全く違う反応が一つ起きる。
「思い出しました。私、聞きたい事があったのです!」
当然の事ながら、此の場の空気に水を差せる人等一人しか居ない。
「只野経君、虚を見ましたか! 繋がる扉から見えましたか!」
件の女生徒は興奮を湛える爛々と輝く漆黒の目を此方に合わせ言うのである。全く以て、流れから反した予想外の事が目の前で起こり始めていた。
「え、怖」
口から出た言葉は何とも女生徒の言葉と文脈が繋がらないモノだった。
口から反射的にだしてしまった言葉に遅くながらも口を塞ぐ。素直に出てしまった言葉であるから、余りにも恥ずかしい。薄ら表面上が温度を持ち始めているのが体感出来る。口を塞いでいた手が自然と顔全体を覆ってしまう。もし、此処から脱せられるのであれば、どのような条件であったとしても僕は頷いてしまうだろう。
「羽黒さんったら、それは余りにも無作法ですよ。只野経君が困っていらっしゃいますよ」
そう、クラス長が宥めるかの様に女生徒へと声をかける。女生徒はパチクリと目を瞬かせる。興奮を湛え爛々と輝いていた漆黒の目に一度の陰りが見えた。
「余り、ホウライさんにホウライの事を聞くのは良い事ではありませんよ。それに。只野経君はまだホウライに慣れていらっしゃらない様ですから、尚更に」
女生徒が言葉を紡ぐ前にクラス長は重ねて、念を押すかのように言葉を紡いだ。
「何故ですか?」
女生徒が言葉を紡ぐ。
念を押すような言葉は見方を変えれば何も解っていない人へ説明しているかの様にも映った。まるで、情緒が育ちきっていない幼子へと言う大人の姿。苦く、音にならない声で薄く開いた口で笑う。何を、頓痴気な事を考えてしまったのか。そう、自傷気味に自己を否定していれば、また思考が沈む。
「何故、ホウライを見たいと、知りたいと、願ってはいけないのですか?」
沈んでいた事に気付き、急いで浮上させてみれば女生徒がクラス長を見据えて意見を言っていた。あの、興奮を湛えていた爛々と輝く漆黒の目は光を失っている。変わりに黒曜石のナイフ如くの鋭利さを持ち合せクラス長へ向けられていた。
対するクラス長と言えば、柔和な笑みを変わらず浮かべていた。軽く首を傾げて見せる動作を一度、女生徒の発言後にする。その動作から何故あの様な意見が出てきているのか理解できていないのだろう。柔和な笑みを浮かべた儘、クラス長が口を開こうとする。その前に女生徒が音を発しるのである。
「何故?」
黒曜石のナイフの視線はは鋭利にクラス長へと刺さる。だが、クラス長はその鋭利さを意図も簡単に加工してしまうのである。黒曜石の鋭利さはクラス長へと届いて等いないように僕には見えたのだった。
「あのね、羽黒さ、
「只野経君、で、虚は見ましたか?」
クラス長の諭す声を振り切り女生徒は此方へと問うてくる。漆黒の目に凡やりと自らの姿を映し見る。あぁ、変わらず苦い笑みを浮かべている目は淀んでいる。その淀みは自らの事ながら気色が悪かった。
「うわっ、無理」
口から溢れ落ちた言葉はこの場で確かに存在を持った。
女生徒の言葉も間違っていただろうが此方の言葉も間違っていただろう。あぁ、不味い。久方ぶりに人と関わればこれである。会話する能力が著しく落ちている。この場にあった言葉を選択出来なくなっている。唯、浮かんだ言葉が出てくる等、思った事を反射的に垂れ流している無防備な阿呆そのものでは無いだろうか。これじゃぁ、守りたかったモノだって当然守れやしないだろう。だから、こうなったのだが、と、逃避で説明を脳内でつけていても現実は待ってくれやしないのである。先程の言葉の弁明を待つ空気がこの場で広がっている。女生徒事等そっちのけで此方へと注目が集まっている。あぁ、口元が震える。何を選択して言えば良いのかとんと検討が付いていないのである。あ、前を見えてない。あ、今、自分がどのような表情を浮かべているか想像もしたくも無い。あ、どうしよう。息が詰まっているかも知れない。
「そりゃ、無理だろう。直。お前は手順を踏んでいな過ぎる」
場の空気に水が差されたのが解った。並々と注ぐように水を差した言葉は続く。
「彼唐土の英雄は軍師を得る為に三度に渡って軍師の家を訪ねたのだと言う。その懸命さに心動かされた軍師は彼英雄の軍門に下った」
其処で水を差し言葉を紡いでいた男子生徒は女生徒の方を見据えて、一度言葉を区切った。
「解るか? この逸話が指し示す意味が」
区切った言葉の後に直ぐに続いて出た言葉は女生徒へと向けられていた。真直と女生徒を見透す碧の目を被弾するかの如く見てしまった此方の気分は大変悪い。あぁ、とあるボードゲームの「此処でSAN値チェックです」という言葉が聞こえてきそうである。まぁ、これはボードゲームでも何にでも無く現実の事であるのだが。
「解っていないようだな。
「つまりは、礼節を弁え手順を踏めと此方は言っているんだ。直、今の貴様の態度は礼節も何も無く、見るに耐えないと言いたいんだ。此方は」
男子生徒の方ばかりを見ていたせいで女生徒の反応を見る事をしていなかった。男子生徒へと向けていた目を女生徒の方へと向けてみれば、黒曜石のナイフの角がとれ加工され丸くなっている目をした女生徒がいた。苦言を呈されているにも関わらずその目には気不味さや気恥ずしさといった感情が一切伺えない。もし、此方が女生徒の立場であったのならばこれ以上の恥は無いだろうと思ってしまう。公衆の面前を前にして兄妹から苦言を呈するなど余りにも矜持を傷付ける事では無いだろうか。しかも、同じ歳からの兄妹である。矜持どころの話では無いだろう。と、思考を飛ばして入れば全く此方の予想を覆す反応が起こるのである。
「はい! わっかりました。お兄ちゃん! 手順を踏みますね!」
明るい声の方向を見てみれば其処には無表情の女生徒がいた。その、顔が作り出す表情を見て僕は初めて心底気色が悪いと他者に対して抱いたのである。ゾワゾワと節足動物が衣服と肌の間を歩いている様な感覚が全身に駆け巡って仕方が無い。純粋な漆黒の目は変わらず相対するモノの姿を映し出す。
「ヘタレ君! これからお願いいたしますね!」
此方の無様な姿が姿そのまま漆黒の中に映っているのが見えた。声に成らない嫌悪を湛えた悲鳴を押し殺しどう返せば良いのか解らずに苦い笑みで返してしまう。此処で一つ昔読んだエッセイの一節を思い出す。
「何を?」
人の体は精神を裏切り、また逆も然りであると。
口に出すはずが無かった言葉がまた溢れ落ちた。
後になって思えば、此が始まりであり、この時点で何もかもが遅かった。グロという女生徒にテリトリーへの侵入を許してしまう事も全て、此処で決定付けられたのだろう。全ては避けられようの無く仕込まれた偶然と言うモノ。
だが、此の時の僕というのはたいそう楽観的であったと言える。此から起きる事に全て楽観視し過ぎていたのだ。
譚はまだ話し終えていない。だが、此処で一つ注釈を付けたいと思う。
此から話すのは、無垢で執念深い漆黒の目を持つ女生徒の事。
つまり、羽黒直に対する譚である。
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