第7話 ボクの七日目

――七日目――


 この日は朝からソワソワしていた。

 リュックを背負い、何度も鏡を見た。映りもしないのに。

 最後にりのりんと会うのに、変な格好はできないじゃあないか。


 夕方になりナンノくんがライラックのデザインTシャツを着て身支度を整えている。

 そういえば、このTシャツはボクも買っていた。

 汚れてはいないし、汚れもしないけれど、ボクは一度外へ出ると、思いきってサキカワさんを呼んでみた。

 チリリン、と小さく鈴の音が響き、ボクの前にサキカワさんが現れた。


「荒川さま。なにかお困りごとでしょうか?」

「あの……くだらないことを聞くようで申し訳ないんですけど、着替えってできないんでしょうか?」

「可能でございます。すでにお持ちになっているものに限定されてしまいますが……今、お手もとにはございますか?」

「手もとにないと無理ですか?」

「いいえ。着替えたいと願いながら、身に着けたい衣服を思い浮かべてみてください」


 ボクはさっきのナンノくんと同じTシャツを思い浮かべた。着ていたシャツがTシャツに変わった。


「お見事です。その要領で、手荷物やアクセサリーなども交換できます。多少の想像力を要しますが、すでにお持ちのものに限定されておりますので、細部まで思い浮かべる必要はございません」


 そういえば家に帰ったとき、リュックのことを考えたらいつの間にか背負っていた。そういうことか。

 着替えを済ませ、サキカワさんにお礼を言ったとき、ちょうどナンノくんが部屋から出てきた。もう会場に向かう時間だ。


「それでは荒川さま。残りの時間、存分にお楽しみください」


 フッとサキカワさんの姿が消えたのを見送り、またボクはナンノくんに乗った。

 都内の人混みに揉まれながら歩き、繁華街にあるライブ会場までやってきた。

 ここは意外とキャパがある。

 会場の前にはもうニッシーくんやユキオくんが待っていた。

 キタくんや山辺さんはもう会場に入っているという。告別式に来てくれていたほかの何人かはちょっと遅れるらしい。

 三人と一緒に中に入った。


「来たかったなぁ……ボクも。こうじゃなくて、みんなと一緒に」


――アラちゃんも来たかっただろうな。

――だよね。今日はアラちゃんのぶんまで頑張ろうよ。

――だな。山辺さんはやっぱりやらないって?

――うん、歳だからもう無理っていうんだよ。


「えー? 山辺さんやらないんだ? せっかくなのにもったいないね」


 聞こえていないのに、つい口を挟んでしまう。

 そんなふうに雑談をしているうちに、キタくんも山辺さんも合流してきた。

 時間がきて、入場が始まると、ボクはナンノくんから山辺さんに乗り換えた。

 ナンノくんはレイナの前に行ってしまうから、申し訳ないと思いつつも、ボクは山辺さんに乗ってりのりんの前まで行ってもらうことにした。


「ホントは駄目なんだろうけど、ちょっとだけなら……」


 ダッシュでりのりんの立ち位置正面に陣取る。最前列じゃあないけれど、十分すぎる近さだ。

 ホールが暗転し、ざわつきがおさまりはじめると、誰が言うともなしにライラックのコールが響き始めた。

 会場が熱を帯びてゆくのがわかる。山辺さんもボクもだんだんと高揚していく。

 SEが流れたとたん会場が湧いた。そこかしこから推しを呼ぶ声が広がり、ステージが明るくなったと同時に、まるで爆発したかのように会場が揺れた。

 代表曲の『スターライト・メロディ』から始まり、MCを挟んで次々に曲が進んでいく。


『夢色ライラック』

『ドリーミング・ワンダーランド』

紫陽花あじさいのメロディ』

『星空のダンスフロア』


 ボクはずっと、りのりん一人を見つめ続けた。次の曲のイントロが流れると、ボクの周囲はさらに熱を帯びる。


『キラキラのミラクル』


 りのりんのソロ曲だ。

 山辺さんは箱推しだから熱量は変わらないけれど、ボクはあふれる涙が止まらない。

 聞こえないとわかっていても、りのりんの名前を叫ばずにはいられなかった。


『ライラックフェアリーテール』

『幻想のステップ』

『魔法の行方』

『恋するロマンティックナイト』

『未来へのプレリュード』


 メンバーそれぞれのソロ曲を挟みながら、十一曲が終わった。

 最後の曲のイントロが流れ始める。

 ステージ前に並ぶファンたちの周囲に少しずつスペースが広がっていく。

 今日はこの最後の曲『フォーチュンスパイラル』でみんながオタ芸を打つ。本当ならボクも……。

 今回はやらないと言っていた山辺さんと一緒に少し下がった位置からみんなをみていた。


「ああ……ニッシーくん、そこは……ちがうちがう! ユキオくん腕のラインが甘いって……キタくんそこはその角度じゃないんだよ」


 みんなの動きが目について仕方ない。ボクならもっと……。


「ダメだ、見ているだけなんて無理! 山辺さん、ゴメン!」


 ボクは憑いてしまった。

 山辺さんの体を借りると、そのまま周囲を押しのけて一番前に躍り出た。

 自分でいうのもなんだけど、ボクはこれで意外とうまい部類に入る。キッチリ動けるほうだ。

『フォーチュンスパイラル』を歌いながら無我夢中で打ち続けた。

 グッズを買うこともできない。これから先、ライブに来ることもできない。

 ボクがりのりんにできることは、たった今、ここで応援することだけだ。

 好きで好きでしょうがないけれど、愛しているのとは違う。結婚したいわけじゃあない。

 ただ大好きで、頑張っている姿を応援したくて、幸せになってほしくて……。

 りのりんの目がボクに向いている。見ているのは山辺さんの姿だったとしても、ボクは満足だ。

 もうすぐ曲が終わる。

 ラストで右腕を突き上げて叫ぶ。


――りのりん! 今までありがとう!!!


 肩で息をしているボクのそばに、一番近くにいたキタくんが人をかき分けて寄ってくるのがみえた。


――ええっ! アラちゃんさん!? あれっ? ちがう! 山辺さん?


 りのりんが叫んだ。


「へ……? みえてないよね? っていうかボクのこと、認識してくれていたんだ」


――山辺さんなに今の動き! すごい! アラちゃんみたいだったよ!


 キタくんが興奮した様子で肩を揺さぶる。その向こうに、ナンノくんとニッシーくんがもみくちゃにされながら移動してくるのがわかった。

 ボクはそっと山辺さんから離れた。

 時計は二十時を過ぎたところだ。少し早いけれど、もう、逝かなければ。


「山辺さん、憑いちゃってごめんね。みんな、元気で。今まで本当にありがとう」


 これ以上ここにいても、名残惜しくて離れがたくなるだけだ。

 ボクはサキカワさんを呼んだ。鈴の音とともに現れたサキカワさんに促され、ボクは白の間へと戻った。

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