11話 7月26日 修羅場の予感 七瀬凛
『婚約者の方がお見えになったよ』
という連絡が片平店長から届いたのは、今から五分ほど前だった。
わたしは大急ぎで家を飛び出すと、ディスカウントショップ片平に自転車を疾走させていた。
婚約者の人が来たら連絡をもらえるように前もって店長に頼んでおいたのだ。
まあわたしは部外者なんだけど、婚約者の楠さんと一番最初に話をしたのはわたしだし、とにかく気になるじゃん!
婚約者が現れたことで、八神さんの正体陰謀説は弱まってしまったが、まだ可能性はある。
あの楠さんが実は殺し屋で、生きていた八神さんを再び殺しにやって来た説。わたしの中ではこれが一番推してる説。
マンガでも映画でも昔から殺し屋は美人が多い。超絶美人の楠さんはまさに殺し屋にうってつけの役どころなのだ。
勝手に殺し屋にしちゃって申し訳ないんだけど、どうしてもそんなことを考えちゃうんだよね。
本当は無事に再会できておめでたい話。みんなでお祝いしてあげよーってのが普通なんだけど……。なんかちょっと引っかかるところもあって……。
確かにオカルト陰謀論大好きなところもあるけど、それゆえの直感てやつ。八神さんのときも感じた陰謀論センサーが反応するんだよね。うんうん。
勝手に妄想を繰り広げていると、片平の看板と駐車場の入り口が見えてきた。
わたしは心持スピードを上げると駐車場に自転車を滑り込ませた。
今日は出勤日ではないので、そのままお客さん用の駐輪スペースに自転車を停めておく。決まりでは従業員は裏にある専用の場所に停めるのだが、今は時間がもったいない。
自転車に鍵をかけ入口に向かおうとしたとき、不意に後ろから声をかけられた。
「七瀬さん」
振り返り思わず「ひっ!」と声を上げてしまう。
いつの間にそこにいたのだろう。スーツ姿の楠さんがそこに立っていた。
「あら、ごめんなさい。驚かすつもりはなかったの」
楠さんはそう言ってすまなさそうな顔をした。
勝手に殺し屋のイメージをしていたものだから必要以上に驚いてしまった。なにをやっているんだか……。
「い、いえ、こちらこそすみません……」
さすがにそんなことを言えるわけもなく「あはは……」となんとかごまかしながら、なぜここに楠さんがいるんだろうという疑問も湧いてくる。
店長の話ではもう来ているはずなのに。これから来るの勘違いだったのかな。
「楠さんは今来たところなんですか?」
さっそく疑問をぶつけてみる。
「ええそうよ。七瀬さんはこれからお仕事?」
「いいえ。今日は休みでたまたま買い物に」
本当は陰謀説を検証するために来ているのだが、もちろんそんなことは言えない。なんだか隠し事ばかりだなあ。
それより楠さんも今来たばかりということは、店長の勘違いだったようだ。
「じゃあせっかくだから事務室に案内しますよ」
とうぜん親切心で言っているのだ。決してこのながれで八神さんとの話を聞いてしまおうなどとは思っていない。いないからね!
「あらいいの? そうしてもらえると助かるわ。ありがとう」
笑顔で胸の前で両手を合わせるしぐさも、楠さんほどの美人だとさまになる。
きれいなお姉さんに喜んでもらえるのもいいもんだなあ。などと、またオヤジみたいなことを思いながら楠さんを案内する。
途中で八神さんに会えればいいんだけど……。店内に入り、きょろきょろあたりを見まわしてみたけど八神さんの姿は見当たらない。
品出しは終わってしまったのだろうか。休憩で事務室にいるならちょうどいいのだが、いないならいないで呼び出してもらえればいいか。
けっきょく八神さんの姿は見当たらず、事務室の前まできたわたしは、楠さんにその場で待っててもらい事務室のドアを開けた。
「失礼しまーす」
目の前にイスに座った八神さんの姿を確認する。どうやら休憩中だったようだ。
「あ、八神さん。ちょうどいいところに。今婚約者の方がお見えになって……」
そこまで言ったところで八神さんの他に人がいることに気がついた。八神さんと向かい合わせに座る女の人に——。
ウェーブがかった明るい栗色のロングヘアに、ぱっちりとした大きな瞳が印象的。はっきりとした目鼻立ちの美人で、海外モデルのような人だ。日本人にも見えなくもないが、おそらく両親のどちらかが外国の人なのだろう。
楠さんも美人だがこちらの人も負けていない。東洋と西洋の美女がそろったみたいだ。
服装はラフないでたちで、タンクトップにショートパンツといったかっこうだったが……どうしても目線がいろんなところにいってしまう。
ショートパンツがショートすぎないかい。ムチムチの太ももがこれでもかと主張してるんですけど! それよりもタンクトップのその盛り上がりは何ですか!? スイカが二つ入ってるんですか!!
鼻息荒く眺めてしまう。
「あの、七瀬さん……七瀬さん」
ここで八神さんに呼ばれていることに気付く。見ると不思議そうな顔で八神さんがこちらを見ていた。
「え、あっ、はい!」
慌てて我に返る。
いけない、最近きれいな人を見るときオヤジ目線になっている。十七歳にしてオヤジ化が始まっているのかしら……。
というか、オヤジ化がなんなのか分からないが、そんなことをやっている場合ではない。婚約者の楠さんを連れてきているのだ。
しかしこちらの女性も気になる。そう言えば店長がアルバイトの求人を出してたし、応募にでも来た人だろうか……。
部外者がいるのに楠さんを紹介していいものかどうかわたしが迷っていると——。
「紹介します。俺の婚約者のエミリア北川さんです」
と、八神さんが目の前の女性を紹介しだした。
ん? 何を言ってるの? 婚約者は楠さんでしょ。こちらの方はアルバイト希望者じゃないの?
「こ、婚約者って、この方が……?」
そんなはずはない。聞き間違いかと思い恐る恐る八神さんに尋ねてみた。
「はい、どうやらそうらしいんです……」
そんな返事が返ってくる。聞き間違いではないらしい——。どういう事?
わたしは意味が分からず半ばパニック状態だ。婚約者を名乗る楠さんに会ったのは昨日で、今日、八神さんに会いに来ることになっている。で、私の後ろにいるのが会いに来た楠さんで間違いない。だけど目の前にいる女性も婚約者で八神さんに会いに来た……。どういう状況?
その時だった。わたしの横をすり抜けて楠さんが事務室へと入ってきた。
「失礼します」
楠さんは優雅に一礼すると、エミリア北川と紹介された女性を
「私が本物の婚約者、楠瑞穂です。久しぶりね。大ちゃん」
そしてにっこりと微笑んだ。
突然現れた楠さんに驚く八神さん。「本物の婚約者……」と、つぶやいたきり動きを止めてしまった。
ダメだ完全に思考が停止してる。
この状況を陰謀論抜きにシンプルに説明するならば、単に婚約者が二人いたということになる。
でも、もしそうなのだとしたら……。
思考停止の八神さんは置いといて、二人の女性の間にピンとした空気が張りつめる。
こ、これは、とんでもなくヤバい状況なのでは……。
その張りつめた空気の中、わたしも思考停止になりたいと本気で考え始めたのは言うまでもない。
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