8話 7月23日 自分の過去 八神大智
眠い目をこすりながらベッドから起き上がる。傍らに置いたスマホで時間を確認してみると、時刻は朝の9時を過ぎたところだった。
昨日はなかなか寝付けなかった。
強盗犯を取り押さえた後、警察署に移動して事情を聴かれていたのだが、案外早く終わった。
その後、パトカーでアパートまで送ってもらい、落ち着いたのがだいたい22時。その時になって俺は初めて気がついた。なぜ俺にあんな事が出来たのか。
相手は銃を持ち人質までとっていた。普通は怖くて動けないはずだ。なのに俺は……。
あの時、俺は冷静に状況を分析していた。どうすれば犯人を無力化することができるのか、銃を持った相手の対処法もわかっていたし、恐怖心もなかった。
どうするべきかすべてわかった。まるで
考え出したら次々と疑問が浮かび上がってきた。とても一息つける状態じゃない。記憶がなくても身体が覚えているとしたら……俺は何者だったんだろう。
普通に考えれば自衛隊を思いつくが、それだったらとっくに身元が判明するはずだ。未だに身元が不明なのはおかしい。
それじゃあ格闘家か護身術のたぐいをやっていて、たまたま犯人を取り押さえる事が出来たのか……これも違う。
護身術で銃の扱い方まではやらないだろう。あの時は何故かそれが分かったし、なんなら銃の種類、名称、分解結合の方法までわかっていた。しかし、今わかるかと言われればわからない。なぜかあの時はわかった……。
そんなことを考えていたらなかなか寝付けなくなってしまった。
それでもいつの間にか眠りには落ちていたらしい。今日はバイトが休みで助かった。
あくびをしながら大きく伸びをする。寝不足の頭はうまく働かない。シャワーを浴びてスッキリしようとバスルームへ向かった。
Tシャツを脱いで洗濯機に放り込む。目の前の洗面台に設置された鏡に目を向けると、自分の姿が映し出されていた。
知らない男の顔がそこにある。記憶がないのだから当然だ。しかし、間違いなく自分だ。まるで他人を見ているような感覚になるが、それも今ではだいぶ慣れてきた。初めのうちは少し気味が悪い感じがしていたものだ。
まあ、それはいいとして気になることが一つ——。
視線を顔から下へと移動させる。やたらと引き締まった体が目に入る。無駄な肉をすべてそぎ落としてできた体がそこにあった。ボディビルのようなムキムキの筋肉ではない、柔軟性に富んだしなやかな筋肉が全身を覆っている。
今までは、ずいぶん鍛えてたんだな。程度にしか思っていなかったが、昨日の事があり考えが改まった。
ああいった事態に対処でき、銃の扱いもできる鍛えられた体。そして何より記憶がない俺が発見された状況……ほんとうに俺はヤバいやつだったんじゃないのか、それとも映画や小説ではよくある設定の……まさかそんな事は……。
「いやいや、ありえない……」
鏡の中の自分にそう言い聞かせ、俺はバスルームへと入っていった。
シャワーを浴び終えスッキリとした俺は、溜まった洗濯や部屋の掃除を終え、ソファーで一人くつろいでいた。
自分の正体についてあれこれ考えていたが、答えなど出るはずがない。結局は想像の範囲内だ。しかも出てくるのは犯罪絡みの人物か、映画や小説の主人公の設定みたいな人物ばかりだ。いい加減疲れてくる。
ふと、スマホを見てみる。時刻は間もなく12時になるところだった。だいぶ時間がたっていたようだ。そういえば腹も減ってきた。お昼は何を食べようか、などと考えているとスマホに着信があった。誰だろうと見てみると七瀬さんからのメールだ。
そういえばあれから七瀬さんに連絡はしていなかった。大丈夫だったろうか。
メールを開いてみる。
「ん?」
メールの内容は一言『これを見てください』とだけある。あとは動画のリンクが貼られてあるだけだ。
何だろうと思いながら動画のリンクをタップする。すると画像は荒いが、一人の少女が銃を突きつけられている動画が再生され始めた。
「これって……」
間違いない、昨日のファミレスでの強盗事件だ。誰かが動画を撮っていたのだろう。
動画では犯人にとびかかり、取り押さえる俺の姿も映っている。
その時またスマホに着信があった。またもや七瀬さんからのメールだ。そのまま開いて内容を確認する。『動画見ましたか? テレビのニュースでも放送されてます。それと、SNSで本人を特定しようとしているみたいで、片平で働いているところまで特定されてますよ!』と、あった。
——なんてこった。
昨日の今日で職場を特定されてしまった。SNSとは恐ろしい——とは思ったものの。
職場を特定されたからといって、俺を見に来たりする人がいるのだろうか?——とも思ってしまう。
どこにでもいる普通のおっさんだぞ。興味ないだろ。面白半分に暇な人が数人来るぐらいが関の山だろう。それに居場所が分かっても個人は特定できないのは分かっている。なにせ俺は記憶喪失だ。警察でも俺の身元は未だにわかっていない。
ということで、実際には何も困らないことが判明した。むしろこれを見た人の中に俺の事を知っている人がいれば、そこから身元がたどれるかも知れない。逆にこれはチャンスではないか。
SNSの拡散力はものすごい。俺の事を知っている人が現れる可能性もあるはずだ。
そう思うとSNSでの拡散はありがたい。他力本願で自分の身元が分かるかもしれないのだ。
七瀬さんにもその事をメールで伝え、あまり心配しないようにと付け加えておく。
この時点ではお気楽に考えていた俺だったが、数日後に起こる出来事で、地獄を見る羽目になるとは全く想像もしていなかったのだった。
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