7話 7月22日 犯人逮捕 七瀬凛

 一瞬の出来事だった。

 マリアが人質に取られ、呆然とその状況を見ているしかなかったわたし。——その時突然。犯人の男にとびかかり、あっという間にねじ伏せてしまった人物がいた。ほんとに一瞬だった。何がどうなったのかもわからない。気がついたらそうなっていた。そして―—。

「えっ……八神さん」

 犯人の男を取り押さえている人に見おぼえがある。ついさっきまで一緒にいた八神さんではないか!

 いやいやそんなはずはない。だって八神さんならここに……。

 わたしは八神さんが座っていたはずの目の前の席に視線を移す。

 ——いない!

 もう一度、わたしは犯人を取り押さえている人物に視線を戻した。間違いない。どこからどう見ても八神さんだ。

「うそでしょ……」

 いったいいつの間に……。

 わたしに伏せるように言った後、てっきり八神さんも身を隠しているのかと思ってたけど、その時にはすでに犯人のところに向かってたってこと……。


「助かった……」

 わたしがそんなことを考えていると、どこからかそんな声が聞こえてくる。

 そうか……助かったんだ。

 そう言われて初めて助かったことに気がついた。

「兄ちゃんすげーな!」

 どこかのおじさんがそう言って拍手をし始めた。それにつられるように他のお客さんたちも拍手を始める。やがて店内は八神さんを称える拍手でいっぱいになっていった。


 確かにすごい。あっという間に犯人を取り押さえたのだ。しかも銃を持っている相手を……。

 そもそも普通の人だったら、あの状況で何か行動を起こすこと自体出来ないはずだ。状況が分かったときには恐怖に震えているしかない。

 それなのに八神さんは真っ先にわたしに伏せるように言った。あの時点ですでに状況を把握して行動に移したに違いない。そして犯人を取り押さえた……。

 だとすると、八神さんは普通の人ではないのだろうか? 記憶がなくても本能的に体が反応した。そう考える方がしっくりくる……。八神さんはいったい何者なんだろう。


 わたしの頭の中は徐々ににオカルト都市伝説脳になっていく。

 やっぱり国家機関のエージェントか何かなのよ!いや、世界最強の殺し屋かもしれない。もしかしたら極秘特殊部隊の隊員とか!

 妄想が止まらない。


 気がつくとサイレンの音が遠くから聞こえてきた。

 間もなく警察の人がやってきて、犯人の男を無事逮捕。店員さんと八神さんは、警察の人から何やらいろいろと話を聞かれている状況になっていた。

 すると、警察の人と話が終わったのだろうか、八神さんがわたしのところにやって来た。

「七瀬さん」

「は、はい!」

 普通に声をかけられただけなのに、思わず声が上ずってしまう。仕方がない。わたしの頭の中での八神さんは、エージェントだったり最強の殺し屋だったりしているのだから。

「すいません。これから警察署の方で詳しい話をすることになっちゃって、これから行ってきます。せっかく食事に誘ってもらったのに。後で必ず穴埋めはしますから。それと、お代は支払っていきますね」

 そう言って八神さんはすまなそうに頭を下げると、お会計の伝票を持って行ってしまった。

 

 勝手な妄想を繰り広げていたわたしだったが、ふと我に返る。

 え、どうしよう。一人になっちゃった。……っていうかマリアは!?

 そうだ、すっかりマリアの事を忘れていた。妄想に夢中になっていたとはいえ、人質になっていた友達の事を忘れているとは……うう、ごめんよ。マリア!


 急いでマリアたちのテーブル席に向かう。

 マリアたちは自分たちの席に着いたまま、警察の人から事情を聴かれているようだ。人質になっていたのだから当然だろう。

「マリア! 大丈夫だった? 怪我はない?」

 わたしがマリアに駆け寄ると、警察の人の話も終わったらしい。

「お友達ですか? 大丈夫、怪我はないようですよ」と、警察の人がわたしに教えてくれた。

「うん、怪我はないから大丈夫」

 若干震えてはいるけれど、マリアは大丈夫そうだった。怪我がなくてほんとうによかった。

「それではお話ありがとうございました」

 そう言って一礼した警察の人は、何やら無線機で話しながら店の外へと去っていった。

「それにしてもびっくりしたぜ。マリアが人質になるとはな」

 遥がそう言って、氷の解けきった水をごくりと飲みこんだ。 落ち着いてはいるようだが、さすがの遥も動揺は隠しきれていない。

「とにかく二人とも無事でよかったよう」

 先ほどまでの妄想アドレナリンがおさまってくると、さすがに恐怖心が蘇ってくる。いまさらだがよく助かったものだ。普通に考えたら怪我人どころか死人が出ていてもおかしくない状況だったはずだ。無事に助かったのは八神さんのおかげだ。


 ——十分後

 わたしたちは近くのコンビニに場所を移していた。

 さすがにあんな事件があった後ということで、マリアが迎えの車を手配。安全のためみんなを家まで送っていくという事になった。

「凛の彼氏に助けられたわ。後でちゃんとお礼を言わなければなりませんね」

 だいぶ落ち着きを取り戻したマリア。

 迎えの車を待つ間、わたしたちは先ほどの事件について話をしていたところだ。

 そうだ、わたしもちゃんとお礼しなくちゃね……。いやいや、ちょっと待て!

「普通に言ってるようだけど、彼氏じゃないからね!」

 ちゃんと訂正しておかないと事実がすり替わってしまう。でもまあ。いつものマリアに戻っているようでそこは安心。

「しかし凛の彼氏は凄いな。あっという間の出来事だったぜ」

「だから彼氏じゃないって!」と、一応訂正してから「わたしもびっくり!」と、その意見に同意する。

「一緒にいたはずの八神さんが気がついたら犯人を取り押さえてるんだから」

 わたしはその時の事を思い出しながら言った。

「もともと、ああいった事態に対処できるような訓練をしていた人。ってことになるわよね」

 あごに手を当てながらマリアが考え込むように言う。

 その考えには大賛成!

「例えば警察関係とか、自衛官だったりとか……」

 それには賛成しかねるなぁ。なんか普通過ぎる……。

「それか、凛が言うようにエージェントだとかスパイだったりしてな」

 そうそう。それそれ、ナイス遥! とは思うものの、遥は冗談半分だ。しかしマリアは真顔で考え込むと、やがて口を開いた。

「その考えもあながち間違ってはいないかも」

 また否定されると思っていたわたしは、思わず「えっ!」と、声を出してしまった。

「仮に警察や自衛官だったとしたら、とっくに身元が判明してるはず。例え身分を明かせない立場にいたとしても、何も連絡がないのはありえない。ちなみに未だに不明なんでしょ?」

 マリアがわたしに聞いてくる。

 わたしは、うんうんと頷いて答える。

「そうなってくると凛が言うように、国家の極秘機関みたいなところに所属していた可能性も考えられるわね……」

 マリアが言うと信憑性が増してくる。

 なんでわたしが言うと都市伝説感が半端ないんだか……。

「マジか! なら凛の妄想も今回は当たりの可能性があるってことか」」

 遥は驚きの声を上げた。

「でしょ! だから最初っから言ってたじゃない。初めて八神さんの話を聞いたとき、ビビッときたんだから」

 わたしは興奮してそう言った。

 国家の陰謀によって消されたはずの男が、実は生きていて記憶を失っている——というわたしの中のストーリーが現実味を帯びてきた。

「あくまでも可能性の話よ。ただ単に八神さんが強かったってだけの場合もあるから」

「そんなぁ」

 がっかり……。

「そんなに落ち込むなよ。とりあえず本人に直接聞いてみるのが一番手っ取り早いだろ」

 遥がそう言ってわたしの肩をポンと叩いた。

「そうね。何か思い出しているかもしれないし。それと、今度八神さんに会うときは私たちも同行させてもらうわよ。お礼を言わなくてはいけないし」

 とマリア。


 かくしてわたしは記憶の話を聞くために、マリアと遥はお礼をするために、三人で八神さんに会う約束をするのだった。

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