4話 7月22日 食事のお誘い 八神大智

 いつものようにほうきとチリトリで武装した俺は、いつものように駐車場の掃除へと向かう。

 ここでアルバイトを始めて、今日でちょうど一週間になる。まだまだ慣れてはいないが、おおよそ仕事の流れはわかってきた。

 週に最低二回は休みがある。まぁそれは当たり前なんだが、俺の場合、休みは固定ではなくランダム。だけど土日は朝から閉店の19時までの勤務が固定になっていた。

 仕事内容は、掃除、品出し、補充、場合によってはレジ——と、オールマイティーにやっている感じだ。レジは数をこなさなきゃ覚えられないが、メインで入るわけではない。サポートでたまに入るぐらいだから、基本操作ぐらいでいいらしい。


 朝の掃除は定型作業。平日は俺が一人でやっていた。他の人たちはレジや品出しの作業が割り振られているからだ。よって朝の掃除は俺の仕事となっていた。

 しかし、今日は土曜日。学校が休みの時は、俺の教育係である七瀬さんが朝から勤務になっている。そんな日は七瀬さんも朝の掃除担当になっていた。——というか、今日から夏休みではなかったか。七瀬さんのシフトも通常と変わっているのだろうか?

 まぁ今日は二人いるからな。いつもより早く涼しい店内に引っ込むことができそうだ。——などと考えていると。

「八神さん」

 後ろから呼びかけられた。

 振り向くと、同じくほうきとチリトリを持った七瀬さんがやってきたところだった。

「どうしたんですか」

 今日は何か違う作業でもあるのかな。ずっと外での作業だったりして、一抹の不安がよぎったのだが……

「今日はわたしも一緒に東側から掃除してもいいですか?」

 という申し出だった。

 一瞬、えっ——と思ったが、よくよく考えれば、教育係なんだし当たり前か。しかし——。

 朝からおっさんと一緒に掃除なんかしたくないよな。——と思ってしまう。仕事だからと割り切っているんだと思うが、やはり申し訳ない。いやいや、俺も仕事だと割り切るべきなのか……


「早くいきましょう」

 そんな俺の思いとは裏腹に、七瀬さんはいつも通りに接してくれる。

「そうですね。いきましょう」

 せっかく普通に接してくれているのだから、いつまでも気負っていてはだめだな。それに他の人はまだまだ俺を警戒してる感じで、挨拶ぐらいしかしたことないけど、七瀬さんは普通に接してくれている。教育係ってのもあるかもしれないが、それだけではなく、そもそもの七瀬さんの性格がそうなのだろう。基本的に話しやすい娘だった。


 外に出ると、相変わらず今日も暑い。ここ一週間、最高気温は30度を超えている。

「今日も暑いから、さっさと終わらせて店内作業にいきましょう」

「同じこと考えてました」

 そう言って俺は、七瀬さんに笑って見せた。

 一瞬、七瀬さんはキョトンとしていたが、すぐにその顔は笑顔になった。

「八神さんのちゃんと笑った顔、初めて見たかも」

 そう言って、また笑顔になる。

「そうだったかな……」

 確かに、病院で目覚めてから笑ったことなどあっただろうか……思いつく限りでも愛想笑いしかない。

「まぁ記憶がまるでなかったからね。正直不安しかなかったし……」

「あっ、ご、ごめんなさい。そこまで考えてなくて……」

 俺がそう言うと、七瀬さんは表情を曇らせてしまった。

「いや、いいんだ。そんなつもりで言ったわけじゃないし、気にしてないよ」

 そんな七瀬さんに、俺は慌ててフォローする。

「それに今は、そんなに不安には思ってないよ」

「そうなんですか?」

「ああ。記憶がなくてもこうして普通に生活できてるし——まぁ、これに関しては運がよかったってことなんだろうけど……」

 そう言って俺は言葉を切った。


 確かに俺は運がよかった。住むところも提供してもらってるし、アルバイトではあるが、こうして仕事もさせてもらってる。そして何より、海で漂流していたところを救助されたのだ。運がいいという以外何もないだろう。

「それに、みんないい人たちでよかったよ。若干警戒されてるような気はするけどね」

 そう言って俺は笑って見せた。

「それは否めないかも」

 七瀬さんもそう言って笑う。

 ほんとに久しぶりに笑ったなと思う。

 七瀬さんの様子を見るに、嫌々教育係をやっているようには見えない。いつも申し訳ないなと思っていたが、どうやら取り越し苦労だったのかもしれない。


 「それじゃあ、ちゃっちゃと終わらせちゃいましょうか」

そう言って七瀬さんは、いつものようにゴミ掃除を開始する。「そうですね」

と、俺も掃除を始めた矢先。七瀬さんがおもむろに聞いてくる。

「ところで八神さんの記憶って、ほんとに何も覚えていない状態なんですか?」

 と言ってから慌てたように——

「違うんです。疑ってるわけじゃなくて、その……何か思い出せるようなきっかけでもあればなって……」

 そんな七瀬さんに、「ほんとに何も覚えてないんだ」と俺は笑って見せた。

「断片的にでも記憶が残ってればいいんだけどね。映画みたいにフラッシュバックしたりしてさ」

「頭を押さえて、『なんだ今のは』みたいなやつですよね」

 そう言って七瀬さんは、しかめ面で頭を押さえてみせた。

「そうそう。そんなやつ」

七瀬さんは続ける。

「でも、基本的なやつはわかるんですよね。普通に話せるし、一般常識的なやつもわかる」

「そうだね。そういったことは意識してなくても自然とわかってる感じかな」

 俺がそういうと、七瀬さんはうーんと考え——

「それじゃあ好きな食べ物とかないですか?覚えてなくても食べたいやつだったら好きだったかもしれませんよ」

 なるほど、確かにその可能性はあるな。——と俺は考える。

「甘いものかな……」

「え?」

「甘いものが好きだったのかも。例えばケーキとか、コンビニのスイーツとか。最近仕事帰りは毎日買って帰ってたな」

 俺がそう言うと七瀬さんはちょっと笑って

「甘いもの好きだったんですね」

 と目を輝かせた。

「スイーツ男子だったみたいだね」

 そう言って俺は苦笑いを浮かべた。


 ——なるほど、こうやって考えていけば、俺がどんな人物だったのか何となくつかめてくるかも……。

「それじゃあ八神さん」

 そんなことを考えていた俺に七瀬さんが話しかけた。

「今日バイトが終わったら近くのファミレスによって行きませんか、実は新作のパフェが出たらしいんですよ。ちょっと気になってて」

「えっ」

 俺は驚いてしまった。

「あ、何か予定があったら今度でいいんですけど、ダメでした……」

「いや、何の予定もないけど……俺なんかとファミレスに行っても大丈夫なのかなって……」

 こんなおっさんと女子高生が、2人でファミレスに行っても大丈夫なものなのだろうか? 七瀬さんは美人で大人びて見えるとはいえ、いろいろ考えてしまう。

「大丈夫ですよ。職場の同僚なんですから。それに、わたしは八神さんの教育係で一応先輩なんですからね」

 そんな俺の心配をよそに、七瀬さんは行く気満々だ。——別にやましいことでもないし、帰りはちゃんと送り届ければ大丈夫だろう。

「わかりました。先輩のお誘いなら断れないですね。お供させてもらいますよ」

 少し心配ではあるが、せっかく誘ってもらったんだ。親睦を深めるのもいいだろう。


 それにしても、今まで仕事以外の話はあまりしてこなかったけど、今日はいろいろ話せてよかったな。それに、俺と話をするのも全然嫌そうじゃないし、食事にも誘われた。迷惑かなと思ってたけど、完全に俺の取り越し苦労だったようだ。

 そう思うと、ちょっとは肩の荷が下りたようで体が軽くなった気がした。

「どうしたんですか?顔がにやけてますよ。そんなにわたしとファミレス行くのが嬉しいんですか?」

「えっ」

 七瀬さんが俺の顔を覗き込みながらドヤ顔してくる。

「う、嬉しいですけど、にやけてはいないですよ」

 慌てて否定はするものの、表情が緩んでいたことは否定できない。

 そんな俺に七瀬さんは笑いながら

「冗談ですよ。——それより掃除、ちゃっちゃと終わらせちゃいますよ」

 そう言ってゴミ掃除を開始する。

「そうですね。これ以上暑くなる前に」

 俺も七瀬さんに続く。


 記憶はいつ戻るかわからない。もしかしたら戻らないのかもしれない。そんな不安はあるものの、アルバイトを始めて一週間。大げさだが、記憶をなくした俺の新しい人生が始まったような気がする。

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