2話 7月16日 七瀬凛
今日は日曜日。学校は休みだったけど、バイトのシフトが入っているわたしは、朝からバイト先であるディスカウントショップ片平に向かっていた。
自宅からバイト先までは自転車で片道10分ぐらい。
時刻は朝の8時40分。朝礼が始まる時刻まであと5分しかない。なんとかギリギリ間に合うか。
スマホで時間を確認したわたしは、自転車をこぐペースを上げた。
夏特有の湿った風が全身に吹き付ける。この時間でも、今日はけっこう湿度が高い。
寒いより暑い方が好きだけど、このじめじめ感はやっぱり苦手……まぁ好きな人はいないと思うけど。
テレビのニュースで、来週には梅雨明けになる。とか言ってたから、いくらかましにはなるか……。
そんなことを考えながら自転車を走らせていると、前方に<ディスカウントショップ片平>と描かれた看板が見えてきた。最後の交差点の信号も今は青になっている。
「チャンス!」
わたしは更に自転車のスピードを上げた。ここで赤信号に
幸いわたし以外に人の姿はなく、車の往来もなかった。赤点滅にはなったものの、わたしは交差点を突っ切り、そのままの勢いで片平の駐車場に滑り込む。
建物の裏手に回り、従業員用の駐車スペースに向かう。駐輪場に着くとわたしは、半ば乗り捨てるように自転車から降りる。でもちゃんとカギはかけたからね。
急いで裏口から中へと入る。
「おはようございます」
ドアを開けたすぐそこが、片平の事務室兼休憩室となっていた。
「おはようございます」
「おはよう」
すでに出勤してるパートさんやバイト仲間から挨拶が返ってくる。店長の姿は見えないな。間に合ってよかった。
「凛ちゃんおはよう」
エプロンのひもを結びながら、パートの
「あ、横井さん。おはようございます」
「ギリギリ間に合ったんじゃない。って言うか、あたしも今来たところなんだけどね」
そう言って、横井は制服の襟元を正した。
横井佳那恵25歳。三児の母。三人とも女の子の三姉妹で、何度かあった事があるんだけど、かわいいんだよねぇ。
子供たちを保育園へと送ってからの出勤となる横井は、だいたいいつもギリギリの出勤となっていた。
「ちょっと寝坊しちゃって……」
言いながらわたしもエプロンを身に着け始める。
ちょうど身なりを整えたタイミングで、店長の片平が事務室に入ってきた。
「おはようございます。みなさん揃ってますね」
おはようございます。とわたしたちも挨拶を返す。いつもの光景。
店長の
身なりはいつも整ってるし、何よりその立ち居振る舞いは、正に紳士のそれ。よく漫画とかに出てくる執事をイメージしてもらえればいい、実写版セバスチャン。大人の魅力満載で、おばさま方からは人気がある。
「それでは今日の作業の割り当てです。最初のレジは——」
特に整列することなく、わたしたちは
こんな感じで朝礼が始まる。そんな緩いところがあるここの雰囲気を、わたしは気に入っていた。
「それではみなさん。本日もよろしくお願いしますね」
いつもの言葉で朝礼が終わる。
「お願いします」とわたしたちもそれぞれの作業に取り掛かった。
「朝からレジかぁ」
はぁ……と隣で横井さんがため息をついている。
「凛ちゃんは掃除だっけ?」
「はい、外掃除です」
外か——と、横井は顔をしかめる。
「凛ちゃんには悪いけど、レジのほうがましだねぇ……」
じゃあ無理しないでね。と横井はひらひらと手を振りながら事務室を出て行った。
そんな横井を見送りながら、わたしも掃除に行かないと、と辺りを見回す——そして、
もう一人。私と同じ掃除担当になった彼を探す。
「あれ……」
事務室の中にお目当ての人の姿は見えない。朝礼の時はいたんだけど、もう作業に向かったようだ。——早いんだから。
事務室を出ると、ちょうど開店時間になったようだ。正面出入り口のほうから「いらっしゃいませー!」と声が聞こえてくる。
わたしもひとまずそっちに向かう。掃除用具の置いてあるバックルームは、正面出入り口通路、向かって左側奥。
レジが設置してある出入り口付近には、すでに何人かのお客さんの姿が見える。
「いらっしゃいませー!」
わたしも笑顔で挨拶——と、通路の先に彼の姿を発見。ちょうどバックルームの中に入るところだった。わたしも急いでそちらに向かう。
幸いお客さんに捕まることなく、わたしもバックルームにたどり着いた。そして——様子を
彼がいた。八神大智。昨日からアルバイトとして働くことになった男の人だ。
それよりも数日前に、店長から紹介がてら本人も挨拶に来ていて、その時に話は聞いている。——記憶喪失の話を。
みんな驚いている様子だったし、もちろんわたしも驚いた。ほとんどの人は不審がってたけど、店長の記憶をなくした彼を思う話を聞いているうちに、段々と同情心が湧いてきたみたい。みんな彼の受け入れに協力的になってきた。そもそも店長の紹介だし、ヤバい人なわけないよね。というのが前提にあるんだけど……
それよりも、そんな事よりも——記憶喪失!
わたしの心はその事だけにフューチャーしていた。
初めて見た。記憶喪失の人。テレビや漫画でしか見たことなかったけど、ホントにいるんだ。
興味津々話を聞いてると、海の上を漂流していたところ、漁船に助けられたとか——もう映画じゃん!映画でしか見たことないよ。そのシチュエーション!
それでだよ。警察とか海上保安庁とか、色々調べたけど事故とかの形跡もなくて、漂流してた経緯は一切不明。本人の身元も不明だし記憶が戻るまで捜査は保留とか——。
もう事件のにおいしかしない!っていうかこれは陰謀、国家ぐるみの陰謀ですよ!
もう私の頭はそんな妄想でいっぱいになっていた。
わたし、七瀬凛は17歳の高校二年生。部活は入ってないけどスポーツは得意。勉強の方は……まぁ普通かな。そして、何よりも好きなのが、オカルト&ミステリー!
そう、都市伝説や陰謀論が何よりも大好きな、普通の女子高生なのだ。
友達からは「普通じゃねえよ」と突っ込みを入れられるところだが、わたしにとってはこれが普通。なので今回のこの件には、わたしの陰謀論センサーが、ビビッと反応したんだよね。
という事で、私はこの男性の採用に大賛成。身近に陰謀がやってきた。わたしの日常が非日常へと変っていくんだわ。と楽しみで仕方がなかったのだ。しかも、同じアルバイトであるわたしが、彼の教育係に任命!これで怪しまれず自然に近づける。
そしてそんな彼、八神さんはいま、掃除用具ロッカーの扉に手をかけたまま動かない。何か考え事か、それとも記憶が戻ってきたのか!
わたしはそっと八神さんに近づいて行く。
「はぁ……」
八神さんの口から大きなため息が漏れてきた。
記憶が戻らないことへのため息かな。などと思いつつ、わたしは普通に声をかけてみることにした。
「どうしたんですか?ため息なんかついて」
八神さんは驚いた様子でこっちを振り返った。驚かしちゃったかな。
「い、いや別に……何でもないよ」
そう言って八神さんは、ハハハっと笑って見せた。
う~む。何かを隠してるような気もするが、ここはまだ様子見といこう。
「そうですか」
わたしは特に興味がないように振舞いながら、ほうきとチリトリを手に取り
ホントはもう少し話しかけたいけど——ここは我慢。
とはいうものの、仕事の話はちゃんとしないとね。
「八神さんは駐車場の左側から掃除してきてくださいね。わたしは右からやっていきますから」
振り向いて八神さんにそう告げた。
「あ、は、はい……わかりました」
またもや驚いた様子の八神さん、慌てて掃除用具をとり出している。
今、こっち見てたよね……まさか怪しまれてる。
とりあえず八神さんを待つことなく、わたしは外へ向かうことにした。
さっきわたしが様子を窺ってた事に気づいてたのかな……いやいや、考えすぎよね。声かけたとき驚いてたし。
出入り口付近に近づくと、レジにお客さんが数人並んでいるのが見える。応援を呼んだのであろう。メインレジの横井さんの他に、もう一台のレジに入る人物がいた。同じくアルバイトの
基本的には年上の男性が好みだけど、最低十歳以上離れていないと異性として見られない。——そこでふと思う。それでいったら八神さんは該当するんだよね……
よくよく考えれば条件に当てはまる。十歳以上離れてるし、見た目は爽やかな好青年って感じ……なんだけど、大人特有の落ち着いた魅力もある。それに結構カッコイイんだよね。イケメンではなくカッコイイだ。大人の魅力がある人はカッコイイ——。と表現するのがわたし流。
今まで記憶喪失、国家の陰謀。——この二つに魅力を全振りさせられていたが、それだけではないことに気づかされた。
しかし、かといって、恋愛対象になるかといわれれば……今はやはり、記憶喪失の国家の陰謀論に魅力を感じすぎている。
正面出入り口の自動ドアを抜ける。外のムッとした空気が流れ込んできた。さっきより蒸し暑い。
駐車場まで出ると、すでに夏の日差しが全体を覆っている。まだ9時過ぎなんだけど……。
「あっつ」
思わず口をついて出てしまう。
「ほんとですね」
振り向くと、眩しそうに上を見上げながら顔をしかめる八神さんがやって来た。
——その表情にドキリとする。
いけないいけない。変なこと考えてたから意識しちゃった。冷静に冷静に……。
そんなことをやっていると——
「じゃあ俺、そっちから掃除してきますね」
と、八神さんはさっさと持ち場へと向かってしまった。
「あ、はい……」
わたしは気の抜けた返事をして、八神さんの背中を見送ることしかできない。
うう……何やってるんだわたし。こんな事では八神さんと話をすることもできないではないか、——というか、わたしを避けているような感じもするんだけど……
そんなことを思ったが、確かめるすべもなく。——今はとりあえず掃除を済ませてしまうことにする。
急いで掃除場所である駐輪場の右側へ向かう。
車が一台駐車場に進入してきた。わたしは邪魔にならないように掃除を始める。
けっこう車の数も増えてきた。さっさとやって終わらせよう——と、ほうきで目立ったゴミを掃いて回る。
一緒に同じ場所掃除すればよかったなぁ——などと考えながら……ふと顔を上げてみる。八神さんと目が合った——。
と思ったら、慌てた様子で目を
——またこっち見てた?
相当怪しまれてるのかな。わたし……
確かに陰謀論全開のわたしだけど、表には出さないように注意はしていたつもりだ。だけど……
そのわずかな違和感に気づかれたのかもしれない。記憶をなくしてしまったぶん、そういった勘が鋭くなるのか……?
これ以上警戒されたら元も子もない。なるべく普通に自然に振舞わないと。
そんなこんなで、国家の陰謀を暴くべくわたしは、妄想を膨らませながら本日の作業を開始するのだった。
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