みんな同じくらいの不愉快を分け合っている状態が、幸福なのだ。ある友達と友達でいようと思うならば、親しき仲にも礼儀ありを心がけなければいけない。ずばずばと言ってしまえば気がおさまるのに、その気持ちを胸に秘めたままにして、相手の嫌なところを容認する。これをお互いが心がけることで、友達のままでいられる。

 でも、そうした不愉快を引き受けることは、耐えきれないものだ。だから、絶交をしたり、距離を取ってしまったりしてしまう。

 加納くんは、そうしたことに身をさらさなくていいところへ旅だったらしい。それも、死んだあとに。

 ひとりきりは、孤独ということではない。ほんとうの孤独は、だれもいないところにある。きっと深宇宙というところは、そういうところなのだろう。彼の家族が、宇宙を見上げたときでさえ、そこにいるとは分からないところだから。

 ねえ、加納くん。あなたは、まったくのひとりきりの空間にいるのでしょう。そこでは、あなたは好きなように死んでいられる。けれど、寂しいよね。でも、その寂しさを引きかえにしてもいいくらい、心地よくいられるの?


 しんとしている。もう外にはだれもいないのに違いない。シャッター商店街のなかにあるビジネスホテルの一室は、まるで真空地帯のように感じられてしまう。

 無音だと思っても、ほんとうは、音はある。探せばある。音が無い、なんてことはないはずだ。

 ベッドの横にあるスイッチをひねって、枕元のオレンジの灯かりを消してしまうと、星も月もない宇宙にいるような気になった。でも、暗闇に眼が慣れてくると、ここは、大勢のひとが乗った、たったひとつの地上だということを思いだす。


 加納くんは、ひとりぼっちでいることが多くて、小説は書くより読むことのほうが好きで、だれも立候補しなかった役回りを充てられるばかりで、合唱コンクールで歌う曲もマラソンの走る順番も、自分から主張することはなかった。

 けれど、ひとつだけ、激しく主張する姿を見せるものがあった。

 シャトルランだ。三年生のとき、2組と3組は合同で体育の授業をすることになっていた。シャトルランやマラソンのときだけは、男女の区別がなかった。

 みんな、限界がくる手前で止めてしまう。それでも、最初に脱落するのは恥ずかしいから、それなりにがんばる。加納くんは、そんなわたしたちの惰性めいた考えをよそに、黙々と回数を増やしていた。そしていつも、最後のひとりになった。ひとりきりになっても、倒れこむまで走り続けた。百回を下回ることは、一度もなかったと思う。

 すでに脱落しているわたしたちは、そんな加納くんにたいして、義務的に、教育のひとつとして、応援の言葉をかける必要があった。「がんばれ~」と言いながら、「もうそこらへんで止めてくれないかな」と思っていた。

 いったい、だれのためにがんばっているの? 自分のためだけ?

 当時は、まったく分からなかった。いまも、分からない。でも、シャトルランに取り組んでいるときの加納くんは、べつの人格――というより、わたしとはまったく違うところで生きているひと、という印象があった。


 朝になると、わたしは夜でも昼でもないところにいるしかない。五感すべてが、朝と駆け落ちをする。もしかしたら、昨日の夜に帰ることができたのかもしれない。でも、疲れていたから。あと、加納くんに会えたとしたら、なにかが起こるかもしれないと思ったから。

 身支度を済ませて、タクシーを拾って、駅に向かった。弘樹には、急用ができたから早めに発つことにしたと、特急に乗り込んでからメールを送った。

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