「葬儀会社で働いている彼氏がいる」――と周りには言っているけど、マッチングアプリで知り合って、連絡先を交換して、たまに食事にいくくらいの関係で、彼氏というような感覚はあまりしない。

 マッチングアプリを介して知り合ったという事実だけが、わたしが吹聴していることの正否の「正」に一種の保証を与えている。


「優花さんは知ってるかな、宇宙葬っていうのが、いま注目されているんですが」

「宇宙葬……葬儀のことですか。海洋散骨の宇宙バージョンみたいな」

「そうそう」と、彼は相槌を打った。「いや……」と、否定から入る話し方をするひとじゃないから、一カ月に一度くらいは必ず、友達とは行かないような高級レストランなどで食事をすることに、抵抗を感じなくて済んでいるのかもしれない。

「海洋散骨は、遺骨が海に旅をしていくことだけど、宇宙葬は、宇宙空間に骨を旅立たせることなんですよ」

「どのくらい遠くまで行くんですか。月とかですか」

「会社によって、いろんなプランがあるんですよ。知り合いから聞いたんですが、ご遺族の方が宇宙を見上げたときに、そこに遺骨があるんだと分かるくらいの距離が、人気があるみたいなんです」

「へえ。ということは、もっと遠くに行くプランもあるんですね」

「うん。深宇宙という、すごく遠いところまで旅に出る方もいるんですよ」

 彼は、遺骨が海に撒かれたり宇宙に行ってしまうことを、「旅」というロマンティックな語で表現した。

 わたしの前だから体裁を取り繕っているのだという気がして、これから先、心を許しあえる関係にはならないのだろうと感じてしまう。だって、その体裁はどこかで破られてしまうに違いないのだから。

 でも、こうして会い続けているうちに、一瞬の共鳴によって同一の軌道に乗ってしまうこともあるのかもしれないし、もし、そうした関係になりたくないとほんとうに考えているのならば、もうきっぱりと、別れを告げるべきなのだ。


 マッチングアプリを使ったのははじめてで、マッチングした相手も彼ひとりだけ。プロフィール詐欺というものを警告するひとたちはいるけれど、わたしは、騙されてもいいから、自分の置かれた環境から逃走したいと考えていた。

 家族の仲はいいし、友人もいるにはいるし、サークルにも一応入っているけど関係のもつれに巻き込まれていないし、単位を落とすことも意地悪な仕打ちにあうこともない。ようは、それなりに心地のいい空間にいるわけだ。

 でも、そうした心地のよい環境に安住していることに、息苦しさを覚えるようになった。ある程度の調和が取れた空間というのは、不愉快の分配により成り立っている。だれかひとりの快楽の増大のために、他の人たちが甚大な不愉快を被るような空間は、殺伐として居心地が悪くなるに決まっている。安寧を得るためには、みんなが、不愉快を甘んじて受け入れる必要がある。

 だけど、不愉快を引き受けることなんて、真っ平ごめんだと思うようになった。

 嫌いな相手をみんなで攻撃しようだとか、仲間から外そうだとか、そうしたことをするひととは、まったくつるまない。関わる気にもならない。

 でも、嫌いな相手を自分の近くに置いておくことが、人間関係の安定した空間を成り立たせる上で不可欠なのだとしても、その一定の調和に必要なコスト――嫌いという拭いがたい人間的な感情の抑圧の苦しみを、堪えきれるひとはいるのだろうか。わたしは、弱い。でもそれが、なんだっていうのだ。

 わたしは、逃げる。

 いまいる場所に疲れたから、ちょっと別のところに移ってみよう、というふうに考えた。もっと適切な言葉を使うならば、変化に身をさらすことにしたのだ。

 その手段がマッチングアプリだった。そこで出会った「27歳」の「ミツルさん」は、紛れもなく、いまわたしのいる場所の「外側」にいるひとだった。

 今後、ミツルさんとどれくらい仲が深まるかは分からないけれど、彼がわたしに対して抱いている欲求は、寂しさを埋めたいという気持ちを下敷きにしているらしかった。

 わたしは、彼が外堀を埋めて本丸を落とそうとしていく姿勢を観察しながら、このひととなら、ちょっとは深い関係になってもいいような、そうでないような、揺れ動く心境になることもないではなかった。

 もし彼が、「優花さん」という呼び方をやめて、もっと馴れ馴れしい呼称を使用しはじめたならば、そのとき、わたしは決断しよう、というようなざっくりとした考えだけはあった。

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