29
「おかえりなさい」
その一言で僕は現実に引き戻された。さっきまでの高揚とした気分は一気に奈落の底まで落とされた。
「どうして・・・」
「ここの家を借りたのは誰だと思っているの?合鍵くらいは作ってあるわよ」
美紀子さんはなんてことのない態度で僕の知りたいことを答えた。ズズーっと僕の湯飲みを勝手に使ってお茶を飲む。そして、顔を歪めた。
「不味いお茶ね。もっといい茶葉を買いなさいよ」
「ごめんなさい・・・」
「ハア、来客のことも考えられないなんて・・・本当に気が利かない」
「ごめんなさい・・・」
僕は立ったまま身体が動かなくなっていた。おかしいことを言われているのは分かっている。けれど、僕の本能の部分で否定や反論を拒否していた。美紀子さんは僕の態度に何度目か分からないため息をついた。
「もういいわ。さっさと座りなさい」
「はい・・・」
僕は美紀子さんと机を隔てて座った。お茶を啜るその音が僕の心臓をより急かした。僕は正座でその時を待った。
「それでアレはどこにあるの?」
お茶を飲んで口を拭いてから美紀子さんは切り出してきた。
「アレ・・・?アレって何ですか?」
僕には皆目見当がつかない。僕の荷物はほとんどなかったし、家から持ってくるものなんてほとんどなかったからだ。
「察しが悪いわね。馬鹿で使えない子・・・優斗君の方が本当に聡明でいい子よ」
「テストでは僕の方が上だったよ・・・」
僕はここにはいない松山と比較された僕は思わず口にしてしまった。
「はっ!偶々でしょう?一回勝ったくらいで調子に乗らないで頂戴。それに優斗君から聞いたわよ?沙紀に勉強を教わったんですってねぇ。それでトップになれなかったらその方が恥でしょう?」
「っ」
美紀子さんは言葉の節々に棘を持った言い方で僕を糾弾してきた。沙紀の話を出されたら、僕はだまらざるを得ない。
「後、優斗君に勝って生徒会の庶務になったんですって?」
「う、うん」
僕は一瞬褒められるのかと思ったが、そうではなかった。
「どうせ賄賂か何かをやったんでしょう?」
「違っ!」
「そうじゃなきゃ優斗君があんたみたいな子に負けるわけがないでしょう?ああ、でもあんたには小間使いの卑しい才能だけはあったわね。それを発揮されたら優斗君も100回に1回くらいは負けちゃうかもね」
僕のやることはすべて貶される。美紀子さんは相変わらずの独裁者っぷりだった。そして、僕はそれに従う奴隷だ。
(僕が一体何をやったんだよ・・・)
「それよりアレはどこなの?」
「何のことかさっぱり分からないです」
僕は本当に見当がつかなかった。
「ハア、本当にあなたは・・・通帳に決まっているでしょう?」
「っ!」
僕は父さんが残してくれたお金のことだと気が付いた。そして、この部屋の荒れ具合は美紀子さんが通帳を探した痕跡だということにも。
「・・・それをどうするんですか?」
「決まっているでしょう?私が使うの。そもそもあれは元々私と武雄さんの共有財産よ?だったら私が持つ権利があるに決まっているじゃない」
「いや、でも・・・」
「何?反論するの?というかやっぱりあなたが盗んだのね」
「違っ!」
「私が今まで一人で育ててあげた恩を完全に忘れて私の金を盗むなんて・・・酷い子ね」
美紀子さんの言葉が僕の心臓に毒のように染み込んでくる。
「ほら、通帳を出しなさい。そうしたら許してあげる」
「・・・はい」
僕の身体は勝手に動いてしまった。
(沙紀、ごめん・・・)
僕を自由にしてくれた沙紀には申し訳がないが、この人にはどうしても逆らえなかった。通帳が隠してあるタンスを引き出した。が、
「あれ・・・?」
そこに通帳がなかった。
「何してるの。早く渡しなさい!」
美紀子さんが怒鳴ってくる。ビクッとなるが、肝心の通帳がない。
「いや、ない・・・」
「はあ?嘘つかないで、あんたが持っていったことは知っているんだから!」
美紀子さんは鬼の形相で胸倉を掴みながら僕を詰めてきた。そう言われてもないものはない。何度も隠した場所を探すが見つからないのだ。
「明人をどれだけ脅しても無駄よ。母さん」
「「っ」」
ここにはいないはずの声が聞こえてきた。
「沙紀・・・?」
「さっきぶりね明人」
沙紀は僕に対して気安く手を振ってきた。
「・・・沙紀、どうしてこんなところにいるのかしら?」
「愚問ね。嫌な予感がしたから家に帰った後に明人を追いかけたのよ」
「そう。なら少し待って頂戴。すぐに終わるから」
「だから無駄だって言ったでしょう?母さんが欲しいものは私が持っているんだから」
「それは!」
沙紀は父さんの手帳を鞄から出した。
(いつの間に盗ってたんだ
美紀子さんは僕の胸倉から手を離して沙紀の方に笑顔で向き直った。
「いい子ね沙紀。さ、それを私に渡しなさい」
美紀子さんは僕の元から沙紀の方に向かう。良いことをした娘を誇りに思っているようなそんな表情だった。が、
「渡すわけねぇだろクソババア」
沙紀は笑顔で美紀子さんが手帳を取ろうとしてきた腕を叩き落す。
「え?」
美紀子さんは何をされたのか分からないという表情をする。そして、沙紀は笑顔から一転真顔になり、
「死ね、カス女」
沙紀から全力の拳が美紀子さんに向けられた。美紀子さんは壁に叩きつけられて、ピクピクと陸に挙げられた魚みたいになっていた。数秒の沈黙の末、静寂を破ったのは、
「ふぅ~、十五年間分の怒りがすべてスッキリした気分だわ」
沙紀だった。最高の笑顔でやり切った感を出していた。
「さ、沙紀!?、何やってんの!?」
「何ってクソババアに鉄拳を食らわせただけよ?」
「違う、そうじゃなくて!」
沙紀がここまでやる必要はないはずだ。僕のことを庇ってくれているにしてもやりすぎだと言おうとしたが、
「さ、沙紀、なんで・・・?」
美紀子さんが茫然としながら沙紀に尋ねる。
「何で?それこそ愚問ね。貴方が私にどれだけ酷いことをしてきたのかを考えれば分かるでしょう?」
「私は貴方をここまで育ててきたのよ!!!なんでこんなことをされなきゃいけないのよ!!!」
美紀子さんは体裁など忘れて叫ぶ。僕は身体が反応したが、沙紀は堂々と美紀子さんを見下していた。
「
「え、ええ!そうでしょ!貴方が今元気でいられるのは私のおかげでしょ!?」
美紀子さんはなおも強がるが娘の突然の暴走に驚きが隠せないようだ。
「はっ!なら、義父さんと再婚するまでの期間に私にしてきたことを思い出してみなさいよ」
「父さんと再婚する前・・・?」
沙紀を見ると、ただならぬ気配を感じる。それは本当に母親に向けていい感情なのか・・・
「それがどうかしたのかしら・・・?」
「本当に何も覚えていないのね・・・もういいわ。ここからさっさと出ていって頂戴。さっきまでの音声は全部取ってあるから次にこういうことがあったら警察につき出すわよ?」
「っ」
そういうと美紀子さんは落ち着いた様子で立ち上がった。
「覚えてなさい・・・母親に対して、こんなことをして後でひどい目にあっても知らないからね?」
「母親っていう字を辞書引いて調べてから出直せやカス」
美紀子さんは最後まで恨めし気に僕を見ながら部屋から出ていった。
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