30
美紀子さんが家を出てから、僕と沙紀は向きあって座っていた。
「ありがとう」
僕は開口一番、お礼をした。
「沙紀がいなかったら今頃大変な目にあってた」
通帳も奪われてしまっていたら、僕の生活はあの頃に逆戻りをしてしまうところだった。
「気にしないで、って言いたいところだけど、それだと明人の気が収まらないでしょう?」
「うん」
そんなのは当たり前だ。沙紀は頬で顔を支えながら、指を一本立てて僕に告げてきた。
「なら、貸しにしておくわ」
「了解・・・僕にできることならなんでもするよ・・・」
また部屋を沈黙が支配する。
「とりあえず片づけましょうか。あのババアのせいで部屋がぐちゃぐちゃね」
「確かに・・・」
沙紀の提案に賛成する。なんとなく二人とも話すことがない。居心地の悪い沈黙が支配していたので何かをやって気を紛らわせたかった。沙紀も僕と同じ心情だったのだろう。
リビングどころかロフトまで荒らされていて、泥棒に入られたようだった。布団を整え、タンスから引っ張り出された衣服を締まっていく。洗面所の方までぐちゃぐちゃにされていたので、元の位置に戻していく。
片付けには一時間ほどかかった。
「こんなものかしら?」
「そうだね。手伝ってくれてありがとう」
「ええ。それにしても本当にあのクソババアは余計なことしかしないわね・・・」
沙紀はつばでも吐きそうな表情をして美紀子さんに侮蔑の言葉をぶつける。僕は沙紀の言葉に苦笑するが気になったこともあった。というよりもずっと聞こうと思っていたが機会がなくて聞けなかったことを聞いてみた。
「沙紀、美紀子さんのことをどうしてそんなに毛嫌いするんだ?僕のことを抜きにしてもやりすぎな気がするんだけど・・・」
僕には母親と一緒に過ごした時間がないから分からない。けれど血のつながった親に対して、人間と言うのはここまで憎めるのか。少なくとも僕は父さんに対して、沙紀が美紀子さんに向けるような感情を持つことはできない。
「それに義父さんと再婚した時は立派に母親になろうと振舞っていたと思うんだけど・・・」
父さんが生きていたころの美紀子さんは沙紀だけじゃなくて、僕にも優しかったのだ。しかし、父さんが死んでからは僕に対しては物凄く厳しくなった。だけど、その代わりに沙紀に対しては物凄く優しかった。
血が繋がっている子供とそうでない子供なので、比較するのもおこがましいが美紀子さんのそんな姿を見てきた僕にとっては沙紀の態度に疑問しか湧かない。
「その話はお風呂から出てからでいいかしら?」
「あっ!うん」
結構な大掃除になってしまったので、僕も埃まみれだった。
「それとも一緒に入る?そうすればお風呂で話ができるけど?」
沙紀は冗談めかして告げてきた。
「真顔で恐ろしいことを言わないで。後ででいいよ」
「もぉ、つれないわね」
沙紀は軽く文句を言いながら浴室に入った。
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沙紀が入った後に僕も風呂に入った。なんとなく僕も埃っぽいのが嫌だったからだ。
「ふぅ、さっぱりしたぁ」
「長かったわね」
「悪いね」
「構わないわ」
沙紀はスマホをいじりながら僕を待っていた。僕もさっさと髪を乾かして沙紀の前に正座で座った。
「そんなにかしこまられると困るわ」
沙紀は少し苦笑した。
「ごめん」
だけど、これから聞く話は少しヘビーだろうから少し気合も入ってしまうというものだ。
「私が母さんをなぜ恨んでいるかだったかしら?」
「うん」
「簡単な話よ。私も明人と同じように小学生の頃にあのババアと同じように家庭内暴力を受けていたからよ」
「は?沙紀が?」
「ええ」
沙紀は僕が沸かしたお茶を飲みながら、なんてことなさそうに話した。
「信じられないって顔をしているわね」
僕は相当馬鹿みたいな顔をしていたのだろう。沙紀は僕の表情から一瞬で思考を読み取った。そして、続きを話した。
「あの女って昔は歌手だったのよ」
「え?そうなの?」
初耳だった。
「ええ。だから老若男女問わずにいつもちやほやされていたらしいわ。だけど、私が生まれると結婚生活という現実にぶち当たったわ。そうなってからは早いものよ。私の本当の父さんはいつまでも夢心地のあの女に愛想を尽かせて出て行ってしまったわ。賢明な判断ね」
皮肉っぽく沙紀は自身の本当の父親について話した。
「けれど父さんが出ていった後もあの女は変わらなかった。あの女は働きもせずに、自分の貯金と父さんが仕送りで送ってくれる養育費を使って美容と遊びのために使い尽くしていたのよ。家事は私に任せてね」
「それじゃあ」
僕と同じじゃないかと思ったが、途中で口を噤んだ。沙紀は小学生だったのだ。僕とは辛さの次元が違う。
「当時は恨みも何もそれが当然だと思っていたからそういうものなのかと思っていたわ。明人と同じように他の家の子も私と同じようにやっているって言われてね。まぁ一種の洗脳ね」
僕は黙って聞いていた。
「毎日毎日、あのクソババアのために家事をして家事をして家事をして!ああ!思い出すだけで腹がたつわ」
「落ちついてって!」
沙紀は机をバンと叩いた。
「まあそんなクソみたいな毎日もあることが転機になって終わったのよ」
「あること?」
「義父さんとの再婚よ」
沙紀は当時のことを遠い目をしながら思い出していた。
「あのババアは義父さんとの結婚を機に今までと百八十度変わったわ。私にとっては隕石が落ちてくることと同じくらいの驚きだったわ。苦手だった家事をやろうとして、私への暴力もなくなり、無駄なお金を使わなくなった。おかげで私は勉強したり、大好きな明人との義兄妹ライフを満喫できたりするようになったわ」
「そ、そうか」
ちょこちょこアピールしてくるのはやめて欲しい。心臓に悪い。
「だけど、その幸せも義父さんが死んで終わってしまった」
またトーンが下がる。
「変わりつつあると思っていたババアは結局何も変わっていなかった。すぐに明人を奴隷扱いするようになったわ。その姿を見て私は過去のことを思い出した。ああされるのも時間の問題だと。だけど、当時とは違うことが一つだけあった」
「違うこと?」
「勉強ができるようになったことよ。偶々だけど私にはその才能があったらしいわ」
沙紀は申し訳なさそうに言ってきた。
「私が全国中学生模試でトップランカーに入ることができたとわかると私を明人と引き離して、私を勉強漬けにさせたわ。そうすることで勉強ができる娘の母親ということでちやほやされる方向に動いていったのよ」
それに成績が良いと塾でタダで勉強させてもらえるしねと沙紀が付け足した。
「辛くないかと言われたら辛いこともあったわ。だけど明人に比べたら勉強なんて遥かに楽。わたしは明人を犠牲にして安穏を享受していた酷い女。どう、軽蔑したかしら?」
沙紀から告げられたのはそんな事実だった。
沙紀にそんなことがあったのか、そして、美紀子さんは自分の娘にすらそうなのかという感想しか出てこなかった。
ただ今、沙紀に想うことは
「なんだぁ沙紀も被害者だったのか」
「え?」
それだけだった。
「沙紀も美紀子さんからひどい目にあわされていたんでしょ?辛かったね」
「ちょ、ちょ、ちょっと待って。私は自分を守るために好きな人を身代わりにしたのよ!?」
沙紀は信じられないといった感じで叫ぶ。暗に私を責めろと言っているのが分かる。けれど、
「沙紀は僕を助けてくれたじゃん」
「え?」
「今もそうだけど、美紀子さん相手にぶん殴って助けてくれたでしょ?」
「いや、それは」
沙紀が言いよどむ。
「沙紀は美紀子さんとは違うよ。たまにやりすぎなところはあるけど、根は滅茶苦茶いい子じゃん。だからあまり自分を卑下するのはやめてくれ」
僕は沙紀の頭を撫でる。
「ズルい・・・」
「え?」
「そんなことを言われたらもう離れられないじゃない・・・」
沙紀はそう言って僕の胸元で泣いてしまった。
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