4

僕と沙紀は学校を出た。そして、僕のアパートで現在向かい合って座っている。しかし、先ほどの賭けの内容を反芻して、僕は何度もため息を吐き、頭を抱えていた。対する沙紀は僕の家に来てからずっと瞑目している。




「沙紀、どうしてあんな無茶なことを言ったのさ?」


「決まっているでしょ?あのカスにこれ以上調子に乗らせたくなかったのよ」




沙紀の回答はシンプルだった。しかし言葉の節々に怒りがにじみ出ていた。




「それに」




沙紀は瞑ったままの目を開いて、僕を正面から見据えた。




「私の大好きな彼氏をイジメるようなやつを許しておけるわけがないでしょう?」


「沙紀・・・」




沙紀は僕のために怒ってくれていたらしい。当惑の中に若干のこそばゆさを感じてしまった。




「けれど、私も頭に血が上りすぎていたわ。明人を巻き込んでしまったのは本当にごめんなさい」


「さ、沙紀が謝ることじゃない!むしろ、僕が不甲斐ないばかりに迷惑を・・・」




沙紀は僕のクラスに単騎で乗り込み、全員を敵に回しても僕を庇ってくれた。その上、松山を僕に謝らさせるために賭けの商品として沙紀自分を差し出し、勝手なことをしたと僕に謝罪している。僕は自分が情けなくなった。




(馬鹿か僕は!)




心の中で自分を殴りつける。ここまでお膳立てをしてもらって逃げたら人間として何か大事なものを失うような気がした。




(覚悟を決めろ、岩木明人!)




僕は一度立ち上がり、沙紀の隣に移動した。申し訳なさそうにしている沙紀をもう見たくない。そして、そのまま沙紀を抱きしめた。




「え?あ、明人何をしているのかしら///?」




沙紀が戸惑っている。自分の心臓はもちろんだが沙紀の心臓の音もバクバク鳴っているのが聞こえてくる。普段なら絶対にしない行為をしたので、僕の肌は紅に染まっているだろう。




「沙紀、ありがとう。僕のために怒ってくれて」


「そ、そんなことは当たり前よ」


「ううん。君だけだよ。僕の味方は」


「明人・・・」




父さんが死んでから僕に味方なんていなかった。義母さんにいびられて捨てられ、クラスではいじめられた。だけど、沙紀だけは僕を見ていてくれた。味方でいてくれた。こんな触れればすぐに折れてしまいそうな細い体で立ち向かってくれた。だから僕はここに誓う。




(弱い自分はここまでだ)




沙紀と向き合う。そして、




「絶対に勝とう沙紀。それで僕たち・・・に松山を土下座させてやろう」




僕は不敵な笑みで宣言した。強い言葉を言い放った僕に沙紀は若干驚いた顔をする。しかし、すぐに大胆不敵な顔になった。




「ええ、その意気よ、明人。泣きながら土下座させてやりましょう!」


「ああ!」




二人で松山を完膚なきまでに叩き潰す。目標が明確に共有できた今、僕らの間に怖いものなんて全くなくなった。




「それじゃあ、明るい未来のために行動を起こしましょうか」


「おう」




「「ぐう~」」




僕たちは悲しいくらいに大きなお腹の音を鳴らせてしまった。お互いに顔を見る。そして、みるみるうちに羞恥心で顔が赤くなり、目線を逸らす。




「・・・とりあえず、何か食べよう」


「・・・手伝うわ」




時計を見てみたら、十八時半を超えていた。夕飯を食べるには丁度良い時間帯だった。




(締まらないなぁ・・・)


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「「いただきます」」




あり合わせの食材を使って夕飯を食べた。いつも一人で料理をしていたが、沙紀が手伝ってくれた。誰かと料理をするのは予想外に面白かったし、楽しかった。




「美味しいわ。やっぱり明人の作るご飯は最高ね」


「お粗末様。お世辞でも言ってくれると嬉しいよ」


「お世辞じゃないわよ。そこらの店よりも圧倒的に美味しいわ」




沙紀は僕の料理を褒めてくれた。ただ褒め過ぎな気がする。




「それは言い過ぎだって。美紀子さんには不平不満ばっかり言われてたからね」




美紀子さんの名前が出た瞬間に箸を動かすのをやめて嫌そうな顔をした。




「あのババアの言うことを気にする必要はないわ。自分が料理できないことをコンプレックスに抱えてたから明人に当たっていただけよ」


「え?そうなの?」




(美紀子さんには家事なんて誰でも出来て当たり前だとか言われた気がするんだけど)




「本当よ?あのババア、何もできないくせに昔からプライドだけは高かったのよ。だから、何でもできる明人には醜いくらいの嫉妬をしていたのよ?私が明人を褒めるともの凄く嫌そうな顔をするのよね」


「そうなんだ」


「だけど、私が褒めた分だけ明人に八つ当たりをするのよね。ああ!思い出しても腹が立つ!」


「お、落ち着いてって」




とは言われても、僕の基準は基本的にすべて美紀子さんの言う言葉だった。だから、どうしても沙紀の言うことには簡単に信じることができない。




沙紀はそんな僕を察してか美紀子さんへの憎悪を消して、柔和な表情で見てきた。




「ま、結果的には大好きな明人のご飯を今現在美味しく食べられているからいいのだけれど」


「それなら良かったよ」


「あら?明人ったら照れてるのかしら?」


「いや、そんなことはないよ」




沙紀は僕をべた褒めにしてくる。照れていることを隠そうといかにも平気そうに振舞おうと思ったのだが、沙紀のそのニヤニヤした顔を見ると、内心などバレバレなのだろう。沙紀は僕の隣に移動してきた。




「はい、あ~ん♡」


「・・・何してんの?」


「見ればわかるでしょう?彼女として食べさせてあげようと思っただけよ。もっとも、料理をしたのは明人だから私にできることは大好きっていう愛情を込めることだけなのだけれど」




沙紀はあざとすぎる宣言しながら、僕の作っただし巻き卵を食べさせようとする。




「ほら、早く食べなさい」


「流石に恥ずかしいよ」


「もう、じれったいわね。それとも私程度の愛情じゃダメなのかしら・・・」




シュンと落ち込んだ顔をする。




(ああ~もうそんな顔をされたら!)




僕は沙紀の箸ごとパクリといった。沙紀はそんな僕の姿を見て満足そうにしていた。




「どう、いつもより美味しいでしょう?」


「・・・うん」




僕が作った料理だから誰よりも味を知っているはずだった。だけど、沙紀が食べさせてくれただし巻き卵はいつもよりも甘かった。僕の反応に沙紀は満足そうだった。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「それじゃあ今度こそ本格的に始めるわよ」


「うん」




夕飯の片づけをして僕らは勉強を始める。




「教えるといってもすべてを一から教えるのは非効率だわ。だから、分からないところがあったら言って頂戴。いつでも答えるわ」


「助かるよ」


「とりあえず一時間始めましょうか。その間は私語厳禁よ?」


「おお!」




僕は数学の教科書を取り出す。そして、いつものようにパラパラと読む。すると、




「明人?」




沙紀がさっそくルールを破ってきた。




「何?」




一瞬何かを言おうとするが、




「いえ、なんでもないわ」




口を閉じた。




(変な沙紀だな)




沙紀はテーブルに開いた教科書の問題をノートに書いていった。僕はその様子を一瞬だけ見て。自分の勉強に取り掛かった。




しかし、十五分ほど経った時、沙紀がまた口を開く。




「明人・・・」


「ん、何?」


「その、真面目にやっているのかしら?」


「え?」




沙紀は大変失礼なことを聞いてきた。




「失敬な。僕は大まじめにやっているよ」




当然怒気を混ぜて反論する。しかし、




「さっきから数学の教科書を・・・・・・・パラパラ捲るだけで・・・・・・・・・何も書いていない・・・・・・・・じゃない・・・・。ちゃんと理解できているのか甚だ疑問だわ」




沙紀の疑惑は晴れないらしい。仕方がないので僕は沙紀に一つ提案することにした。




「なら、証拠を見せるよ。教科書のここからここまでならすべて終わっているから、問題を好きに出してもらって構わないよ」




沙紀は半信半疑で僕から教科書を受け取る。




「これでできなかったら、私のやり方で勉強してもらうわよ?」


「分かった」




沙紀は僕に釘を刺し、教科書に目を通す。ぺらぺらとページを捲り、そして、問題を提示してきた。見てみると、ベクトルの問題だが難易度は大したことない。一瞬で解ける。




「正解。それじゃあこれは?」




次に出してきた問題は多少応用を利かせたものだ。だけど、これも全く問題はない。




「やるわね・・・」


「だろう?」


「ちょっと、調子に乗っているわね。この程度ならうちの学校の生徒たちなら余裕よ」




沙紀はムキになる。そして、さっきよりも難易度が高い問題を出してきた。だが、まだ余裕だ。




「せ、正解。それじゃあこれは?」


「これは」




難易度は最高レベルの問題だろう。今までの問題が可愛く見えるレベル。だけど、




「できたよ」




沙紀に丸付けを頼む。そして、沙紀は幽霊でも見たかのような表情になった。




「嘘でしょう・・・?これ、東大の問題なんだけれど」


「へぇ~そうなのか」




僕としてはそこまで難易度が高いと思わなかった。そんなことより、




「ちゃんと勉強しているでしょ?」




沙紀にドヤ顔で確認する。沙紀は一瞬たじろいだが、




「え、ええ、信じられないけど認めざるを得ないわ」


「ならよかった」




信頼を勝ち取れたなら安心できる。




「それより、その勉強ってどうやるのかしら?」




沙紀は興味本位で聞いてきたようだ。ただ、




「どうって、ただ読んでいるだけだよ。こうやって」




自分でもどうやっているか分からない。仕方がないので僕はいつも通りの勉強の仕方を実演する。沙紀はそんな僕を見て、




「明人」


「ん?」


「普通の人はそんな早さで読書なんてできないし、ましてや数学の問題なんて解けるわけがないのよ?」


「え?」




沙紀はこれ見よがしに頭を抱えたままため息をついた。そして、




「明人はこの能力を生まれつきで持っていたのかしら?」


「いや後天的にだよ」




これは確信を持って言える。




「美紀子さんにこき使われていたせいで毎日十分少々しか勉強できなかったしね。だけど、沙紀と同じ高校に入りたかったから、その十分を最大限に活用するために必死になって覚えたって感じかな。って沙紀、どうしたの?」


「あの母親はなんて怪物を作りだしているのかしら・・・結果的に今は助かっているけれど、素直に喜べないわね・・・」


「沙紀?」


「なんでもないわ。それより疑ってごめんなさいね。続きを始めてもらって構わないわ。」


「う、うん」


「それと今度やり方を教えて頂戴」


「うんいいよ。沙紀ならすぐにできるようになるよ」


「そうだといいのだけれど」




そのまま僕と沙紀は勉強を始めた。僕はいつも通り、教科書をパラパラと捲る。




(そういえばちゃんと勉強するのは久しぶりだなぁ)




問題を超高速で処理していく。




(一時間後にアラームが鳴るって言ってたから、とりあえずそこまでは本気でやってみよう)




僕は思考の湖の中に沈んでいった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


ピピピピ


「お疲れ様」


「あれ?もう終わり?」


「ええ、そうよ。相当集中していたみたいね?」


「そうみたいだね」




僕はいつの間にか時計の存在すら忘れてしまっていたらしい。ここまで長く集中したのは初かもしれない。




「それで首尾はどう?」


「とりあえず、教科書はすべて終わ・・・・・・・・・らせたよ・・・・」


「は?」


「ん?」




沙紀が僕を見てくる。そして反射的に僕も沙紀を見た。




「ええ~と明人、今なんて言ったのかしら?」


「え?数学の教科書をすべて終わらせたって・・・」




沙紀は額に手を付いた。




「明人・・・今回の数学の範囲は?」


「△から〇ページ、あっ」




そこで僕は自分がやりすぎだったということに気が付いた。




「ごめん沙紀。時間を無駄にした・・・」




沙紀に謝る。数学が終わったのならすぐに他の科目に手を出せばよかった。




(もう二週間しかないのに・・・)




しかし、沙紀が困った表情をしたのは別の理由だったようだ。




「そういう問題じゃないわよ!明人、よく聞いて。貴方は普通の人が一年かけて勉強する範囲をたったの一時間で終わらせたのよ?それがどういうことか分かってる!?」


「さ、さぁ」




沙紀の剣幕に押される。ここまで落ち着きのない沙紀は中々見れない。そして、肩で息をしながら、疲れた表情で僕を見る。




「明人は天才なのよ」


「そ、そうなのかな」


「ええ、私なんかよりもずっとね。悔しいけれど、流石私の好きになった男ね。惚れ直したわ」


「あ、ありがとう」




沙紀は僕を持ち上げてくれる。持ち上げ過ぎな気もするけど、褒められることがほとんどなかった僕からすると、ちょっと嬉しい。




「本当は土日を使って明人の数学を終わらせようと思ったのだけれど、計画が大幅に狂ったわね」


「すいません・・・」


「謝ることはないわ。特に今回の場合は嬉しすぎる誤算よ」




沙紀はそのまま教科書や鉛筆をすべてしまう。そして、おもむろに立ち上がる。




「今日はここまで。明日から本格的に始めましょう」


「うん」


「それじゃあ、お風呂を借りるわね」


「うん、え?」




僕は沙紀を見ながら固まった。




(今お風呂を借りるって言ったのかな?)




その間も沙紀は自分の鞄の中からいそいそと着替えを取り出し、浴室に向かおうとする。




「じゃあ、お先に失礼」


「ちょ、ちょっと待ったぁ!」


「どうしたの?」


「どうしたの?じゃないよ!なんでナチュラルに風呂に入ろうとしているのさ!?」




沙紀は思い出したかのように右手をグーにして左手の手に平にポンと叩いた。




「そういえば伝えてなかったわ。ごめんなさい、明人。今日は泊まるからよろしく」


「は?」


「今度こそお先に失礼~」


「ちょっ沙紀!」




沙紀は僕の制止を無視して、浴室に入ってしまった。




「どうしよう・・・」




勝手すぎる我が彼女に頭を抱えつつ、今日は寝れるのかと不安になった。

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