第44話:ショウカクシケン_ゼン_4


 りんごの口から出た、【母親】という言葉。りんごは、昇格試験の相手に自分の母親を選んでいた。驚かないと言ったら嘘になる。と、改は思っていた。そして改めて、この会社に勤める人にもどんな形であれ家族がいて、今は離れて暮らしているのかと急にしみじみと感慨深くなっていた。場違いであることはわかっているのに、つい背景をおもんぱかってしまう。――りんご自身、そんなことは一切望んでいないと理解しているつもりなのに。


「改、面白い顔してるよ?」

「えっ」

「改のお母さんは、良い人だった?」

「良い人……って言われるとそうだね。僕の母は、僕を生んだ人じゃないから」

「……あ、ごめん」

「あ、いや、良いんだ。育ての母っていうよね。こういうの。その人は、凄く良い人だよ……って、そこまでは別にいうことじゃなかったね」

「普通の話、聞いてみたい。普通の家庭の。優しい母親と父親と」

「そう?」

「ボクにはなかったものだから。興味があるんだ」

「それなら、どんなことが知りたいのか教えてよ。僕の家の話で良かったら、なんでも教えてあげる」

「……なんかちょっとムカつく」

「それはりんごがさすがにひねくれてると思う」

「うるさい」

「殴るなよ!」


 まるで年の離れた兄妹のように話す二人を、自席から眺めて笑い合っている丙ともがなの目は、それはそれは優しいものだった。


 ――嘉壱から過去の資料等をもらい受け、改は覚悟を決めていた。『昇格試験を受けて昇格すること』とは、それすなわち『殺人者になること』と同義だったからだ。今の生活も、殺人を何十件と見てそれをよしとする生活には違いない。だが、明確に手を下すのとは違っていた。まだ、自分の手は汚れていない。

 良くない言い方をすれば『デスゲーム参加者と同じ位置に堕ちる』であり、改にとって良い言い方をすれば『ようやく護人や他の社員と同じ土俵に立てる』タイミングであった。


 ――そして、昇格試験当日。


「おはよう、改君」

「おはようございます、嘉壱さん」

「昨日はよく眠れたかい?」

「あはは、ちょっと睡眠不足かもしれません」

「良く寝ろ、という方が蒸すかしいかもしれないね。みんなそうだったよ」

「そんなもの、ですか」

「あぁ。……準備はできているかな?」

「……はい」


 改は真っ白な撥水素材のつなぎを身に着けており、目に相手の血が入らないように大きめのゴーグルもつけていた。手袋をはめ、少々動きにくい部分はあったものの、血で滑らないように滑り止めも施された吐き口の長い安全靴も履いている。美容院に行ってから少し時間が経って伸びた髪の毛も、落ちてこないようにワックスでカッチリと固めてあり、きっと最後に改を見た実川が今の改を見ても、本人だとはわからないだろう風貌に仕上がっていた。

 あの時から、顔つきも身体つきも変わっている。


「うん。良いね。それじゃあ、念のためにルールを確認しておこうか」

「わかりました」


 今回の昇格試験のルール。まず、昇格試験の中に時間制限は決められていなかった。但し、終了のタイミングだけは決められており『対象が死亡する』か『試験受験者が自分の中で続行不可能だとギブアップ』した場合のふたつとなっている。相手が死亡した場合は昇格試験合格となり、改は晴れて正社員となる。反対に、ギブアップすれば昇格試験はそこで終了となり、別のタイミングに持ち越しとなる。後者の場合、今回相手となった人間は治療と記憶処理を施された上で帰されるが、次回の昇格試験で選択することはできなくなる。一度失敗した相手だと、再度向き合った時にまた失敗する可能性のあることが理由だった。

 そして、試験の内容。ザックリ言えば『殺したいと思っている人を殺す』なのだが、もう少し細かく言うと殺し方が独特であった。昇格試験もデスゲームになっており、受験者はルーレットで武器となる物を選び、それとは別にもうひとつルーレットを回して、対象の身体のどの部位をその武器で痛めつけるかを決める。対象となる【殺したいと思われている相手】にも、一応のルールは伝えられるが、それは受験者の知る内容とは異なっており『制限時間内耐え切ることができれば解放される』という内容となっていた。当然そんなことはなく、受験者がギブアップして治療を受けるまで生きている場合のみしか無事に帰ることはできない。

 実は痛めつける場所を選ぶルーレットも、演出上の見栄えに過ぎなく、受験者はルーレットで決められた位置以外を傷つけても、進行上なんの問題もない。『受験者が対象の話を聞いて手を下すのをやめるパフォーマンス』の一部に過ぎなかった。そうであるからして、突然首を掻っ切っても心臓を一突きにしても脳みそを打ち抜いても、対象が死にさえすればゲームクリアとなる。


 時間制限が事実上設けられていないのは、受験者が対象者に殺したいほどに汲んでいる相手を選ぶからであって、せめてものこの試験を受ける者に対するささやかな配慮だった。合格を断念して逃がしてしまえば、もう次の試験で同じ対象を選ぶことはできない。試験合格を急ぐあまり簡単に殺してしまえば、死ぬほうがマシな苦痛を与えることもできない。


 護人は、デスゲームの司会として、最後までゲームを見守り観客を楽しませる義務がある。昇級試験はそんな護人に箔をつけるための試験も兼ねていた。ついでにどこを傷つけたら一番人は痛がるのか。どの部位から削っていけば人は身体を失っても生きながらえるのか。殺人を犯そうとする人間の内面、実際の身体の構造、死に面した人間の懇願内容、出血の仕方などなど。この試験では多くの知識を得ることができる。


 これは試験というていをなした『護人として知りたいことを知るために、自由に憎いと思った人を殺せるシステム』でもあった。


「……大丈夫そうだね。それじゃあ行こうか。……待ってるよ、君のお相手が」

「――はい!」

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