第42話:ショウカクシケン_ゼン_2


 ――心の中で、改はほっとしていた。それどころか『なんだ、そんなことか』とすら思っていた。自分でも、なぜこんな気持ちを抱いたのかはわからない。だが、『昇格試験の内容』に対する嫌悪感よりも『この会社に残ることができる』、喜びのほうが勝っているのは確かだった。


「……嫌になったかな?」

「……いいえ。そんなことは」

「一週間という期間は短い。その相手を問題なく調達するためには、今ここで誰を選ぶのか決めてもらわなければならないんだ」

「そう、ですよね……。準備とか色々、大変そうですもんね」

「あの面接の時から、改君の中の【殺したいと思っている人】は、変わっていないのかな? それとも、少し時間が経って変わったのかい?」

「それは……」


 改の中の【殺したいと思っている人】は、あの時から今まで変わっていなかった。


「……変わっていません」

「さぁ、最後の確認だ改君。――灰根改、君は昇格試験を受けるかい? それとも、受けないかい?」

「――受けます」


 自分でも驚くほど即答であると、改は思った。ジッと真っ直ぐに三律の目を見て答える。そんな改の態度に、ホッとしたからなのか三律は表情を緩めた。


「……ありがとう改君。君が昇格試験に受かることを願っているよ。では、早速その相手の名前を教えてもらえるかな? できれば、知り得る限りの情報も一緒に」

「僕が殺したい相手……。それは、それは……」


 今から口に出す言葉で、自分とその相手の人生が決まる。自分は昇格を目指して相手を全力で殺すし、相手は死ぬ以外の道は残っていない。――改は覚悟を決めた。


「それは、【実川アオサ-ジツカワアオサ-】――です。僕が前務めていた会社の、当時の上司でした。……この人のパワハラが原因で、僕は休職を取っています」

「なるほど。……そうか。……いや、実に良い選択だと私は思うよ」

「そうでしょうか……」

「あぁ。――考えてごらん? 君は自分の手で自分を追い詰めた相手に復讐することができるんだ。因縁に、終止符を打つことができるんだよ? 君の勝利が、ほぼほぼ確約された形で」

「凄く、ポジティブな考え方ですね」

「嫌いかい?」

「いえ……」

「【死】というものは、基本的にはネガティブに捉えられる事象だからね。改君には、少しでも罪悪感を持ってほしくないんだ」

「罪悪感……」


 罪悪感という言葉が、改の中でグルグルと回っていた。果たして、今日までこの会社で仕事をしてきて、罪悪感を感じたことがあっただろうか。――恐らく、一度もない。参加者の背景に同情したり、死に方を可哀想だと思ったことは何度もあったが、この仕事に対して罪悪感を持ったことは一度もなかった。それは、おかしなことなのかもしれない。だが、罪悪感を感じなかったからこそ、今この場にいて昇格試験を受けると決めることができたのも確かだった。


「しまった。無粋なことを言ってしまったようだね。何も考えなくて良い。……相手の調査は嘉壱に率いてもらおう。改君は、昇格試験のルールをしっかりと予習しておいてほしい」

「わ、わかりました……!」

「試験自体はそう難しくないさ。覚悟があれば、だがね」

「……あの。お聞きしてもよろしいですか?」

「あぁ、もちろんだ。なんでも答えると、面接の時に約束したからね」

「ありがとうございます。……この試験、皆さん受けられたんでしょうか……?」

「……ふむ。君の言う【皆さん】とは、嘉壱や丙君らを筆頭に、正社員で仕事をしている人間……という意味合いで良かったかな?」

「……はい」

「そういうことならば、答えは『イエス』だ。みな、この試験を受けて【殺したいと思っている人】を殺したんだよ」

「それは、三律さんも、ですか?」

「私か? 私は……そうだな。まだできていないんだ」

「まだ、できていない……?」

「あぁ。本来ならば、私が一番に試験を受けてクリアしていなければならないのだが。なんせ、社長だからね。他の社員に示しがつかないだろう?」

「そういう考え方もありますね……」

「そうなんだ。だが、私はできなかった」

「……」

「少々訳ありでね。続きも聞いていくかな? 少し、改君にはまだ刺激が強いかもしれないが。話すのは構わないぞ?」

「いっ、いえ! またその……折を見てお願いします」

「わかった。話が聞きたくなったら、いつでも聞いてくれ。……それじゃあ、早速準備に取り掛かろうと思う。嘉壱に資料を渡すよう命じておくから、目を通しておいてくれ。今までの試験はすべて記録に残してあるし、資料として動画も撮影している。それも見てくれて構わない」

「はい」

「準備のために声をかけることもあるから、その時はすぐに応じてくれると助かるよ。なんせ、こんなギリギリに話をしておいて申し訳ないが、時間がなくてね。これを理由に、振られる仕事を後回しにしてもらっても構わないから」

「わかりました。でも、できるだけちゃんと、仕事はするようにしますので」

「真面目だね、やっぱり君は。ありがとう。……あまり、長く引き留めてもいけないね。仕事に戻ってくれ」

「はい。……あの、昇格試験の話、嬉しかったです。僕でも、ちゃんと必要とされる場所があるんだな……って。有り難うございます。精一杯、頑張るつもりです」

「あはは。そんなに硬くならなくて良いよ。きっと、リラックスして本能に従った方が上手くいく。……そういうものさ。……それじゃあ、頑張ってくれたまえ」

「ありがとうございました!」


 改は席を立つと、深くお辞儀をして社長室を去った。

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