第5話:キュウショクチュウ_5


 突然呼ばれた自分の名前に改はビクッと身体を震わすと、声のしたほうへと顔を向けた。黒いスーツを着た男性が、こちらに向かって手を振りながら歩いてくる。手を振り返して良いのかわからず、そちらを見て小さく改は会釈をした。


「ゴメンね! 迎えに来るのが遅くなっちゃって。今回の面接担当の【入江嘉壱-いりえかいち-】です。よろしくね」

「はっ、灰根改です! 今日はよろしくお願いします!」

「うんうん。あ、そんなに畏まらなくて良いよ。気楽に行こうよ。あ、改君って呼んで良い?」

「は、はい」

「俺のことも、良かったら名前で呼んでよ。緊張してるでしょ? ここくらいさ、気にしなくて良いから」

「わ、わかりました……かっ、嘉壱、さん」

「そうそう! 良い感じ! よし、まずは、中に入ろうか」

「はいっ!」


 改は嘉壱の後ろをついて歩いていくことにした。黒いスーツの良く似合う、すらっとした細身の男性。眼鏡が知的に見えるが、髪色はボルドーのようで遊んでいる。モデルのようなその姿に、改は見惚れていた。同性に興味はないが、同じ男から見てもカッコイイと思っていた。


「絶対迷うと思ってさ。もっと早く行くつもりだったんだけどさ。全然会議が終わらなくて。受付の子から電話がかかってきたから途中で出てきたんだけど、悪いことしちゃったね」

「い、いえ……。緊張していたので、逆に落ち着く時間ができて良かったと思っています」

「お、ありがとー。そう言ってもらえると助かるよ」

「きょ、恐縮です……」

「どう? このビル大きいでしょ?」

「え、えぇ……。というか、この壁も、大きい、ですね……」

「あぁ、これね。【アーテーの壁】って言うんだけど。大きいよね。俺も最初見たときは改君と同じようにビックリしたよ」

「凄いですね、まるで牢獄みたいに……っ……す、すみません! 変なことを!」


 失態を犯してしまったと、改は嘉壱に謝罪した。面接前に、合否が決定しかねない。唇が震え、目が泳いでいる。


「あっはっはっ。気にしなくて良いんだよ。だって、俺も同じこと思ったから。これだけ大きい壁、乗り越えることなんかできないもんね。もちろん、その辺の武器でも簡単には壊せないだろうし」

「です、よね」


 改はほっと胸を撫で下ろした。改めて壁を見上げてみる。灰色の、無機質なコンクリート。これだけの高さを維持するためには、きっと厚さも相当なものに違いない。――もし、この中になにも持っていない状態で閉じ込められでもしたら――。改はゴクリと唾を飲み込んだ。


「えっとね、出入口はこっち。駅から離れた位置にあるんだ」


 壁に沿って歩いた二人は、今度は大きな門へと辿り着いた。太い鉄格子と、狭い隙間。来る者も出る者もまるで拒んでいるような見た目。いかにもな難しい顔をした、いかつい男性が数人門の前で仁王立ちをしている。目をぱちくりさせたあと、改は少しだけ背伸びをして門の中を見てみると、中にも同じような男性が経っているのが見えた。


「ご苦労様です!」

「お疲れ様。この子、面接に来たからちょっと通してもらっても良い?」

「はい! お客様、こちらにサインをお願いいたします」

「は、はひっ……!」


 思わず声が裏返る。見た目は怖いが、その所作と言葉は丁寧だった。


「え、っと。お願いします」


 サインをして警備の人……いや、この場合は門番と言うほうが正しいかもしれない。まるで漫画の世界みたいだと思いながら、改は促されるまま門の中へと足を踏み入れた。


「……また壁、ですか……」

「そうそう。外から見ると、なんか二重っぽく見えるでしょ? もう一枚壁があるから」

「厳重、ですね」

「まぁ、ある意味機密事項も扱っているからね。念のため……ってやつだよ」

「なるほど……」

「そっちは、【フォルトゥナの壁】って呼ばれてるよ」


 一枚目の壁よりも、二枚目の壁のほうが高かった。ひとつ目の門を潜り抜けて、四枚目の壁の周りをぐるっと回るとしたら、おおよそ二分の一ほど進んだ位置だろうか。もうひとつ門が現れた。壁と壁のあいだは、二十メートルほどだろう。そこそこ道幅があるように思えたが、壁の圧迫感のせいで広さは感じられなかった。ところどころに、車や自電車が停まっている。中で乗るのだろうか。そしてよく見てみると、壁の内側、一番てっぺんのところには、有刺鉄線のようなものが引かれてた。鳥よけなのかもしれない。


「次はここね。ここ入ったら、ビックリすると思うよ?」


 同じように鉄格子の門の前で、男性たちが立っていた。先ほどと違うのは、その門の向こうから音が聞こえてくることだった。


「え、す、すごい……」

「でしょ? 感動だよね、こんな世界が壁の中に広がっているなんて」


 嘉壱の言う通り、改は驚きに声を失った。

 目の前に広がるのは、町だった。人が行き交い、カフェやジム、コンビニが既に見えている。マイクロバスが道路を走り、自転車に乗っている人もいた。今目に見える人はさほど多くないが、しっかり町として機能しているように見える。


「この辺の説明はあとで。さぁ、ビルへ向かおうか。町が見たかったら歩いていっても構わないけど。十五分くらいかな、あそこまで」

「……良いですか? 少し、興味がありまして……」

「構わないよ! 興味を持ってくれるのは嬉しいことだからね! じゃあ、道なりに行こうか」

「分かりました」

「ここでもサインが必要になるから。面倒だけど、お願いね」

「はい!」


 一回目に門をくぐったときと同じように、改はまた入場のサインを紙に書いた。

「……いってらっしゃい」

「……あ。い、いってきます!」


 屈強な門番に不意に声をかけられ改は驚いた。が、見送りの挨拶だと気付き慌てて返す。そのとき見えたにこやかな笑顔にまたホッと胸を撫で下ろして、嘉壱のあとをゆっくりつついて歩くことにした。

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