Heart to heart 5/7
この高校は中庭を取り囲むように口のような形をしている。その校舎の隣、三年生昇降口の方に旧校舎はあった。
旧校舎というだけあって、その容貌といったら、いい意味で雰囲気があり、悪い意味でおんぼろである。木でつくられた建物は、そこここが黒ずんでいたし、床もワックスでは覆い隠せないほどに古びている。それに、歩くだけで軋む。歩かなくても七不思議やら、いわくつきの噂なんかが数多存在していて、一階の謎解き部部室には魔女が存在しているとかなんとか。
そんな『魔女』様は。
「おねえちゃん、ルートビア買ってきてほしいな」
「スコールならあるけど」
緑色のペットボトルを掲げれば、ぶつくさ文句を言いながらも、乳白色の炭酸飲料を取っていく。
「ふへへ。おねえちゃんと間接キス……」
「それ、まだ開けてないよ」
「そんなあ」
がっくりとうなだれたきいの前に、私は向かう。
部室はお世辞にも広いとは言えない。クイズ大会で優勝したことがあるといっても、それは昔のこと。今では狭い部室へと押し込められており、過去の遺物が部屋の半分を占めている。残り半分は、きいの私物――古今東西の本である。そんな本たちは一度読まれると、積み重ねられていくものだから、本のタワーがそこここにできている。そのうち地震でもやってきて、生き埋めになってしまうんじゃないかと、私は心配になったりもする。
「そうなったら、お姉ちゃんが助けてくれるでしょ?」
なんて、きいは言う。自分で何とかしようという気は全くないらしい。
それはさておき。
本やトロフィーや賞状やらに囲まれた空間がある。そこには畳が敷かれていてちゃぶ台が置かれている。――旧校舎は昭和初期に建てられたものであり、当初は宿直室として用いられていたらしい。それが今では謎解き部の部室。なんだか物悲しい。
わたしはちゃぶ台に買ってきたばかりのスコールを置き、ちゃぶ台に広げられた怪文書へと目を向ける。
「どう?」
「ぜんぜんっ。鍵がわからないんだよね……」
「昨日も鍵が何とかって言ってたけど、どういうこと?」
「おねえちゃんって暗号あんまり詳しくないの」
「……たいていがそうでしょ」
「ふうん。ミステリとかよく出てくるんだけどな」「きいと違って本読まないし」「ワタシが読み聞かせよっか。『踊る人形』とか」
私は拒否してたんだけど、結局説明を受けることになってしまった。
その長ったらしくて、よく覚えてるなっていうレベルのありがたーい説明の内容をまとめるとこんな感じ。
暗号にはいろいろな種類があるが、何かしらのヒントがある、ということらしい。
「暗号って基本的には誰かから誰かへと伝えるよね。内容を知られたくないから、暗号化するの。でも、伝えたい人には伝わってくれないと困る……」
「だからヒントがあるはずってこと」
「そうそう。って観点で観点で考えてみるとねー」
きいはその小さくてぷっくりとした指で、紙をつまみ上げる。和紙でできているというそれは、窓から差し込める日の光を受けて、陰影を浮かび上がらせた。通常のプリントと違って、凸凹しているのだ。別に、文字が浮かび上がることはない。
きいは懐から鉛筆を取り出す。小学生以来の六角形の鉛筆はどこか懐かしさが感じられる。六角形をした鉛筆の一辺に紙を置き、斜めに巻きつかせる。文字が並ぶように調整しながら。出来上がったそれを、横に読んでいく。意味のある文章はなかった。
きいはため息をつく。鉛筆を放り出して、ペットボトルのキャップをひねる。……キャップを握る手に筋が浮かぶと、小さな顔が真っ赤に染まった。
「おねえちゃん、開けてっ」
ペットボトルを受け取って、ひねる。プシュッと炭酸が抜ける心地いい音。きいへと差し出せば、コクコクと飲み始める。
こうやって見ていると、自分の妹ながら、かわいいと思う。いつもの調子を思い出すと無性に頭が痛くなってくるけど。
わたしは、ちゃぶ台の上に投げ出された暗号に目を向ける。丸まってしまった正方形の紙。ざらざらとした正方形の紙は、なんとなく折り紙を彷彿させる。そういえば、折り紙って和風のものが多かった気がする。市松模様とか矢絣模様とか、あと折り紙そのものが和紙なのもあった覚え。それでよくお母さんと鶴とか折ってたっけ。
懐かしくもほろ苦い記憶。
私は隣の妹を横目で見る。
きいはどう思っているのだろう。いつもは私に好き好き言ってるけれど、その本心ってホントはどう思ってるんだろ。
聞いてみたい。――でも怖かった。
私はきいから目をそらす。ずっと見つめていたら、私の心の中が何もかも筒抜けになってしまうような気がした。
なんとはなしに懐をまさぐれば、いつぞやのハート。手慰みにそれを開いていく。私は折り紙というものにとんと詳しくはないのだが、これを考えた人はどういう脳をしているのだろう。形があって思いつくのか、折り方から考えていくのか。
気が付くと、きいの視線が私に向かっていることに気が付いた。いや――違う。正確には、私の手元の紙。ハートだったなれの果て。
「お、おねえちゃん。それは……?」
「えっと、ちょっと前に拾ったものなんだけど、これ、一年生の間で流行ってるって。もしかして、きいは知らなかったの――」
「ちょっとそれ貸してっ!」
私が何か言う前に、きいは私の手から、一年生の可愛らしい罵詈雑言しか書かれていない紙を奪い取った。それに顔を近づけ、折り目を食い入るように見つめている。その紙と暗号とを見比べ、ほうと息をついた。
天啓が舞い降りてきたかのように、目を閉じる。まぶたが上がる。
「そっか。手紙だったんだ」
「どういうこと?」
「説明はあと。おねえちゃん、まどかを呼んできて」
「いいけどどうして?」
「どうしてって暗号が解けたからだよっ!」
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