Heart to heart 4/7

 まゆみちゃんから聞き出せそうなことはそれ以上なくて、私は彼女を家に帰すことにした。


 私ときいも帰路に就く。


 学校を出て、二人で住んでいるアパートまでは数十分。私はオレンジ色に染まりつつある道路を歩く。


 私たちが通う高校は、小高い丘の上に建っている。朝はうっとうしく思える坂も、帰りは楽だし景色もいい。


「ねえ、きい」


「なあに?」


「いやさ。楽しい?」


「楽しいって、依頼のこと?」


「それ以外に何があるっていうの。楽しくないなら、生徒会長に言って」


「すっごく楽しいよっ。ずっと退屈してたんだから」


「よかった」


「いきなりどうしてそんなことを聞いたの?」


「だって、ずっと部室にこもりっきりだったでしょ。クラスメイトとは言葉を交わさず読書ばかりしてるって聞いたけど」


「だ、だれからそんなことを」


 きいは振り返って私の手をポカポカ叩いてくる。座っているからか、そんなに痛くない。


 そんなきいの頭をポンと叩いて、私は遠くの夕日へと目を向ける。


 あの時も確か、こんな感じだった。


 私が何か言って、きいが私をポカポカ叩いてきた。その時のきいには歩き回れる自由があって。


 そんな自由を一台の車がぶち壊していった。


 制御を失った車が、私たちめがけて滑ってきたのを私は今でもはっきりと覚えている。ぶつかってきて、それで。


 気が付いたら、病院だった。幸いなことに私は全身打撲で済んだ。だけど、きいは違った。


 下半身不随。


 きいは歩けなくなった。自由に街を散策することもできない。車いすがなければ移動できないし、あったとしてもかなり疲れる……とは本人の言葉。


 気が付けば、きいは他者に対しての興味を失ってしまった。


 それと同時期に、きいが読書にはまった。今までは、本を読むことは嫌いだったはずなのに。


 でも、動けないから、想像の世界で走り回っているんだろう。私はそう思っていた。


 違った。


 きいは後天的サヴァン症候群という病に陥ってしまったらしい。


 事故の際の衝撃で、頭を強く打ったことが影響しているらしいけれど、それ以上のことは医者でもわからなかった。


 とにかく、天才になってしまったらしい。


 それはいいことなのかはたまた――。


「おねえちゃん?」


 私を呼ぶ声に、ハッとする。考え込んでしまっていたらしい。きいが心配そうに私を見ていた。


「何か考え事?」


「いや別に」


「もしかして、あの子が気に入ってるとか、そんなこと言わないよね」


「あの子って、まゆみちゃんのこと? ないない」


「ちゃん付けしてるってことはやっぱり……っ! あの子もライバルなの」


「ライバルて」


 そんなんじゃないと私が言っても、きいは聞く耳を持たない。


 どうして敵対心を抱いているのかと問えば、決まってこんな返事がやってくる。


「そりゃあ、おねえちゃんのことを一番愛しているのは妹のワタシなんだから」


 だそうである。


 私には理解できないロジックであった。



 次の日の昼休み。


 私はきいとともに、一年三組の教室を訪れた。またしても、好奇の目線にさらされたけれど、昨日よりかはマシだった。


 さて。


 まゆみちゃんに、葵ちゃんとやらを紹介してもらおうとやってきたんだけど。


「あ、葵ちゃんはチャイムが鳴ってすぐどこかへいっちゃって」


「どこかってことは、購買部でもない?」


 購買部のチョコチップメロンパンは大人気で、人だかりができるほど。だから、四時限目の終わりを告げるチャイムが鳴った途端、教室を飛び出していく生徒も少なくない。そして、先生に怒られるまでがセット。


「た、たぶん。わたしもそう思って探しに行ったことがあるんですけど、あそこにはいなくて」


「学校には来てるんだよね。じゃあどこかにはいるでしょ」



 そういうわけで、今は校舎の中を探し始めることにした私たちだったけれど。


「おねえちゃんお腹すいたよお」


「……ほら」


 私はポケットからシリアルバーを差し出す。なかなか受け取らないなと思ったら、きいは顔をしかめていた。


「こんなのばっかり体こわしちゃう」


「健康にいいのに」


 文句ばっかり言っているので私が食べようかと思ったら、その前に取られてしまった。文句は言うくせに食べるんかい。私がそんな目できいのことを見ていたら、おなかはすいてるから、という返事。


 もぐもぐごっくん。


「ごちそうさま。――おねえちゃんは心当たりがあるの?」


「ある。葵ちゃんは、まゆみちゃんのことを避けているのは間違いない。どこにいるかはわからないけど、逃げようとしている人が行くとこなんてわかりやすいよ」


「人気のないところってこと? そんなところ、探してそうだけど」


「ううん。まゆみちゃんはたぶん探してないよ」


 まゆみちゃんに対する私の勝手なイメージは、臆病な子という感じだ。どこかおどおどとしている。だって、幼馴染なら家を知ってるに違いなくて、待ち伏せることだってできるはずなのだ。だけど、そうしていない。


 幼馴染という関係が壊れるのが、たぶん怖いんだ。


「ふうん。そういうものなの」


「人に興味がないきいにはわからないよね」


「失礼な。ワタシはおねえちゃんにだけ興味があるのっ」


 猫なで声を出したきいの頭をチョップ。


 それから、人気のない場所をめぐることにしたのである。


 昼休みの大半をかけてようやく、葵ちゃんを見つけることができた。葵ちゃんは、屋上にいたのだ。そんな場所、最初に向かうところだろう。でも、私たちにとってはそうではない。車いすだとエレベーターがあっても、屋上まで移動するのが面倒なのだ。


 屋上は風が吹いているし、心地が良い。ベンチがあって、なんと人工芝まで敷かれており、ご飯を食べるにはぴったりの場所。それなのに人気がないのは、屋上をすっぽり囲んでいる緑のセーフティネットのせいであった。折角の見晴らしが最悪だった。


 そういうわけで、昼休みだというのに、屋上はがらんとしている。いや、女子生徒が一人、手すりにもたれかかっていた。背中から、何とも言えないアンニュイな雰囲気が立ち上がっているような女子だ。


 私が声をかけようとする前に、彼女の方が勢いよく振り返った。そこに浮かんでいた表情の劇的な変化はちょっと忘れがたい。


 最初に期待があって、直後に失望へと切り替わっていた。初夏のさわやかな風に乗って舌打ちが聞こえた。


 近づこうとしていた私も、立ち止まる。首だけ動かして後ろを見たけれど、誰かがやってきたというわけではない。


 あの子は私たちを見て、あんな反応をした。


「きいの知り合い――いや、そんなわけないか」


「うん。ワタシはおねえちゃん一筋だからっ」


「…………」


 妹のよくわからない発言はどうでもいいとして。


 だとしたら、さっきの表情の変化の理由はいったい。


 私は考える。ぱっと浮かんだのは、誰か(何か)を待っていて、それが来たかと思ったらそうじゃなくてがっかりというパターンくらい。いつだったかのクリスマスの妹を思い出す。プレゼントが来る日を間違えていて、めちゃくちゃ落ち込んでたっけ。


「おねえちゃんなにか変なこと考えてない?」


「いや別に」


 私は目前の生徒へと近づく。車いすのきしむ音、ごろごろという音に気が付いたのか、生徒が振り返る。


 ベリーショートに吊り上がった目。大胆に改造された制服。まゆみちゃんから教えてもらっていた、葵ちゃんの特徴と合致する。陸上部に入ってるらしいけど、あれじゃあ、部長からなんか言われているに違いない。


「あなたが葵ちゃん?」


「そうですけど。誰」


 自己紹介は許されそうで、私はほっと一息。正直、葵ちゃんの姿は不良少女って感じで、睨まれるんじゃないかと心配でしょうがなかった。結構、いい子なのかもしれない。


「私はリク。で、こっちが妹のきい」


「何の用」


「あなたに聞きたいことがあって探してたんだけど」


「答えることなんて何もない」


「そんなつれないこと言わないでよ。先輩の頼みを聞いてほしいな」


「先輩だからなんだっていうんだ……」


「まゆみちゃんのことなんだけど」


「――――」


 息を呑んだのがはっきりと見て取れた。その、驚きの表情は次の瞬間には、先ほどまでの無関心へと戻っている。でも、明らかに反応を示していた。


「幼馴染なんだってね、まゆみちゃんから聞いたよ」


「それが」


「最近、あなたが話してくれないって、まゆみちゃんが言ってたからさ。どうしてなのかって思って」


 私がそういうと、どういうわけか睨まれた。針のように鋭く、鋼のように硬いその視線は、迫力があって非常に怖い。


「……どうしてあんたに言わなきゃいけないんだ」


「そりゃあ、まゆみちゃんから逃げてるから――」


「事情も知らないくせに首を突っ込んでくるな!」


 叫びが、私の耳を揺らした。脅しというよりは私に訴えかけるような悲痛な声。それを発した葵ちゃんは、唇を噛みしめる。手すりから離れて、私の横を通り過ぎていこうとする。「どこいくの」という私の問いかけは無視して、どすどすと屋上から出て行ってしまった。


 追いかけることができなかった。というか、怖くて脚はブルブル。


「何あの子。あんなひどい言い方するだなんて、仕返ししようよ」


「いや別にそんなことしなくていいんだけど。っていうか話してるときどうして、口をはさんでくれなかったのさ」


「だって、おねえちゃんを見るので忙しくて」


「…………」


 本当にそうだとしたら、どうかしていると思う。でも、事故の後のきいからしたら、まったくの平常運転である。


 私はため息をつく。


 屋上の出口を見れば、開けっ放しになったままの扉が、風に揺られていた。


 脳裏によぎるのは、葵ちゃんのあの反応。


 怒鳴ったその直前に浮かんでいたのは、羞恥心だった。でも、その感情は、私へと向けられたものではない。当然、きいへと向けられたものでも決してない。この屋上には私たち以外に誰もいない……。


 あれは一体誰へと向けられたものだったんだろう?



 結局、今日も暗号とやらを解くことはできなかった。


 でも、翌日になってようやく事態は動き始めたのである。

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