Heart to heart 3/7
うちの学校を上から見ると、ちょうどロの形をしている。その真ん中が中庭である。先ほどの廊下よりかは混雑しておらず、帰宅しつつある生徒やら今から部活に向かう生徒やらの姿があった。
私たちは中庭の隅の方に置かれたベンチに腰掛ける。
「手紙っていうのはこれなんですけど」
まゆみちゃんが学生カバンから取り出したのは一つのファイル。その中には一枚の紙が挟まれている。私は頭を下げながらファイルを受け取って、手紙とやらを取り出す。
その手紙は、一目異常なものだとわかった。
びっしりと文字が書かれているのだ。五ミリほどの文字は、おそらくペンで書かれたものなのに理路整然とざらついた紙面を埋め尽くしている。ひっくり返せば、裏面も同様。思わず、うわ、という声が漏れてしまった。隣のきいは、ほうと息を吐いていた。
「び、びっくりしますよね」
「これはどちらに?」
「気が付いたら机の中に入ってたんです。たしか、一週間前の放課後だったっけ」
「なるほど。何か心当たりとかあります? 文字とか、こんなことをされるようなことをしたとか……」
「全然何も」
ですよね、と私は返答する。心当たりがあるなら、生徒会に相談しようとはしないだろう。
その小さくて綺麗だからこそ気持ち悪さがにじみ出ているかのような文章に目を凝らしてみる。ちょっとして、こりゃだめだとわかった。文章って言ったけど、これは文章なんかではない。ただ、文字が並んでいるだけ。そこには意味なんてなく、時折意味がある単語が出てきても、それは文章にはなっておらず、意味もない。
私は紙をきいへと差し出す。きいなら何かわかるかもしれない。私は正式な謎解き部の人間ではない。いわば幽霊部員だ。だけど、きいは正真正銘謎解き部に属している。しかも部長。
怪文書を受け取ったきいは、紙を太陽にかざす。それから鼻を近づけてスンスン匂いを嗅いでいる。
「なにをしてるの」
「炙り出しじゃないかなーって。でも違ったよ。あとこれ、和紙だね」
「和紙?」
「そ。ざらざらしてるし、結構いいものなんじゃないかな。あとこれ、おねえちゃんよく見て」
きいが私の眼前に怪文書を突き付けてくる。よく見て、と言われても何を見ればいいのかとんと見当もつかない。
「大きさに注目」
そう言われて紙を見れば形に何となく違和感を覚えた。
「正方形だ」
「正解っ。この紙、なんでか正方形なんだよねー」
「それが何か?」
「普通の紙って長方形じゃん。だから、そこに意味があるんじゃないかなって」
「たまたま近くにあった紙が正方形の和紙だったんじゃない?」
「その可能性もあるけど……」
けど、と私が問いかけても、考えに耽ってしまったきいは答えてくれなかった。
私は肩をすくめる。こうなったきいは、考えを中断するまでは話を聞いてくれない。
仕方ないので私はまゆみちゃんと話をしよう。
「こうなったきいは何も聞いてくれないから、さっきの話の続きを教えてくれないかな?」
「さ、さっきの話って」
「きいのこと。意外とかなんとか言ってたよね」
「あれはなんていうか、きいちゃんってクラスの人とはあんまりしゃべらないって噂で。そのう」
「ああそういう……。きいは人見知りだから」
それもただの人見知りではない。超弩級の人見知りなのだ。人と話をしない。姉であるわたしでさえも見たことがないくらいには。
人と話をせずにただ、本を読んでいる。そんな子なんだ、きいは。
「もしかして何か問題とか引き起こしてないよね?」
「い、いやいやそんなことありませんよ。ちょっと不思議な人だとは思いますけど……」
「そっか。あ、そうだ飲み物買ってくるよ。何がいい?」
も、申し訳ないです。そんな声が聞こえてきたけど、きいが我に返るにはまだ時間がかかりそうである。私としては話し相手が欲しかった。それに、妹のことを教えてくれたことに感謝しているし。
自販機は、昇降口の方にいくつかある。私はブラックコーヒーを、きいにはコーラを、まゆみちゃんの好みはわからないから無難にオレンジジュースを買う。
ごろんごろん。出てきた飲み物を取り出そうと身をかがめる。
と、自販機と地面の隙間に、紙が転がっているのが見えた。誰かが落としたゴミか何かだろう。普段ならそう思って気にも留めなかったが、そのゴミというのが何やらハート形をしていた。
私は手を伸ばして、ごみを拾う。くしゃくしゃになっていたものの、やはりそれはハートだ。
「これ……投書の中にあったやつか」
昼休みのことがさっと頭をよぎる。うん間違いない。これと同じものだ。
そのハートは紙を折ってつくられたもののよう。開いてみると、物理教師の容姿について結構辛辣な悪口が書かれていた。おそらくは授業中にでも書いたのだろうか。懐かしいな。私も一年生の頃は似たようなことをしていた。もっとも手紙ではなく、スマホでだったけど。
一方の手で紙をもてあそび、もう一方の手いっぱいに飲み物を抱えてベンチへと戻る。
ベンチに座り、オレンジジュースをまゆみちゃんへと差し出す。コーラは車いすのドリンクホルダーにセットして。缶コーヒーを開ける前に。
「この形に折るのって流行ってるの?」
私は、先ほど拾った紙を、まゆみちゃんに見せる。
「はい。流行ってますけど、先輩たちの間ではそんなに流行ってないんですか」
「ちょっと見ないかなあ。こそこそ連絡するならスマホ使った方が楽だし」
「だ、だってバレたら没収じゃないですかあ」
「そのスリルを楽しむんでしょ」
ちょっとよくわかりません、とまゆみちゃんは言う。わたしにもよくわからない。だって、今言ったのは、他人の受け入りでしかないから。
「それはいいとして、なんていうか意外。まゆみちゃんもやり方知ってるの?」
頷いたまゆみちゃんは、学生カバンからプリント(いくつかの方程式が書かれていた)を取り出し、折っていく。その手際に乱れはなく、あっという間に紙のハートができた。
「いやあ、すごいな。器用なんだね」
「わたしなんか、葵ちゃんと比べるとまだまだで」
「葵ちゃんっていう子は、まゆみちゃんの友達?」
「はい! 幼稚園から友達で、すっごく負けず嫌いなんですけど、いろいろなことを知ってて。そのハートの折り方も葵ちゃんが教えてくれたんです」
でも、と意気揚々と話していたまゆみちゃんの声音が沈んだ。
「……何かあったの?」
「そ、そのう。迷惑じゃなければ、相談したいことがあるんですけど」
「別にいいよ。さっきも言ったけど、きいちゃんが正気に戻ってくれるまで暇だし。むしろ、まゆみちゃんこそいいの? 部活とか」
「なんていうか、そういう気分ではないというか」
「気になって?」
「…………」
まゆみちゃんは答えこそしなかったものの、その相談事のせいで、落ち込んでいるらしい。
わたしはきいちゃんの様子を窺う。まだ、うなっていた。時間がかかっているということは、怪文書の謎が解けずにいるということ。そのきっかけさえも得られていないのかもしれない。
これは時間がかかるかも。
「よし。じゃあ、人生の先輩としてアドバイスしよう。大したアドバイスなんてできないかもだけど」
私の言葉にまゆみちゃんが小さく頭を下げた。
「葵ちゃんと最近話すことができなくて……」
「嫌われているんじゃないかって思ってる?」
「……はい。それがすっごく怖くて、葵ちゃんに直接聞こうとしても、用事があるからってすぐどっか行っちゃうし」
「忙しそうに見える?」
「ど、どうなんでしょう。部活に入っているみたいですけど、一緒の部活ってわけじゃないしなあ。陸上部って言ってたんですけど」
「陸上部ね」
その単語を聞いただけなのに、胸にチクリとした痛みが走った。どうかしました、という心配そうな声がやってきたけれど、なんでもない、と返す。
「ちょっとね。最近は顔を出してないから。それでまゆみちゃんはどう思ってるの?」
「わたしですか」
「そ。距離を取られているのは間違いないとして、その理由を知りたいの? それとも以前の関係に戻りたい?」
この問いかけは、ちょっと意地悪かもしれない。まゆみちゃんは、その葵ちゃんとやらを嫌っているわけではない。つまり、選択肢はもとからないようなものだ。まゆみちゃんはペットボトルを両手で握りしめて、しばらくの間考え込んでいた。
「また前みたいに楽しく話せたらそれで――」
「おーけー。私がそれとなく聞いておくよ」
「あ、ありごとうございますっ」
「いやいや。きいのこと聞けたし」
そのきいといえば、まだ考え込んでいる。いや、手に持っていた怪文書を今まさに放り上げた。私は反射的にキャッチ。
「あーもうっ。わからないよっ」
「わからないのはいいけど、人のを勝手に投げない」
「あうっ。だってしょうがないじゃん。これが何かの暗号っていうことはわかるんだけどねえ」
「暗号……?」
「うん。だって、怖がらせるためなら、こんな文章じゃなくていい。意味のある文章でもいいし、怖い画像でもいいわけじゃん?」
「たしかに」
「ってことは何かを伝えたくて、でもそれを隠したかったから、こんなわけのわからない文字の羅列にしか見えないものを送り付けたって思うの。そうなると」
きいはまゆみちゃんをまじまじと見る。見つめられたまゆみちゃんは、肩を震わせていた。
「な、なんですかあ」
「暗号文といったら解読のための鍵――ヒントのようなものがあるよきっと。何か心当たりはない?」
「ヒントって言われても」
「例えば、この紙と一緒に何かもらったとか。巻き付けるための棒とか、穴の開いた下敷きだったり、もしかしてエニグマだったり」
言っている間に、きいは興奮し始めていて、車いすから身を乗り出していた。そんなきいの勢いに、まゆみちゃんはたじたじといった様子。
「ちょっとちょっと。きい、落ち着いて」
「ごめんなさいおねえちゃん。おねえちゃんを怒らせるつもりはなかったの」
「いや、私は別にいいんだけどまゆみちゃんが怖がってるからさ」
「あ、すみません。気が付きませんでした」
今思いついたかのように、きいがまゆみちゃんに対して頭を下げる。実際、私に言われるまできいは気が付いていなかった。
きいは他人というものにまったく興味を示さない。
私にしか興味を示さない。
それは嬉しくて同時に――。
「こういう子だからほんと。何か迷惑をかけてたら私に言ってね。すぐ駆けつけるから」
「はあ……」
「迷惑なんてかけてませんっ」
なんてきいは言うけれど、どう見ても仲良くなろうとする気がなかった。
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