第3話 皆殺しの伯爵

「ジョージさん、明日イーサンがにうちへ来るそうですよ」

「ほう、珍しく休暇がとれたのかのう」

「そうみたいですね。手紙によるとケントも一緒にくるそうですよ」

「ふぉっふぉっふぉ、ケントも大きくなっておるじゃろうな」



 老夫婦がまったりと会話する中、コーヒーを飲んでいたアクラントの顔からさぁぁぁと血の気が引いた。


 イーサン=フォスター。


 ジョージとローズの息子である彼は、現フォスター伯爵家当主でハマグリット王国の四騎士団の一つ、アバロン騎士団の騎士団長でもある。

 彼の通称は、皆殺しの伯爵。

 美男子と誉高い一方、二十年前の魔族と人間族の大戦では、巨体な魔物であるオークの群れをたった一人で全滅させた猛者で、魔族の間でも超危険人物と名高い男だ。


「あの泣き虫も今や騎士団長か……」


 ジョージの呟きに、アクラントは飲んでいたコーヒーを吹き出しかける。

 ローズはむせる少年の背中をよしよしとなでる。

 アクラントは涙目になりながら、ジョージに訴える。


「泣き虫!? あの凶悪男が!?」

「ふぉっふぉつふぉっ、飼っていたカタツムリが死んで、三日泣いていたあの子も大人になって、ずいぶんと変わったものじゃの」

「変わりすぎだろ!? 二十年前の大戦の時、俺のペットだったスパインドラゴンの首を無表情で斬りやがった奴だぞ!?」

「いやいや、本当は優しい子なのじゃよ。しかも可愛いもの好きじゃしのう。 猫の姿になったお主のことも撫で撫でしたいって言っておったぞい」

「嘘だ! 絶対信じられねぇ!」



 アクラントはこの時、明日はどこかに避難しなければ、と思った

 あの危険人物に見つかったら、どんな目に遭わされるか分かったものじゃない。

 奴が伯爵家に戻るまでどこかに隠れなければ。


 ◇・◇・◇



「じーじ、それでデンシャって乗り物はどれくらい早いんだ?」

「ふーむ、新幹線はワイバーンの倍ぐらい速さはあるかのう?」

「シンカンセンって、そんなに早いのかー! レールの上を車輪が転がって走るんだろ? 俺、シンカンセン作ってみたいなぁ」

「ふぉっふぉっふぉ、電力の代わりに魔力をエネルギーにした乗り物があっても良いかもしれんのう。とりあえず、ケントや。今は一の字を書いてみなさい」

「はーい」



 あれからまた追加で筆と硯を買ったジョージ=フォスター。

 今は遊びに来た孫、ケント=フォスターとともに書道をしていた。

 ケントはジョージの長男の息子で、ジョージにとっては孫になる。よく日焼けした肌、ジョージ譲りの銀色の髪とローズ譲りの青い目。

 今日はともに書道の稽古をしていた。


「じーじ、もう一を書くところないよ?」

「うむ、よく書けておるのう」

「じーじは何を書いていたの?」

「ケントの名前を漢字にしてみたのじゃ」


 ジョージは【健人】と書かれた色紙をケントに見せた。

 ケントは目を輝かせ、漢字で書かれた自分の名前をじっと見る。


「この字はどういう意味?」

「健康な人でありますようにってことじゃな」

「俺はすごく健康だぞ! じゃあ父上の名前は、漢字でどう書くの?」

「イーサンか……」


 ジョージはちらっと窓の方へ目をやると、そのイーサンが庭で素振りをしているのが見えた。

 フォスター家長男、イーサン=フォスターは、ケントと同じく銀髪、青い目、日焼けした肌でとても精悍な美男子だった。

 しかしその目つきは修羅場を駆け抜けた者特有の鋭さがあり、とても近づきがたい雰囲気を纏っている。


 


(真っ先に【胃ー酸】という文字が思い浮かんでしまったぞい……あやつも団長として苦労がたえないからのう)


 今の段階で五百回以上素振りをしている筈だが、イーサンは汗一つ掻いていなかった。

 そんな息子の横顔をしばらく見つめていると、イーサンが視線に気づいたのか素振りを止めてこっちを見た。


「父上、何か?」

「うむ、我が息子ながら絵になる男じゃのう、と感心していたところだ」

「臆面もなくそんなことを言っていると、親馬鹿だと思われますよ」


 無表情でそう返してから、再び素振りを始める息子に、ジョージはヤレヤレとため息をつく。


(身内の欲目を思いっきり抜きにして言っておるのじゃがな……あやつはもう一つ自分の容姿がいいという自覚がないからのう)


 その自覚があればもう少し早く結婚できたとは思うのだが、イーサンは結婚するまで浮いた話が一つもなかった。

 多くの縁談も来ていたのだが、仕事が多忙なのを理由にことごとく断っていた。


(儂も結婚は遅かった方じゃが、あやつも遅かったのう)


 イーサンは三〇代半ばにして、ようやく十二歳年下の女性騎士と結婚し、第一子であるケントを授かったのである。

 両親が騎士である孫のケントも剣の才能はあるらしいが、彼は剣よりも魔法や錬金術に興味をもっているようだった。


(まぁ今も、大方、キラードラゴンとの戦いをイメージして素振りをしておるのじゃろうな。殺気がこっちまで伝わってくるわい。あれでは女子も寄り付かぬじゃろうて)


 ジョージはそんな息子に苦笑しながら、さらさらと筆を動かす。

 完成した文字を満足そうに見て一人頷くジョージに、ケントは不思議そうに首をかしげていた。



 自主稽古を終えたイーサンは、首にかけているタオルで軽く汗を拭きながらテーブルの上に置いてある色紙を見て首を傾げた。


「父上、この模様は?」

「模様じゃないわい。手紙にも書いたじゃろう? 儂が前世のことを思い出した事を。その前世で使われていた文字じゃ」

「何かの冗談かと思いました」

「儂がそんな冗談をわざわざ手紙に書くと思うか? これは前世の世界で使われていた漢字という文字じゃ」

「カンジ……ですか」

「漢字でお主の名前を書いてみたのじゃよ」

「……」


 イーサンはじっと色紙の字を見つめる。

 色紙には【偉々讃】と書かれていた。



「偉は偉大の偉とか、偉いという意味もあるのじゃ。普段から鍛錬を怠らず、騎士団長として頑張っておるし、オークの群れから命がけで王都を守った偉業を成し遂げておる。儂は何度でもお前に偉いと讃えたいのじゃ」

「父上……」

「親馬鹿かもしれんが、これくらいの名はつけても良いじゃろう」


 そう言ってにっこりと笑うジョージに、それまで鉄面皮だったイーサンの表情がふっと和らいだ。

 色紙を手に取り、じっと自分の名前を見つめる息子に、ジョージは優しい笑みを浮かべた。

 その時、ケントが嬉しそうに部屋に駆け込んできた。



「じーじ、猫ちゃんがいた! 猫ちゃん!」


 嬉しそうに猫をだっこしてやってきたのはケントだ。

 しっぽが二つに分かれた黒猫、アクラントはげっそりした表情を浮かべていた。

 どうも隠れていたところ、ケントに見つかってしまったようだ。


「おうちの屋根の上で寝ていたんだよー」


 ぎゅーっと抱きしめてくるケントに、アクラントは目を回しながら内心悪態をつく。


(このクソガキどんだけ跳躍力あんだよ!? 屋根の上までジャンプして、ものすごい速さで、こっちに走ってきやがった)


 その時、コーヒーが入ったマグカップとお茶菓子をのせたトレイを持ってきたローズは、あらあらと呟いて苦笑をする。


「通りで天井がバタバタいうと思ったわ。屋根の上に乗ったら危ないわよ、ケントちゃん」

「はーい」


 やんわりと祖母に注意され口をとがらせるケントに、イーサンがその額に軽く拳骨を入れる。


「猫が寝ているところを起こしたら可哀そうだろう? 可愛いからといって、すぐに抱っこをするのはよくないぞ」

「ごめんなさい……パパが猫ちゃん撫でたそうにしてたから、連れてこようと思って」


 イーサンはしゅうん、と凹む息子の頭をよしよしと撫でる。

 そして優しい笑みを浮かべて息子に言った。


「その気持ちは嬉しいが、猫の昼寝を邪魔したらダメだ。あと屋根の上を走るのも危ないぞ」

「……うん、ごめんなさい」


 そんな親子のやりとりを聞いていた黒猫はしばらく考え込むように床を見つめていた。

 アクラントはちらっと優しい笑みを浮かべているイーサンの方を見る。その表情は、やはり親子だけにジョージによく似ていた。

 アクラントはするりとケントの腕からすり抜け、地面に着地すると、トコトコとイーサンのところに歩み寄った。


「うん? いいのか?」

「ニャーン」


 抱き上げてもいいのか尋ねるイーサンに、鳴き声で答えるアクラント。

 震えた手で猫を抱き上げるイーサンの表情は見たこともないくらい、ふにゃふにゃな笑顔になる。

 ジョージ、ローズ、ケントはその様子を嬉しそうに見守るのであった。

 アクラントは顔を赤くしなら、ぶっきらぼうな口調で内心呟く。


(今日は特別撫でさせてやる……あくまで俺のきまぐれだからな!)


 ◇・◇・◇


「父上、ニホンという国はどんな国なのですか?」


 ソファーに腰掛けたイーサンは膝に乗せたアクラの顎を指で撫でながら前世のことを尋ねる。

 向かいに座ったジョージはコーヒーを一口飲んでから、前世の光景を思い出す。


「気候はこの国とよく似ておるぞ。温暖で四季もあって。春は桜が奇麗なのじゃ」

「サクラですか」

「オイスト村にも咲いておるじゃろう? チェリーの花が」

「ああ、あの花をニホンではサクラと呼ぶのですか」


 オイスト村の山は、春になると淡いピンクの花が一斉に咲く。

 チェリーの花と呼ばれるその花は、日本の桜ととてもよく似ていた。


「夏は暑くてのう。蝉が鳴いて、蚊取り線香のにおいが漂った部屋でナイター中継を見ながら酒を飲んでいたのう」

「カトリセンコウ? ナイターチュウケイ? よく分からないですけど、我が国のような戦はなかったのですか?」

「……」


 ジョージは目を線のように細め、遠い記憶を掘り起こす。

 自分が生まれた時代は大きな戦が終わって五十年……六十年は経っていたか。

 戦争を知らない世代の人間だった。

 しかし―――



『おい、コラ。鬼小路組の若頭さんよ。この落とし前はどうつけてくれるんだ!?』


 頬に傷が勲章だと思っているのか、右頬を見せつけるように凄む男を、あの時の自分は冷めた目で見ていた。

 傷男の後ろには何人もの若い衆がこちらを睨んでいた。

 しかし、こちらも両脇に護衛がいる。二人は組織内随一の手練れ。自分が手塩をかけて育てた腹心たちだ。

 雑魚が何人なだれ込もうが、ものの数分で一掃することだろう。

 自分は冷静な口調で傷男に告げた。


『確かに組員の失態は、俺の失態とも言える。だが、言いかかりに応じる気はこちらもさらさらないんでね。お引き取り願いましょうか?』


 両脇の二人がドスを引き抜き身構えた。傷男の後ろに控える若い衆たちはぎょっとする。

 しかし多勢であることに優越感を抱いている傷男は全く引く気はなかった。


『ふざけんな!! たった二人の護衛で何ができる!? 他の奴らは出払っていることは分かってんだよ!! お前ら、やっちまえ』


 ナイフや拳銃、鉄パイプ、ドスを持った男たちが一斉にこちらに躍りかかってきた。

 両脇にいる自分の護衛たちは、淡々と仕事をこなすかのように、とびかかってくる男たちを次々と切り伏せ、拳銃を構える男に対しては引き金を引く前に首筋を切り裂くなどして、着実に向ってくる相手を倒していった。


『可哀そうな坊やだな……鉄砲玉として使われたことも知らずに』


 傷男に対してそう呟いてから、自分は悠然と椅子に腰かけ煙草をくわえた。

 護衛の二人はあと数分で片を付けるだろう。

 煙草に火をつけながら、ちらりと先ほどまで威勢が良かった傷男の方を見た。

 たった二人の護衛に次々と倒されてゆく舎弟たちを見て、傷男は呆然としているのだった。




 ジョージはじーっと天井を見つめながら、修羅場が絶えなかった遠い昔の出来事を思い出していた。そして息子の質問に小さな声で答えた。


「…………まぁ、国自体は平和じゃったぞい」

「何か含みのある言い方ですね」

「そうかのう?」


 自分が前世、ヤクザの幹部だったことは口が裂けても言えないジョージ=フォスターであった。


第3話 完

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