第2話 骨董屋ベンジャミン
「ベンジャミン、筆と硯がもう一つあったじゃろう? それも売ってくれんかのう」
「何だよ、あのブラシと皿がそんなに気に入ったのかよ」
「ブラシと皿じゃないわい。筆と硯じゃ」
ジョージ=フォスターは転生者である。
彼が転生者としてまずはじめたことは、文字を書くことだった。
書道の心得があったことを思い出した彼は、前世の文字を思い出しながら筆で字を書くことにしたのだ。
骨董屋にはあと数点ほど筆と硯があったのを思い出した彼は、予備にもう一つ欲しいなと思い、店を訪れていた。
「一体、どうやって使うんだよ。そのフデとスズリは」
「どれ、一つやってみるかのう。紙と墨はあるかのう」
「墨?」
「ほれ、筆と硯と一緒に持ってきた、金文字が書かれた黒い石のような奴じゃ」
「ああ、あれならまだ沢山あるぞ」
ベンジャミンは店の奥につづく物置部屋から花の彫刻が施された手のひらサイズの四角い墨を持ってきた。
それを見た瞬間、まるで迷宮で探し当てた宝を目にしたかのように目を輝かせるジョージ。
「ほほほう、これはまた見事な古墨」
「そんなにいいもんだったら、サービスであげても……」
「コラ! これはサービスであげるような代物じゃないわい! どうみても職人が丹精込めて作り上げたものじゃろう!? このポンコツ骨董屋」
「何だと、このクソジジイ!! だったら、こいつはいくらするってんだ」
「普通に買うと万単位はするぞい」
「!?」
想像以上の値段に驚いたベンジャミンは手に持っていた墨を危うく落としそうになった。顔を蒼白にして、焼石でも持つかのようなリアクションで掌の上で墨を転がし始める骨董屋。
ジョージはヤレヤレとため息をついて、再び手から落ちそうになる古墨をキャッチした。
「よいか?この硯に水を入れて、こうして墨を擦るんじゃ……おおお……これはまた、たまらん磨り心地」
「その表情やめろ」
墨を磨りながらエクスタシーの極みと言わんばかりに、悦に入るジョージにベンジャミンはかなり引いていた。
墨を擦り終えて、筆をつけてみる。
そして和紙の上に筆を滑らせると、これがまた気持ちがいいほど滑らかな書きこ心地であった。
「おおお……これは、また良い筆じゃのう。一体何の毛でできておるんじゃ?」
「ああ、東の行商人が言うにはドラゴンの鬣でできているんだと」
「何と!? ドラゴンの鬣がこんなよい筆になるとは思わなんだ」
感激のあまり目を潤ませ筆を凝視するジョージに、ベンジャミンはますます引くのであった。
気を取り直すように息をついてから、和紙に字を書くたびに幸せそうな顔をするジョージに尋ねる。
「で、それは何て書いているんだ? 線をひたすら書いているようにしか見えねえぞ?」
「一の字じゃよ。楷書と行書、草書といろんな書き方があるのじゃ」
「めんどくせぇな」
「お主もアクラと同じようなことを言うのう……とりあえず、今のは筆ならしじゃからの。
改めて字を書くとするかのう」
「じゃ、この細長い紙に書いてくれよ」
「ほほう、これはまた薄くてしなやかな……掛け軸にでもできそうな和紙じゃのう……いや、こっちの世界では和紙とは言わんのか」
「ワシでもタカでも何でもいいから書いてくれよ」
「……このポンコツ骨董屋め」
上質な紙の価値もよくわかっていない骨董屋に呆れつつも、ジョージは細長い紙に書いたのは次の言葉であった。
【商売繁盛】
◇・◇・◇
後日、骨董屋『クラシカルドール』はいつになく繁盛していた。
和紙(のような紙)に書かれた【商売繁盛】という文字を額に入れて店内に飾った次の日、旅の行商人が大量のアンティークドールを買い取ったという。行商人の祖国は今、空前の人形ブームなのだという。
また他の行商人がアンティーク家具を買い取っていったり、旅人がお土産に雑貨を買ったりなど、とにかく客足が絶えない日がなかった。
村人たちは噂をした。
「あの辺鄙な場所にある骨董屋に客が出入りするとは……」
「骨董屋の壁に飾ってある商売繁盛と書かれた文字があるだろう? あれを飾って以来、えらい儲かりだしたらしいぞ」
「私も見たことがある。骨董屋が言うにはあれはカンジと言うらしい。知らない文字だが、見ていると身が引き締まるんだよなぁ」
「そうなのか。ぜひ我が家にも一枚欲しいものだ」
こうした口コミにより、筆で書かれた漢字が縁起物と認識され、たちまち村の評判となり、漢字が書いてある紙が欲しい、と骨董屋に申し込む者が殺到した。
一人や二人ならすぐにでも書いてあげられるのだが、多くの人間のために文字を書くとなると、かなりの労力になるし、紙代などのお金もかかる。
そこでベンジャミンの案で、店内に山ほど在庫があるという色紙に書いて売ることになった。
商売繁盛だけでなく、身体健全や開運招福、学業成就などバリエーションも徐々に増やした。
今日は村の若者に依頼され、クラシカルドールの店内にある一室で、【病気平癒】の四文字を色紙に書いていた。
「ちなみにお主、何かの病にかかっておるのか?」
「この前、魔物に引っかかれた傷がなかなか治らないんですよ」
「それじゃ病気じゃなくて怪我じゃろう?」
「でも魔物に引っかかれたら、病気になりやすいって言うじゃないですか。だから病気にならないように書いていただこうかと」
「どれ、怪我したところを診せてみい」
若者がシャツの袖をまくり、腕に巻かれた包帯をほどくと、痛々しい三本線の傷跡がのこっていた。
ジョージは傷の部分に手をかざすと、掌から白光が生じる。
腕の怪我は一瞬にして治った。
「おおお!! すごい!! 完治した!? カンジの力すげぇ!!」
「……いや、漢字の力じゃなくて、治癒魔法の力じゃけど」
「ありがとうございます! フォスター伯爵閣下!!」
「ふぉっふぉっふぉ。肩書はいらんよ。伯爵家当主の座は息子に譲っておるからのう」
「これは我が家の家宝にします」
「うむ。しかし、その色紙を家に飾っただけでは病気にならんとは限らぬからのう。あまり酒を飲まぬようにな」
「う………心得ました」
すっかり完治した腕をぐるぐる回しながら、足取り軽く帰っていく若者を見送ってから、ジョージはふう、と一息ついた。
「まさか儂の文字がお金になるとはのう」
「たくさんあった厚紙の在庫もはけるし、しかも儲かるし。こっちも助かったぜ」
ベンジャミンは部屋に設置してある木製のスツールに腰を掛け、煙草を吹かせていた。
最近、店は繁盛していることもあり、彼はとてもご機嫌だ。
ジョージはすかさず訂正をした。
「コレは厚紙じゃなくて色紙というのじゃよ。こういう紙に字や絵を書いたりするのじゃ。あと有名人のサインを書くときもあるのう」」
「ふーん、俺にゃ使い道がなさそうだな」
「ベンジャミンも習字をやればよいじゃろ。これくらいの文字ならベンジャミンでも書けるようになるぞい」
「本当かよ」
「まぁ、練習は必要じゃけどな。毎日少なくとも数十枚程書けばすぐにでも」
「………いや、いいわ。俺、地道な練習とか嫌ぇだし」
煙草のけむりをふーっとはいてから、めんどくさそうにベンジャミンは言った。
そんな友人に苦笑してからジョージはふと思う。
(今度ケントと一緒に文字を書いてみるかの……書道は小さいころからやっておいた方が良いからの)
ジョージは五歳の孫と一緒に書道をする様子を想像し、一人にっこりする。
ベンジャミンは煙草を灰皿にねじ込んでからふと思いついたように言った。
「そういや、俺の名前って漢字で書いたらどうなるんだ?」
「お主か?」
ジョージは眉間にしわをよせ、目を線のよう細める。
しばらく考え込む友人に、ベンジャミンはぎょっとする。
「そんなに難しい質問したか? 俺」
「うむ……お主の名前は漢字にしにくいのじゃ」
考えながらも雑紙に漢字を書きだすジョージ。
紙にはいろいろなベンジャミンが書かれていた。
勉謝閔
弁者民
便蛇明
遍社皆
鞭邪民
「おー、その最後の奴なんか良さそうじゃねぇか」
「最後の奴だけはダメじゃ! 無意識に書いてもうたけど、これは失敗作じゃ!!」
「なんだよ、最後のベンジャミンはどういう意味だよ」
「それは言えぬ」
鞭打つ鞭と邪道の邪だとは言えない。まるでプロレスの悪役レスラーのような名前だ。
悪役の覆面を被り鞭をふるいながら高らかに笑う友人の図を想像してしまい、ジョージはぶんぶんと首を横に振る。
知っている限りの漢字を書きだしていたら、とんでもない名前を書いてしまった。
(書き出した名前の中で、儂が好きな漢字を組み合わせるとしようかの)
ジョージはさらさらと筆を動かし、色紙に次のように書くことにした
【勉社明】
漢字で書かれた自分の名前を見て、ベンジャミンは怪訝そうな顔になる。
「……気のせいか堅苦しい感じがして仕方がねぇな」
「勉学にいそしみ、社会への貢献を忘れず、明るい人生を送れるよう願っておるぞ」
「やっぱり堅苦しいじゃねーか。今更勉強なんざしたくねぇし、社会には十分貢献したし、今、十分に明るい人生送っているだろ?」」
そう言って二本目の煙草を吸い始めるベンジャミンにジョージはヤレヤレとため息をつく。
ベンジャミンはニッと笑ってから【勉社明】と書かれた色紙を手に取って言った。
「でも、まぁありがたく貰っとくぜ。お前の文字は何しろ縁起がいいからな」
その後、骨董屋には商売繁盛と書かれた和紙の隣に、【勉社明】と書かれた色紙が張られたという。
◇・◇・◇
「ローズさんや」
「どうしましたか、ジョージさん」
「薔薇の文字を色紙に書き直したんじゃ。部屋に飾るのはこっちにしてくれんかのう」
最初に書いた薔薇の文字は書き慣れた字ではなかったため、上手く書けていなかった。
なのでベンジャミンの店で改めて色紙に薔薇の文字を書き、妻であるローズに渡そうと思ったのだ。
「薔薇という文字は、書くのは難しそうですけど、とても不思議な模様のようですねぇ」
嬉しそうに色紙を見つめるローズをジョージは優しい目で見つめる。
妻のその顔が見たくて何度書き直したことか。
(さすがに色紙を使いすぎだとベンジャミンに怒られ、色紙代を払うことになったがの)
この日、字書きとしての給料は色紙代に消えたが、妻の笑顔を見て大満足なジョージなのであった。
第2話 完
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