転生じいちゃんの日常~前世を思い出したのじゃが、どうしたものかのう~

秋作

第1話 じいちゃんは突然前世のことを思い出す

「ローズさんや」

「どうしましたか、ジョージさん」

「どうやら儂は前世のことを思い出したようじゃ」

「まぁ、前世ですか」



 その日、ハマグリット王国にある山上の村、オイスト村の一角に住んでいた老人、ジョージ=フォスターは、朝食を食べている途中、前世のことを思い出した。

 ジョージは目を線のように細め、眉間に軽くしわを寄せ、妻のローズに言ったのだった。


「どうも儂は日本という国で生きていたようじゃ」

「ニホンですか。とても変わった響きですね」

「国民の多くは髪の毛の色と目の色が黒じゃったわい」

「あらまぁ、髪の毛と目の色が黒ですか。こちらでは魔族の方に多く見られる色ですねえ」

「わが国では黒髪、黒目が不吉だと言われているが、ただの迷信じゃったことがよく分かったわい。日本は戦争もなく平和な国で、経済大国と言われるほど発展しておる」


 ジョージはそう言ってから、食後のコーヒーを一口飲んだ。

 そんな夫をローズはニコニコと優しいまなざしで見つめている。

 

「日本でも金髪や赤髪、青髪の者も稀におったがのう。ただ、それは黒髪の色を抜いて別の色に染めておったのじゃ」

「まぁ、髪の毛を染めるのですか? それは良い考えですねぇ。私も若い頃は青い髪の毛でしたが、今では白髪が増えましたからねえ。昔のような青い髪に染め直せたら良いのですが」

「薬師のローズさんや、髪の毛用の染粉を作ってみたらどうじゃ?」

「いいですねぇ……ちょっと作ってみましょうかねぇ」

「儂も昔のようなサラサラの銀髪に戻ることができたら良いのう」



 ふぉっふぉっと、ジョージは口ひげの下から愉快そうな笑い声を洩らした。

 突然、日本に住んでいた前世を思い出したにもかかわらず、老夫婦はいつものように穏やかな朝を迎えていた。




 朝食を食べ終えたジョージは、書斎に入り、デスクに手をかけながら椅子にゆっくり腰かけると、おもむろにノートを広げ文字を書きはじめた。


 ジョージ=フォスター

 じょーじ=ふぉすたー

 George=Foster

 星田譲二


「ふーむ、多少強引な当て字じゃがフォスターは星田にするとして、ジョージを譲二にするか、丈二にするか、丞二にするか迷うのう」


 ペンを回しながら、タコのように口をとがらせ、目を線のように細めるジョージ。

 とりあえず思い出せる限りのことをノートに書いてみようと思ったのだ。

 まずは文字。

 ひらがな、カタカナ、漢字、多少の英語くらいは思い出すことができた。


「これからは機密文書は漢字とひらがなで書くのが良いな。敵に解読される可能性が低くなるからの……まぁ、隠居した儂が機密文書扱うことはないがのう」


 ノートに日本語で【国王はヅラ。全国の錬金術師を集めて作らせた精巧なヅラ】と書いてみる。

 かつて取り扱っていた機密文書の中でも最もくだらない内容だが、一応国家機密事項の一つでなのである。

 故に国王の髪が精巧なカツラである事は、妻のローズにも話していない。


「前世の知識、現役の時に思い出せたら良かったんじゃがのう」


 ぶつぶつとつぶやく老人の姿に、ニャーンと心配そうに声をかける猫がいた。

 真っ黒なその猫は、目の色は青と黄緑のオッドアイだった。

 老人の元に歩み寄った黒猫の周りに、ドロンと煙が生じる。

 煙の紗がかかっている中、黒猫は人型の姿に変える。

 やがて煙が晴れた中から現れたのは、黒髪、青と黄緑色のオッドアイ、頭に二つの角が生えた少年だった。

 見た目年齢は一五、六歳。ジョージの孫ぐらいの年齢だ。


「じーさん、何ブツブツ言ってんだよ。いよいよボケがきたのか?」

「失礼な奴じゃの。儂の脳内はまだクリアじゃ。 じゃが昔よりも脳内のCPUが低下しておるから、膨大な情報量についていけてないんじゃ」

「シーピーユー?」

「お主は知らんか? パソコンという機械を」

「何だ、それ?」

「知らんじゃろうなぁ……」


 ふう……と目を線のように細め、ため息をつくジョージに少年はムッとする。


「おい、ちょと答えられなかったからってがっかりしすぎだろ!?」

「アクラ、お主は仮にも魔界では賢者と称えられておるのじゃろう? しかも人間の世界のことは人間よりも詳しいと言っていたではないか」

「賢者なんて魔界じゃただの称号だよ。あーあ、大陸全土を恐怖のどん底にたたき落としてやった俺様も今じゃ、あんたに力を封印され飼い猫として暮らしているんだからな」


 少年の名はアクラント。通称:アクラ

 ジョージの孫ぐらいの見た目だが、年齢は百五十歳である。魔界に住む悪魔族は人間よりもはるかに長生きなのである。


「じゃが今の暮らし、気に入っておるのじゃろ?」

「まぁな。俺。生来怠け者だからなぁ。大陸を攻めたのだって魔王オヤジの命令で、嫌々やっていただけだからさ」


 あくびをしてから、アクラントは窓辺に設置してあるソファーに横になった。

 彼の体の周囲に再び煙が生じる。

 人間の姿から再び黒猫に戻り眠りにつく悪魔の少年にジョージはため息をつく。

 そして自分自身が書いた文字を見る。



「筆が欲しいのう……」

 

 ◇・◇・◇



 ジョージはオイスト村の中心部からすこし外れたにある骨董屋『クラシカルドール』にいた。

 その名の通りかなり年期の入ったのアンティークドールを多く取り扱っているのだが、他にもあらゆる国の家具や容器、花瓶、もろもろの雑貨も置いてある。

 以前、この店で花瓶を買った時、筆と硯が売っていたのを思い出したのだ。

 記憶がよみがえる前は、変わったブラシと皿だとしか思っていなかったが、あれは筆記具の一つだったのだ。

  前世に書道の心得があったことを思い出したジョージは筆と硯を求め、骨董屋へやってきたのである。

 

「よう、今日は何の用だよ。ジョージ」


 店長である坊主頭の老人、ベンジャミンは店前に設置している石のスツールに腰掛け、キセルを拭かせていた。


「うむ、実は筆と硯を買いに来たのじゃ」

「フデとスズリ?」

「ほれ、この前、東の行商人に押し付けられたブラシと皿の事じゃ」

「ああ、リューテン国から流れてきた商品か。まだ売れ残っているぜ」



 ベンジャミンは店の奥から、硯と筆、それから墨を出してきた。

 それを見たジョージは銀色の目を輝かせる。

 

「おお、やっぱり筆と硯じゃ。それに墨もあるとは助かる」

「何でい。こいつの使い道が分かったのかよ」

「うむ、こりゃ字を書くものじゃ。こっちの世界でも筆が存在して助かったわい」

「こっちの世界? 何のことだかわからんが、こいつが欲しいのかよ」

「うむ、売ってくれ」

「ジョージには世話になってるから、五百イエンでいいわ。あ、おまけに紙もつけておくぞ」


 ジョージは何とも言えない表情で五百イエン玉をベンジャミンに渡す。

 明らかに高そうな木箱の中に、細やかな彫刻が施された硯、毛並みの良い筆、そして金文字が彫られた墨、おまけでくれた紙は上質な和紙と全く同じ質感だ。ワンコインで買えるものじゃない。

 しかし物の価値が分からない者にとっては、役に立たないガラクタに等しいのだ。

 思いのほか安く筆と墨、硯を手に入れたジョージは、さっそく書斎に戻り墨をすることにした。


「おおお……何とも言えない磨り心地……この世界にも良い墨があることに感謝じゃな」


 久しぶりに墨を磨り、悦に入るジョージ。

 墨が程よい濃さになったのを確認し、さっそく和紙に文字を書く。

 とりあえず自分の名前を書いてみることにした。


 【星田譲二】


「ふむ、自分の名前を漢字にしたらこんなもんじゃろうな」


 そう呟いて自分が書いた字を見て満足げに頷く。

 すると先ほどまで寝ていたアクラントがむくりと起きて、黒猫から人型に姿を変える。

 そして怪訝そうに筆で書かれた文字を見た。


「何だ、東国の文字にも似ているけど何か違うな」

「この字は東国の文字に似ておるのか。筆を使う国なら漢字のような文字があってもおかしくはないのう」

「カンジ?」

「この世界にはない文字じゃよ。異世界にある日本という国で使われていた文字じゃ」

「何でその異世界にある文字をじーさんが知っているんだよ」

「今朝、日本に住んでいた前世のことを思い出したのじゃよ」

「前世を思い出したぁ!?」


 あまりの突拍子もないことを言いだす老人に、口をあんぐりさせるアクラント。

 まじまじとジョージと漢字で書かれた文字を見比べていたが、しばらくしてから、ハッとした表情を浮かべ、ジョージに抗議する。


「ってことは、ぱそこんとかシーピーユーも異世界の言葉だったんだな!?  汚ねぇな、どの書物調べても出て来ないから、おかしいと思ったぜ」

「何じゃ、あれから密かに調べておったのか。魔界の賢者も勉強熱心じゃのう」

「う、うるせーよ! 俺は知らないことがあると、何だか気持ち悪くなんだよ!」


 褒められることに慣れていないアクラントは顔を真っ赤にした。

 そんな悪魔の少年を微笑ましく思いつつ、ジョージはさらさらと紙に次の文字を書く。


 漢字

 ひらがな

 カタカナ


「日本という国では、漢字、ひらがな、カタカナという三文字を使い分けておったのじゃ」

「何それ。めんどくせー国」

「何を言う。三文字使い分けるからこそ、文章や表現にも深みが出てくるというものじゃ。ちなみにお前さんの名前を漢字て書いてみるとこうかのう?」


【悪嵐人】


 漢字で書かれた自分の名前を見て、アクラントは目をぱちぱちさせる。

 見たこともない文字で自分の名前が表現され不思議そうな顔をしていた。


「お前さんは昔、嵐のように大陸中を暴れまわっておったからのう。悪魔の王子じゃし、この漢字がぴったりじゃろ」

「成程ね、悪と嵐という字は気に入ったぞ」


 アクラントはじーっと漢字で書かれた自分の名前を見つめていた。

 そこにお茶菓子とコーヒーがのったトレイを持ったローズが部屋に入ってくる。


「あらまぁ、アクラちゃんも人型に戻っているのねぇ。ちょうどよかったわ。おやつにしましょう」


 ローズはニコニコ笑って、窓辺のソファーの前に設置しいているローテーブルの上に、コーヒーのマグカップと、焼き菓子がのった皿を置く。

 

「ローズ、見てくれよ。これ、俺の名前」


 興奮気味に紙に書かれた自分の名前を見せるアクラントにローズは頬に手を当て「まぁ」と感心したような声を漏らす。


「とても不思議な形をした模様ですねぇ」

「ローズさんや、模様じゃなくて文字じゃよ。前世、儂が住んでいた日本で使われていた文字でアクラントの名前を書いてみたのじゃ」

「あら、そうなのですね。じゃあ私の名前も、その文字で書けるのですか?」

「……………………」


 ジョージ=フォスターは目を線にし、眉間にしわを寄せる。

 

(ローズさんの名は当て字よりも、あの漢字を使った方が良いじゃろう。しかしあの漢字はあまりにも難しすぎて、ぼんやりと形しか思い出せん……かといって当て字だと【蝋図】【老頭】【狼逗】……どうもしっくりせんのう)


「まぁ、どうしましたか? ジョージさん」

「い……いや、ローズさんの漢字は何が良いか迷うてのう」

「ほほほ、ゆっくりで良いですよ。とりあえず、おやつにしましょう」

「……うむ」

 


 ジョージ=フォスターが【薔薇】の文字を思い出すまで、それから三日かかったという。



 第1話 完


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